古くは東漸寺といった浄土宗天宗山光明寺。甲斐国志にはこのお寺が城氏の菩提寺であったといい、周辺は城氏が治めていたと伝えています。
墓地に行くと、城氏の墓誌があります。中央の「照連社明譽意安比丘」がここでの城景茂(城意庵)の法名。その左隣の「光雲院続閑妙照大姉」は夫人の法名です。
城氏は元上杉氏家臣。上杉氏を離反し武田氏に足軽隊将として仕えます。陣立書などでは鉄砲衆と記載されています。武田氏滅亡後は徳川氏に仕えます。
光明寺には三科家の墓地もありました。そこには、三科肥前守のことが記されている墓誌があります。三科肥前は主に山県衆として活躍します。武田氏滅亡後は井伊直政に仕えています。
住所:山梨県山梨市上神内川
写真撮影日:2009年5月4日
参考資料など:甲斐国志・武田氏家臣団人名辞典など