*2月4日付記事 の続きです。
R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは 二・二六事件 です。
本日は、政党政治と軍部の介入 のおはなし。
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あんみつ 「先生、昭和初年の政界は、憲政の常道と称される政党政治の時代だったんですよね。立憲政友会と立憲民政党の二大政党制です」
ぜんざい 「そうだね。衆議院の最大政党が内閣を組織する、議会政治なら当然といえば当然なんだが、元老・枢密院の宮廷勢力や軍部が介入し、これがなかなか出来なかった」
あんみつ 「平民宰相と呼ばれた原 敬内閣(1918~1921)以降、ようやく政党内閣が軌道に乗った形ですけど、内実は政党は財閥と結託し、汚職が相次いだことでどんどん国民の不信を招いていきました」
ぜんざい 「なぜかというと、1925年に普通選挙法が成り、25歳以上の男子すべてが有権者になったことにある。それまでは高額納税者しか選挙権がなかったが、一気に有権者が増えたからね(それでも全人口の20.8%)」
あんみつ 「ん、おかしいじゃないですか。普通選挙になったのなら、富裕層の声しか反映しない制限選挙より、広く国民の意見が届くはずなのに」
ぜんざい 「それがかえって、票稼ぎのために議員が大金を要するようになったのさ。公然とした買収、選挙費用、地方議会や有力企業への働きかけ・・・とても清廉な一議員の手に負える規模ではない」
あんみつ 「ああ~、だから議員には巨大政党や財閥のバックアップが必要になるわけですね。政友会には三井が、民政党には三菱が癒着し、四大財閥と言われる住友・安田も政官界に喰らい込んでいました」
ぜんざい 「政治とカネの問題は、現在もさして変わらないのだが、当時はなんの規制もなかったからね。選挙による民主政治は、金による買収政治に他ならなかったというわけさ」
あんみつ 「そんな理不尽な図式が常態化してるうちに、経済は世界恐慌の影響で悪化の一途をたどります。1929年10月24日の、ウォール街大暴落・・・いわゆる <暗黒の木曜日> です」
ぜんざい 「最高で381ドルをつけていたダウ(工業株)平均が、最終的に41ドルまで下落した。アメリカの好景気を頼りにリフレ政策を実施していた日本政府の経済は大失速し、おりからの冷害もあって、農村地帯は壊滅したんだ」
あんみつ 「都市部にも失業者があふれていましたしね。中小企業はどんどん財閥に吸収されてリストラが進むし、その財閥は政治家ベッタリでは、国民が反発しないわけがない」
ぜんざい 「皮肉にも、そんな不況を克服したのが戦争だった。戦争は究極の景気刺激策、と言っては悪魔のようだが、1931年9月の関東軍独断による奉天侵攻は、不況にあえぐ国民の沈滞ムードを一変させたんだ」
あんみつ 「<満州事変> ですね。蒋介石の国民政府が広州からの北伐に出ている間隙に、関東軍が東北三省を占領し、傀儡国家・満州国 を建てていきます。これを国民は支持したわけですが、その理由は不況打破にあった、ということですか」
ぜんざい 「それは極めて危険なことだ。軍部は自信を得て議会のいうことを聞かなくなり、巨額の予算を要求して国家財政を牛耳った。新聞は威勢のいい戦勝記事を載せれば売れるから、批判などせず迎合し、さらに国民の戦争熱を煽っていったんだ」
あんみつ 「う~ん()、逆に軍部を批判したら、上からより先に、国民や地方の有力者から抗議や不買運動にさらされたんですか、なんかおそろしいなぁ」
ぜんざい 「さらにもうひとつ、政党政治の息の根を止めたのは、浜口雄幸内閣での <統帥権干犯問題> だった。与党民政党の軍縮政策に対し、政友会が天皇の統帥権を盾に批判したんだ(1930年4月)。これに軍部が飛びついたことで、帝国日本は坂道を転がり落ちていく」
あんみつ 「軍は天皇の持ちものだから、議会が干渉するのは天皇に逆らうも同然、という理屈ですね。君主といっても昭和天皇は政治に口出ししないから、この言い分が通れば軍部は好き勝手に行動できるようになります。逆に議会は軍の意向に引きずられますから、政党政治が崩壊し、ファシズムの時代になるのも当たり前ですねぇ」
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今回はここまでです。
不況、汚職、軍独断による開戦。
政党による議会政治は転落の一途をたどります。
次回は、テロの連鎖と軍内部の主導権争いを見ていきましょう。
それではごきげんようヾ( ´ー`)。