*6月28日付記事 の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科のぜんざい教授ねこへびと教え子の院生・あんみつ君ニコニコの歴史トーク、今回のテーマは 国姓爺合戦 です。

 

 本日は、明王朝の黄昏 のおはなし。

 

 

*** 関連超略年表 ***

 

1573  万暦帝即位、張居正が内閣首補

1582  張居正歿、万暦帝の放漫政治に

1592  寧夏で哱拝の反乱、日本の朝鮮侵攻(~98)

1594  顧憲成、無錫で東林書院を開講

1597  播州で楊応龍の反乱

1616  女真ヌルハチ、満州統一

1620  万暦帝崩御、魏忠賢の恐怖政治はじまる

1624  オランダ東インド会社、台湾にゼーランディア城築く

1626  六君子に続き後の七君子惨殺(開読の変)

1627  天啓帝崩御、魏忠賢処刑

1628  王嘉胤、高迎祥の起義挙兵

 

 

 

 

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 あんみつべーっだ! 「先生、江戸時代初期に中国で滅亡を迎えた明(みん)王朝の興こりは日本の室町時代初期、三代将軍・足利義満のころです。三代皇帝・永楽帝の時代に示威のため派遣した大艦隊は、アラビアのメッカやアフリカ東海岸まで到達しました(鄭和の南海遠征,1405~1433)。この時代が極世期になりますね」

 

 ぜんざいねこへび 「明は永楽帝以来、皇帝独裁体制で、政策を助言する秘書たちを首都の北京紫禁城内にある <文淵閣> に住まわせ、彼らが <内閣> の語源になった話は前にしたね(→「議会事始め④」)。一方で明代は、<宦官(かんがん)> と呼ばれる去勢された官吏による権力専横がはびこった時代でもあった」

 

 あんみつむっ 「皇帝は官吏に学識やモラルを求めないし、高い地位を得ても世襲できないのなら権勢欲は少ないだろう、と思ったのかも知れませんが、逆に性に向かわない分、物欲や政敵へのライバル心がすさまじいんですよね。とくに明代の公務員は俸給が安くて、賄賂でも取らなきゃワリに合わないという弊害がありました」

 

 ぜんざいねこへび 「西暦1573年、日本では織田信長が足利義昭を京都から追放したころ、十四代皇帝・万暦帝が10歳で即位した。この皇帝は政治にいっさい興味がなく、20年以上も朝廷に姿を見せなかったという。序盤は内閣首補の張居正(ちょうきょせい)が強引に財政再建をやって持ち直したのだが、彼が亡くなるともういけない。宦官の専横で王朝は腐敗堕落のきわみだ」

 

 あんみつショック! 「王朝を見限り、寧夏をあずかるモンゴル人の将・哱拝(ボハイ)が反乱、また播州で苗族の将・楊応龍が反乱を起こしました。しかも日本から、豊臣秀吉の軍が朝鮮半島に侵攻。半島を焦土にした世界史的にも最大規模の大戦争に、宗主国として援軍を派遣した明王朝は、すっかり財政破綻です」

 

 ぜんざいねこへび 「軍費を捻出するため、王朝がやったのは厳しい増税だ。しかしごくごく一部の高級官吏や大地主は特権階級であることを利用して課税を逃れ、逆に過酷な税を課してはちょろまかして私腹を肥やす。一手に負担を強いられるのは、中小地主や都市業者ら中間層以下の民衆だ」

 

 あんみつプンプン 「富裕層の上位1%に世界の富の82%が集中し、彼らが資産をタックス・ヘイブンに移管して納税しない、みたいな話ですね。そんなK字経済では、社会が分断するに決まってます」

 

 ぜんざいねこへび 「ここに顧憲成(こけんせい,1550~1612)という下級官吏があり、郷里の無錫で東林書院という儒教の私塾を始めると、江南地方の中小地主層を中心に好学の若者が集まった。彼らはやがて政治を語り、官吏役人の人物を批判するようになる。政治に不満を持つ者にとって彼らは希望であり、<東林党> をもって世に知られた」

 

 あんみつガーン 「幕末の吉田松陰の松下村塾とか、薩摩の精忠組みたいですね。でもそんなに目立った政治批判をしては、当然為政者の弾圧対象になるでしょう。宦官ににらまれたら恐ろしい」

 

 ぜんざいねこへび 「西暦1620年、万暦帝が48年の治世で崩御すると、東林党に同調する官吏も現れて派閥争いが起こるが、結局幼い天啓帝を独占した宦官・魏忠賢(ぎちゅうけん,1568~1627)が権勢を握る。彼は東林党を大弾圧、主謀者を虐殺し、書院を破壊した(開読の変)。殉難した者は <六君子> <後の七君子> と悼まれ、心を寄せていた農民・商人・好学の若者は激怒、暴動を各地で起こしていく」

 

 あんみつしょぼん 「西暦1627年、魏忠賢の権力の根源であった天啓帝が崩御、明敏な18歳の弟・崇禎(すうてい)帝が即位します。新帝は魏忠賢の罪を問い処刑、徒党をことごとく粛清して政治を立て直そうとしますが、時すでに遅かったようです...」

 

 ぜんざいねこへび 「東北部では女真民族の勢力が増大し、首長ヌルハチの進出を止めるべく遼寧での対峙が続いていた。莫大な戦費を捻出するため、崇禎帝は官営の赤字事業を廃止して歳費を浮かせた。これによって失業した多くの地方公務員も暴徒となる」

 

 あんみつシラー 「なかでも駅伝制...物流のためのルートと宿場を廃したのは決定打でした。駅夫と呼ばれる運搬業者は中国全土に互助組織がありましたから、彼らを雇い止めした瞬間、その組織は反乱軍になってしまいます。組織の頭目のひとり、李自成(りじせい,1606~1645)も失業駅夫でした」

 

 

ざっくり位置関係

 

 

 ぜんざいねこへび 「即位の年、陝西の干ばつをきっかけに農民の蜂起が起きると、<起義> を旗印に府谷から王嘉胤(おうかいん)、安塞の高迎祥(こうげいしょう)を指導者とする反乱軍が挙兵した。火の手は中国全土に拡大したものの、横の連携はなかったので鎮圧に出た王朝軍に個別撃破されると、1631年に王嘉胤、1636年に高迎祥が逮捕処刑。起義は鎮圧されたかに思われた」

 

 あんみつ得意げ 「ここから起義軍を再編して、独立国のように政治制度まで整え、王朝との戦いを長期持久戦に出たのが張献忠(ちょうけんちゅう,1606~1647)、そして李自成です」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 

 内乱と外征、そして宦官の暴政により民衆の支持を失った明王朝は、東北部の女真民族の興隆、さらに起義軍の蜂起によって滅亡を迎えます。

 

 次回は、その女真民族の動向に目を転じてみましょう。

 

 

 それではごきげんようねこへびニコニコ