ミュージカル モーツァルト!
@帝国劇場
2024/9/15(日)17:45
えーと、
今回は主に京本ヴォルフに対してけっこう辛口なことを書きます。
ここは私のチラシの裏なので…
何卒ご了承の上でお読みくださいませ。
※誹謗中傷の意図などは一切ありません、過去のブログとか読んでいただければお分かりいただけますが私は大我さんのこと、好きです。

たぶんなんだけど、大我さん、かなりギリギリだと思います。ギリギリだってことに、自分自身できちんと気づけてないくらいにギリギリのところで演っている感じ。
ヴォルフガングという役は本当にこの作品のすべてというくらいの比重で……タイトルロールとはまさにこのこと。いったいどれだけの負荷がかかることか…
1幕の余裕のなさがキツイですね…余裕がないと、今は俯瞰で見て修正することも難しいと思う。
ビッグナンバーの数々をJ-POPみたいに歌わないでほしい。J-POPみたいに歌詞に対してそのままの振り付けを付けて踊らないでほしい。
初日からこれは気になってたんだけど、なんだよ『振り付け』って……???どうしてそれでいいと、それでいこうと思ったんだ。いっそ棒立ちで歌ってくれたほうがまだ幾分マシになるでしょう。
歌唱の際の声の出し方の技術も声量も音域も、正直まだまだ物足りない。とはいえ今すぐ急にそれを改善するのは難しいことだと本人が一番わかっているはず。
…であれば、そこの減点を最小限にしつつも、どこかで加点を取っていかないと作品のクオリティが担保されなくなってしまう。
つまるところ、芝居に振るしかないじゃん………?
なのに、『歌うこと』と『振り付けやジェスチャーや小ネタ、それに加えて決まった舞台上の動き』を両立させようとしすぎているように感じます。
…ねえ芝居は?????芝居はどこにいきましたか!!!!?????
小手先でやろうとするな。日替わりネタやかわいらしい仕草なんか別になくていいし、今は気にしなくていい。
2幕以降で急に良くなってみえるのは、物語の展開もあるけれど、一番は歌やそれに伴う動きの分量が減るからなんじゃないかな。ビッグナンバーが減るぶんの余裕が、熱量が、自然と芝居に注がれていく印象。
1幕も星金のときの場面の大我ヴォルフには良さがちゃんとみえるので。
いやまあ……ミュージカルで歌ってないときがいいとか言ってしまったら元も子もないような気もするけれど…それでも全体のクオリティというか満足度をあげるために今の彼がやるべきは1幕と2幕きちんと通してヴォルフガングに命を吹き込むことだと思うんですよね。
今一度、役と向き合ってみてほしい。
プラター公園でコンスに躾けられる犬のように甘えた仕草したり、箱の中のアルコ伯爵の顔を塞いでみせたり、パパからはデコピンみたいのされたりしていて仲良く二人で肩組んだり、初めてみるようなアドリブが増えていた1幕。
かわいらしいけれど、かわいい『振り(付け)』にみえてしまって…
決められた枠組みの中で、軽やかに楽しそうに若さと瑞々しさでもって動いているけど、どうにもヴォルフガングモーツァルトという存在自体が生きているようにみえなくて……なんでこんなに引き込まれるものがないんだろうと1幕は本当に頭抱えてしまった。
そして、僕こそ音楽、残酷な人生、影を逃れて…
有名すぎるナンバーを、「歌えることが
ただ楽しい、嬉しい」じゃダメだよ…。ここはカラオケ会場でもコンサート会場でもないんだ。
歌詞の意味からおこしただけの振り付けなんか踊ってるヒマあったらもっと歌うことそのものに集中してほしいし、それができたらヴォルフガングという役のそのときそのときの心の動きに集中してほしい。
この回、影を逃れてのアマデの羽ペンの仕掛けの蓋がうまく外れなくて、それがむき出しなってしまった数秒がありました。前日の古川回でも同じようなことがおきていたというレポを見ていて、前日は古川ヴォルフが咄嗟に羽ペンに掴みかかるようにして蓋を取ってぶん投げていたとか。…うん、まあその対応が正解であるというわけでもないしアクシデントなんだけど、アマデが自らの意思で羽ペンの細工を外すのは……やっぱり違うよね、話の筋が違くなっちゃう。おそらく大我さんは気づいてなかったと思うんです、もしくは気づいてもどうとも動けなかったか(前者だと思う)。
やっぱりねえ、余裕はないんだと思う。芝居の相手を見る、受けて返すみたいな部分まで気が回りきらないように感じる。
古川くんが稽古場初日から「3回目だし余裕の仮面をかぶっていこうと…」でも「無理だった」から「出演者の皆様にこの際バカなふりしてたくさん話をするようにした」みたいなことを話してますが、そういう役です。小手先でなんて、余裕でなんて、できるわけない。
ましてや初役となる大我さんなら尚更です。
どうやったって、Wキャストは比べられます。京本ファンは片方だけ観てベタ褒めしてる層もいるだろうし、このWの関係性込みで好きな古川ファンは比較的甘めの感想をもつ層もいるでしょう(いや私だってここの層の気持ちもめちゃめちゃわかる……だけどやっぱり観劇するからには物語を!芝居を!全身で浴びたいという欲が勝ります)
ミュージカルが好き、作品が好き、あるいは大我さんのファンの中でも彼の仕事に不満をもっている層、いろんな人がいて……かなり厳しい感想も確実に彼の耳には届いているだろうと予想できます。だけど歯を食いしばって、1公演1公演 穴を空けることなく日々全うしていかなきゃならない。
どうにか乗りこなしているような日々の中で、なかなか今の仕上がりを大きく崩して化けることは難しいだろうな…とは思います。でもどこかで化けてほしい。まだまだ期待していたいのです。
2幕の良いところは父との不和への悲しみ苛立ち怒りが自然なところ、父の死を聞かされて素直に痛切に悲しみ……そしてその拠り所を失ったことで よりアマデに侵食されるように、才能に縋るようにみえたのは凄くよかった。
「大人になった男は…」のあとのアマデを追うあの空虚さはゾッとしたし、たぶんそれが真彩コンスにも伝わっていたから、今回のコンスはヴォルフガングを追い縋るのに泣くよりも愕然としたようなものが色濃くて、あの瞬間の芝居の嵌まりかたは気持ちよかったな…!
レクイエム作曲の壮絶さもいいし、ラストの僕ミュリプライズ前、近づいてきたアマデの足元に椅子から転げ落ちて倒れ込んだのとかも「限界」をスッと感じさせる表現として面白かったし、死にゆく瞬間に光るものを残してくれるのは印象値がぐっと上がります。
(…なので、まあこの先のチケット手放さなくてもいいかな。という気持ちにはなんとかなりました←)(すみませんね…ちょっと古川くんが怖いくらい調子良くてどうしてもそちらに心を持っていかれてしまっており…)
今、時々思うことがあります。
9年以上前のあの日、大我さんが問題なく舞台に立っていたら、私は今どんな人生だったんだろうと。
京本担になっていただろうか?
古川くんにはいつ出会うことになっていただろうか?
そして今帝劇でWキャストで主演をつとめるこの二人の関係性自体も変わっていたかもしれない。
こんな『もしも』に意味はないけれど、だからこそ起きたことすべてが必然だったんだなあと思います。ちょっと不思議な引きで生きてるオタク人生、なかなか楽しいものです。
うん、
長くなりましたねえ…
お目汚し失礼しました。