還暦過ぎオヤジの立ち読み日記 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 ここではないどこかへ行きたいという衝動から、勤め人の頃はやみくもに本を買いあさっていた。

 買った本の中には中途まで読んだものもあれば、まるで未読のものもある。

 退職後の今は、そうした乱費は控えるべきだし、少なくない未読の本に向き合う必要もある。そんな自省をしたのだが、一方で立ち読み程度で済み、買い求める程でもない本もごまんとある。

 そうした立ち読みで済ませてしまった本についても、好き勝手に書いていくことにした。

 

 つい先日、地元駅ビルの書店で見かけた雑誌「ユリイカ」最新号が「山田太一特集」であることを知った。

 パラパラとめくってみる。

 分析的論評のたぐいはどれも興味を引かれない。

 俳優の国広富之のインタビューを読んでみる。

 ああ、そうだった。「岸辺のアルバム」の主人公の青年は彼が演じたのだった。その後、「ふぞろいの林檎たち」の一人も。

 「岸辺のアルバム」はシナリオを読んだが、ドラマを通しで観る機会がなかった。

 「ふぞろい・・・」は、シナリオはすべて読み、第一回のシリーズだけは見逃していた回もあったが、それ以降はすべて観た記憶がある。

 ただし、国広のインタビューは長い期間にわたってのもので、一点突破という趣はないため、面白くなかった。

 

 「ふぞろい・・・」に出ていた俳優の中島唱子の寄稿がある。

 実は、この寄稿に最も惹き込まれた。

 中島はオーディション合格の直後、「ブス代表としての合格」であるかのような記事を書かれ、ひどく傷ついた。もし、それが事実であるのなら、辞退したいという旨、人づてに山田太一に伝えたらしい。

 山田太一の返答は「あなたは、あの時のオーディションを受けた人たちの中で最も輝いていました」というものだった。

 これは、生涯、中島の胸に沁みるものだっただろう。

 

 この中島の寄稿以外には大して魅力を感じなかった。

 だから立ち読みで終わってしまった。

 どんな追悼特集であれば買っただろうか。

 ひとつには、徹底してドラマを演じた俳優たちの裏話を含めての実録本であったなら、と思う。

 例えば、山田太一は風間杜夫と松坂慶子を多く起用しているのである。

 この二人へのインタビューまたは寄稿なくては、つまらない。

 晩年期の笠智衆もそうである。

 ファンとしては、この三人の多用は分かる気がするのである。三人はそれぞれ出ると雰囲気がふんわりとするのである。

 最後の連続ドラマとなった「ありふれた奇跡」の出演者たちにもご登場願いたい。

 とりわけ、陣内孝則は素晴らしかった。ただのリアリズムで終わるなら、あのドラマはあまりにも痛々しく、あまりにも現実的に過ぎた。陣内の演技には独特の色気としゃれっ気があった。

  

 

 山田太一作品には、一貫して流れる静かなテーマがあるように思う。

 それは「一体、自分はこんな毎日を送っていていいのだろうか」という、小さなうずきが主人公を襲うというものだ。

 分析的論評はつまらないと書きながら、そのたぐいのことを書いてしまうのかも知れないのだが、少なくとも私は「客観的分析」なるものなどできない。すべて、我が身に置き替えて観てしまう。

 だから、「ふぞろい・・・」のいくつかの場面は、あまりに照れくさくて、更には恥ずかしくて、まともに観ることができなかった。

 「シャツの店」で、息子の恋人にからかわれてしまった時の主人公も、何だか他人事には思えなかった。尚、このドラマでの主人公である鶴田浩二は渾身の演技だった。八千草薫はいつものように裏切らない。

 そう、今は亡き鶴田浩二も八千草も山田作品を語る俳優としては欠かせない。

 往時に語っていたり、書いていたりしたものがあれば、それらを収録してほしかった。

 故人としては細川俊之も然り。

 

 「こんな毎日でいいのか」という小さな、しかし、とんでもない自問自答は「社会評論」ではない。

 そこには自分の人生が賭けられている。自分という人間の主体が実践的に問われている。

 だから、例えば『しょぼい喫茶店の本』の著者の人生の選択は、もし、山田太一が取材していたならドラマになっていただろう。

 すべてがあらかじめ決められて、先まで見えてしまっている人生。風景も何も変化を期待できない、自分の人間としての可能性など否定され尽くしてしまった無惨な人生。

 それら一切合切を強制するイマドキの日本に彼は悲鳴を上げ、ジレンマに陥り、異議申し立てをし、ひとつの選択をしたのだ。

 

 こんなことを書いて行くと当然のことなのだが、私は自省せざるをえない。

 退職した還暦過ぎのオヤジ、前期高齢者直前のオヤジにとってみれば、日月金の週三日間、六時間ずつの新たに始める労働は、仕方のない選択である。一芸で収入を得るなどという才能もないから、ただのアルバイトしか選択の余地はない。

 ミニコミ紙の編集だの、孫守りだのという用事の入る曜日を避けたら、この週三日間の選択という結果になった。

 来月初旬から働き始めることになる。

 そうして、七月だか八月だかから始まる年金受給だけでは「食って行けない」現実と付き合い続けなければならない。

 

 だが、こんな暮らしをこれからいつまでするつもりなのか。

 しなければならないのか。

 

 遠からず、私もイマドキの日本に悲鳴を上げ、ジレンマに陥り、しかし、異議申し立てやまるで違う選択をするだろうか。

 できるだろうか。

 

 そんなことを山田太一作品は、問うて来る。凡夫である私に。いや、凡夫であるからこその私に。