*1月29日付記事 の続きです。
R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君
の歴史トーク、今回のテーマは 二・二六事件 です。
本日は、青年将校と昭和恐慌のおはなし。
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あんみつ 「先生、まずは事件の首謀者になった青年将校というのが、どういう存在なのかを教えてください」
ぜんざい 「うん。1930(昭和5)年の段階で、帝国日本の常備軍は約31万人いた(陸23,海8)。現在の自衛隊が約23万人だから、さほどは変わらないね。それが 1個師団=2旅団=4連隊=12大隊=60中隊 に編成されている。1中隊は120人だ(註:歩兵のみの場合,うち1中隊は平時は予備)」
あんみつ 「するとえ~と、1師団で7200人ですか。けっこうややこしいんですね。あまり考えたことがない概念です(笑)」
ぜんざい 「職業軍人というと 大将→中将→少将→大佐 のような階級があるのはわかると思うけど、おエラいさんは結局、実務のことなんて何も把握していない。実際の戦闘単位である <中隊> が根幹であり、大尉クラスがその任にあたっていた」
あんみつ 「なるほど、中隊長というのは、120人いるクラスの担任の先生みたいなものですね(笑)。将校の中でも若手だろうし、彼らを青年将校と呼んだわけですか」
ぜんざい 「若いよ。首謀者として事件後死刑になった香田清貞大尉は34歳、安藤輝三大尉は32歳、栗原安秀中尉は29歳、といった具合さ。彼らはまだキャリア組だが、その下にはさらに <下士官> と言われる、軍曹とか伍長の階級がある」
あんみつ 「士官学校を出ていない叩き上げは、そのあたりが出世の上限ということですね、警察でいう警部みたいなものでしょうか(笑)」
ぜんざい 「そう。現実に戦争が起きた場合、移動、兵舎、戦闘とすべての行動は中隊単位だ。だから中隊長と下士官、隊員の密接な関係は、まさにクラスのようなものだよ」
あんみつ 「すると事件の日、なにもわからずついていったら反乱側だった というのはこうしたシステムに理由があったんですね。歴史においては軍人というと元帥・大将といったエラい人だけが話題に上がりますが、現実に殺し合いをするのは名もない兵隊ですから」
ぜんざい 「青年将校たちが <昭和維新> を掲げ蜂起に踏み切ったのは、そうした名もない兵隊の故郷である地方の農村が、もはや人間の暮らしが出来ないほど疲弊し困窮しきっていたことにあった」
昭和恐慌 飢えた子と売られた女児
あんみつ 「そうか、兵隊ひとりひとりと関係が密だったからこそ、社会の現状への不満をわが事としたんですね。アメリカ発の金融恐慌に東北の凶作が重なり、当時の社会経済は破綻していたと聞きます」
ぜんざい 「昭和恐慌と呼ばれる日本全国を覆った不況は、大都市に失業者をあふれさせたが、とりわけ農村は悲惨を極めた。子どもは欠食し、娘は身売りするしかなかった。当時の兵隊は、そんな家族のために食い扶持を求めて、安い俸給でも兵役に就いていたんだ」
あんみつ 「ときの政府も軍部も、そんな実情に有効な政策が打ち出せず、権力闘争に明け暮れていました」
ぜんざい 「だが、事件そのものは要するにテロリズムだし、結果的に数人の要人を殺害したに過ぎない。事件はこのあと軍部の上層部にいいように利用され、暮らしが楽になる改革を期待した兵隊の希望は、徹底的に裏切られることになる」
あんみつ 「当時の権力闘争といえば、政党、軍部、財閥、それから彼らのあいだを暗躍した民間地下結社でしょうか」
ぜんざい 「それに、元老や内大臣を擁する宮廷勢力を入れるべきだろう。それらの離合集散は驚くほど無節操だ。共通するのは、ことごとく国民を見ていないこと。自らの利益第一で、そのためには流血を辞さない暴力的なところだね。それがやがて日中戦争の大陸侵略につながり、英米戦争での破局に導く」
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今回はここまでです。
事件を起こした青年将校たちとは、当時の軍部の上層部と兵隊の中間で、社会の現状に矛盾を感じていた面々でした。
次回は当時の権力闘争を、政党政治の腐敗と、軍部の政治への介入から整理してみましょう。
それではごきげんよう(・∀・)/。