R大学文学部史学科のぜんざい教授ねこへびは、学食のスイーツメニューと学生相手の歴史トークがなによりの楽しみ。

 

 今日も、教え子のゼミ生・あんみつ君ニコニコと歴史談義に興じているようです。

 

 さてさて、今回のテーマは・・・?!

 

 

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チョコ コーヒー

 

 あんみつべーっだ! 「あ、先生こんにちは。いや~、今年の冬は寒いですねぇ。ボクが入学してからこんな寒いことなかったですよ」

 

 ぜんざいねこへび 「この街に道路まで雪が積もるなんて、そうそうないからねぇ。電車の本数が減ったりしたから、この前はきみも帰宅がたいへんだったろう」

 

 あんみつにひひ 「ほんとに雪が残ると不便します。そういえば赤穂浪士の討ち入りって、今の暦に直すとちょうど今ごろでしたっけ。江戸の雪の晩だから、当時も冷えたでしょうね~」

 

 ぜんざいねこへび 「東京が雪で埋もれるなんて、そうそうないからね。だからこそ首都として発展できたわけなんだけど。しかし数十年に一度くらいはドカ雪に見舞われることもある。討ち入りの日だってそうだろうし、記録上東京でいちばん豪雪があったのは、1936(昭和11)年の2月25日だ」

 

 あんみつえっ 「どっかで聞いたような日付け・・・あっ、二・二六事件の前日じゃないですかぁ」

 

 ぜんざいねこへび 「そう。26日の早朝も大雪が舞っていた。昭和維新を標榜した青年将校たちが、陸軍史上初めて組織だった反乱を実行した事件だが、きみもだいたいの内容は知っているかな?」

 

 あんみつ得意げ 「だいたい、ですかねぇ~。事件の経緯が複雑すぎるし、今だに新事実とかいって、関連本やテレビ特集が組まれるくらい関心が高いのに、ボクはあまり詳しくはありません」

 

 ぜんざいねこへび 「おそらく関係者の証言や資料が逆に豊富すぎて、取捨選択すればどんなストーリーも組み立てられるからだろう。青年将校たちを 義挙 といって称賛する人もいれば、昭和天皇のように間髪入れず <反乱軍> と切り捨てる見方もある」

 

 

2月27日付 大阪朝日新聞

 

 

 あんみつむっ 「義挙というには無理がありますよねぇ~。軍人がいきなり政府要人の寝込みを襲い、高橋是清蔵相、斎藤 実内大臣、渡辺錠太郎教育総監を惨殺したんですから。首相官邸も襲撃され、岡田啓介総理は妹婿・松尾伝蔵大佐が身代わりになって命拾いしましたが、事件が終わるまでは総理も死んだと思われていました」

 

 ぜんざいねこへび 「要人の私邸だけではない。反乱軍約1500人は16箇所に分かれて、警視庁や参謀本部、新聞社まで占拠するという大掛かりなものだった。範囲でいうと半蔵門、赤坂、虎ノ門だから、現在でも首都の心臓部だね。そこを四日間にわたって封鎖したものだから、政府・軍部・市民の衝撃は大きかった」

 

 あんみつシラー 「反乱軍は <尊皇討奸> を掲げていたんですよね。動機としては彼らなりに大義があったんでしょうか」

 

 ぜんざいねこへび 「まさに、青年将校たちがどうしてクーデターを実行したのか、目的はなにか、また青年将校とはどういう人々なのか が吹雪の先のように見えにくいことが、君のいうあまり詳しくない、の理由だろう」

 

 あんみつにひひ 「落語家の故・柳家小さん師匠のように、ついてこいと言われるままに動いたら、反乱側にいたみたいな、自分がなにをしてるかわからない兵士も多かったと聞きますし」

 

 ぜんざいねこへび 「たしかにね。青年将校たちも用意周到とはいえない、ドロナワ的な面もある。高邁な理想に燃えていた、とは美化しすぎだろう。現に ‟ダルマさん” と呼ばれ国民に親しまれていた高橋是清の惨殺は、反乱軍を心のうちで応援していた市民にすら背を向けさせるものだった」

 

 

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 本日はここまでです。

 

 今回のテーマは、二・二六事件。

 

 “帝国時代の終わりの始まり” となった一大事件の前後関係をみながら、原因と結果を整理していきましょう。できればちょうど来月末に完結したい(笑)。

 

 

 それではごきげんようm(_ _ )m。

 

 

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