ミルクコーヒーを飲みながら、小三治の宿題を考える | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 自家製コーヒーゼリーに入れる純生クリームを一度買って、まだ消費し切っていないのでコーヒーにも入れてみた。

 タカナシというメーカーの商品で、スーパーではこれだけが添加物なしのクリームだった。

 100グラム250円ちょっとで、今のところ二週間は使っているから(と言ってもコーヒーゼリーにだけなので毎日ではないが)、そんなにゼイタクでもないだろう。

 コーヒーに入れるのも気分次第なので、これからも毎回というわけではないから、そんなにすぐになくならない。切れたらまた買ってみようか。

 

 ところで、ボンクラ頭の中を渦巻いているモノのひとつに、噺家の柳家小三治が遺してくれた宿題がある。

 ただし、こちらが好き勝手に宿題と受け止めていることであることは言うまでもない。

 

 モノもコトもヒトも〇か✕かで決める・・・そういう簡単な答えの出し方に終わらない何かをアンタはしているか?

 

 これが小三治という噺家の遺してくれた宿題である。

 過去には、実にマヌケな答え探しをしていたいきさつがある。

 そのひとつは、同じ噺家の三遊亭圓生にまつわる、ある決定的なことがらである。

 圓生は、戦中、中国大陸に残らざるを得ず、生死の境をさまよう経験をし、戦後、帰還できたのだが、その経験をくぐった後、「上手くなった」と噺家仲間からも客筋からも評論家からも言われるようになった。

 なぜか。どのように上手くなったのか。

 その答えを知りたくて、圓生の自伝『寄席育ち』を読んだ。

 しかし、答えは見つからない。本人さえ、言われた当初は本気にせず「バカにすんない」と思っていた。

 だから、答えはない。謎のままだ。

 「こういうことが原因で、特にこういう噺が上手くなった」なんていう答えを見つけようとすることそのものが、あまりに浅はかで愚かなのだ。

 

 ・・・〇✕の択一で来て・・・簡単こそすべてっていう世の中になって来ているでしょ。・・・

 遠回りをすればするほど実りは多いってことを知らないんじゃないかな。金に換算してプラスになるかっていうことばかり考えてる。・・・

 雑誌「別冊太陽 十代目 柳家小三治」のロングインタビューのほんの一部である。

 若手噺家への苦言なのだが、小三治はイマドキのニンゲンすべてを相手に言っているともとれる。

 それでいいのか、と。

 

 私はこの宿題をずっとずっと突きつけられている。

 (つまり、こういうことかなあ)などと言おうものなら、たちどころに

 「ずいぶん簡単だなあ」「え、もう分かっちゃったの」「実にどうも浅いねえ」「そうやってよくスラスラと言葉にできるね。分かんないってのは、そんなに簡単に言葉にできるものなのかい?」

 とたしなめられる。

 いや、これだって勝手な妄想です。

 

 でもね、既に故人のこの方に関わって、こんな風な勝手な妄想を持つのもファンの隠れた特権なのですよ。