YouTubeの怪談も馬鹿にならない  ※訂正とおわび兼ねて | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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〈訂正とおわび〉投稿時点で、群馬県川場村についての誤記がありました。現在は「川場町」と誤記したのは私の浅学によるもので、事実は現在も「川場村」でした。改めて本文を訂正し、おわびします。

 

 

 三木大雲和尚だの他の何だのをサーフィンして怪談の動画を楽しんでいる。

 ほとんどは跡形もなく忘れ去ってしまうもので、こうした「消費動画」に埋没するよりは、鏡花作品を再読した方がはるかに有益であることは重々承知しているのだが、それでも、気軽に「ながら視聴」ができるから、どうしても埋没してしまうのである。

 ところが、案外、馬鹿にならないことはあるもので、というのも、跡形もなく忘れ去って後には何も残らないと実感していた矢先に思わぬ「史実」に遭遇した。

 それは隠れキリシタンにまつわるものである。

 実は、私がこれまで生半可に知っている隠れキリシタンに関わる史実はひたすら長崎に集中しているばかりであって、それが関東圏にも厳然としてあるなどとは夢にも思わなかった。

 しかしながら、あるのだ。

 どうやらそれは群馬県に集中しているらしい。

 しかも、私がトライク日帰りソロツーリングで訪れる上野村、その上野村の道の駅で売られている「川場シードル」の川場村がそうらしいのである。

 

 オカルト交じりの動画は多少うさんくさい。

 しかし、オカルトの要素などまるでない、ドキュメント紀行動画もある。

 まあオカルトは愛嬌で加味されてもかまわない(笑)。

 かつて、私は諸星大二郎の「奇談」に魅了されたことがあった。今でも頭の片隅にある。

 あの奇妙奇態な物語はただの絵空事ではないと思い始めている。いくつかの動画の視聴のあとで。

 つまりは、怪談動画のその先には、群馬の隠れキリシタンにまつわる史実が、それもトンデモ説ではない、森厳な史実が眺望できるのである。

 怪談動画も、だから馬鹿にできないと改めて思う。