文化文政時代を知るために概説本とともに原史料を | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 文化文政時代を知って行くためには的確な概説本も必要だが、原史料も読み込みたい。ただし、古文書そのものを読解する力などないから、当時の原文が採録された今時の本ということなる。

 概説本としては青木美智男の『日本文化の原型』に続き、同じ小学館による日本の歴史シリーズ中の一冊で同じ著者による『近代の予兆』を古本で注文した。

 

 原史料ということになると、いちおう青木美智男の『小林一茶』は、史料の断片読みではある。近々、届くはずの金子兜太の『小林一茶』も同じである。

 なお、『小林一茶全集』が2万数千円で買えることが分かった。今後の自分の意欲と読解力次第なのだが(笑)、少しばかり購入を検討中である。

 『東海道中膝栗毛』はネット上の「青空文庫」で読み始めたのだが、紙媒体で読むのが習慣になっている自分には読み進めようとする時に少々煩わしく、しかもパソコンに向かう時以外には読めない。岩波文庫の上下巻を古本で買っても800円しないことが分かったので早速注文した。

 北斎の『喜能会之故真通』も原史料そのものである。ただ、愉しむだけなら「海女と蛸」の図版と釈文だけでお腹いっぱいだけどなあ。まあ、気が向いたら他の複製、復刻本を手にしてみようか。

 

 今、文化文政時代はマイブームになっている。

 広く深く知ろうというもくろみなのだが、実はそこには「自分が今、ヘボ大学生であり、ヘボ卒論を書くのだとしたら」という仮定がある。ヘボ卒論を書くためには概説本にばかり手を出していてもダメである。優れた概説本に導かれながらも、その先は原史料に当たり、自分の感性を動員する必要がある。

 これまで鏡花については、ヘボ卒論を三本くらいは書けたつもりでいる。

 黒島傳治については一本、同じように藤枝静男、テネシー・ウィリアムズも書けたし、いざ書こうと思えば書けるつもりである。

 山田太一さんは・・・味わうだけでいいと思っている。分析は自分には必要ない。

 

 ぶっちゃけて言えば、概説本は「又聞き」に過ぎない。原史料は、例え今時の再録・再版モノだとしても、自分がつかんだ「証拠」になるわけだ。

 例えば、ある幕末関係の概説本で「坂本竜馬なんて何も評価すべき点はない」というくだりにでっくわしたことがあった。しかし、勝海舟の『幕末日記』を読んでいくと、少なくとも勝は竜馬を度々、薩長のリーダーたちに「使い」として送っていて、竜馬の西郷に対する人物評についても付記している。この1点を考えても「評価すべき点はない」とは言えないことが分かる。

 そんなわけで、文化文政時代についても「又聞き」ではなく「証拠」を掴んでいきたいと思っている。