今日は朝から快晴。
 降り注ぐ太陽の光を受けて山形に行ってきました。

 山形の遅筆堂文庫という故・井上ひさしさんの資料が収められているシベールアリーナで、吉永小百合さんのチャリティ朗読会がありました。

 吉永さんは井上さんがお元気なころ、「ぜひ朗読を」との依頼を受けていたそうですが、ちょうど母べえの映画の撮影で実現しなかったことがあったそうです。
 その後井上さんとお会いになる機会もないままに、井上さんがお亡くなりになってしまって、そのことがとっても気になっていたのだと思います。

 そんなエピソードで始まった朗読会は、300人くらいの人が入る劇場風のホールは満員のひとでいっぱいでした。

 東京を出るときには青空がまぶしかったのですが、福島を過ぎ山形県に入るとあたり一面の雪景色。

 天気予報では今日、明日と豪雪になるとの予報が出ていましたが、私には今年初めての雪。

 寒さで身がしまる思いをしましたが、会場の中は、息をつめた観客の熱気でいっぱい。

 朗読はヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマをテーマに、名もない人たちがつくったいのちの詩を、吉永さんは渾身の思いを込めて語ってくれました。

 これまでにヒロシマ、ナガサキの詩の朗読は何度も聞いていますが、私はフクシマの詩は初めて。

 なんて表現していいかわかりませんが、ともかく「感動」の一言。

 マイク1本であれだけ人の心を打つ朗読が可能なことが信じられないくらい、素晴らしいものでした。

 やはり気持ちが込められているからなのでしょうね。
 その気持ちは、「平和への思い」「風化させてはいけない」という吉永さんの魂の叫びだと私は思いました。

 まだ吉永さんの朗読を聞かれたことのない方はぜひ一度聞いてみてください。

 表現力のすばらしさもありますが、心の底から怒りや祈りが静かに伝わってきますから。 



   東京を出るときは青空が広がっていました。



    山形に近づくとあたり一面の雪景色




   井上ひさしさんの文庫が収められている遅筆堂文庫 近代的な建物でした。




 お知らせです。

 明後日12月7日に、東京の武蔵大学で「風の舞」の上映がありますが、兵庫では障害のある子どもたちの放課後活動をより推進していく研修会の中で、「世界一すてきな僕たち私たちへ」の上映があります。

    詳細は
  場所 こうべまちづくり会館
  時間 10時30分開場 11時開映
  料金 100円
  主催 兵庫障害児放課後ネットワーク
     全国障害者問題研究会兵庫支部共催
  お問い合わせ
     hhyozen@gmail.comまたは
     FAX 078-341-6510までご連絡ください
  なお、映画終了後桜美林大学・茂木俊彦先生の講演
  「障害のある子どもにとっての放課後活  動の大切さ」と、実践報告があります。
  実践報告「障がい児者余暇・生活支援センターじらふ>


  一般の方も入場ができますので、この機会にお近くの方はぜひご参加ください。



 今日は寒い1日でした。

 私は名古屋の港区で行われた「世界一すてきな僕たち私たちへ」の上映会に行ってきました。
 
 会場は港文化小劇場。300人ほど入るホールはほぼ満席に近い状態で、皆さん真剣に映画を観てくださいました。

 主催は港区自立支援協議会、12月の障害者週間の事業の一環として、映画の上映と講演が組まれました。

 講演は「子どもたちの成長のすばらしさ」について。

 聴覚障碍者のための要約筆記が舞台横の画面に出されましたので、私は事前に原稿を送ってた置いて、準備はしておいていただいたのですが、原稿を見ながら話すのはどうも苦手で、結局は原稿とは関係のない事ばかり話してしまい、大変な迷惑をかけてまいました。
映像には字幕スーパーが入っていますので、要約筆記は講演のときだけでしたが、障害のある人たちが大勢参加していただくためには、本当に必要なことなのですね。

 そして、視覚障碍者のためのシーンボイスも行われていました。

 舞台後ろの調整室で、画面の流れに沿ってシーンの説明を入れていくのですが、ナレーションゃ現場の話などの合間に、適切なコメントを入れるシナリオ作りの作業がまずあって、そして実際に映写されている場面を見ながら、ナレーターがコメントを読み上げていくのですが、今日は映画のナレーターが室井滋さんでしたので、シーンボイスのナレーターは男性の方。
 私はその横で映写の確認をしていましたが、間合いをみながらあまり感情を込めずに淡々と説明していく中にも、ナレーターの方の心の動きがストレートに伝わってきて、面白かったです。

 ときどきテレビの副音声を聞いていますが、まさにそのもの。

 でも、いつもは聞き流しているものの、やはり絶妙の技術が必要なのだろうなあと感じました。

 昨日3日は新作の企画書の提出締切日で、このところ何日か徹夜の状態が続いていたので、体調は万全ではありませんでしたが、気分は「出し切った」ことで解放され、シーンボイスの心地よい響きに疲れもすっかりとることができました。

 そして上映会終了後は名古屋まで戻って、来年1月に「風の舞」の上映会とシンポジュウムを計画してくださっている名古屋大学大学院の若い研究者たちと打ち合わせ。

 私か10年前に「風の舞」をつくった時には、それほど若い人たちがハンセン病問題を研究からをハンセン病問題を取り上げた研究がなされていて、大いに刺激を受けています。

 これも時代の流れなのでしょうか?

 ハンセン病問題はすでに終わったこととして、世間ではとらえられる傾向にありますが、90年にわたって行われた強制隔離の施策の中で、私たちに問いかけているものは奥が深く、しっかりと見つめていくことの意義は大きいものがあります。

 私は研究者ではありませんが、10年前に「風の舞」をつくった時のことを思い出しながら、いま若い研究者たちが向かっている研究とどこで繋がっているのかしらと考えたとき、それは自分自身の生き方の問題に帰ってくるのだと、彼らとの話をしながらそんなことを考えていました。

   写真をつけます。
   港文化小劇場での終わりの頃の会場の様子です。


 



 空は雨模様ですが、マンションから見た庭は落ち葉がいっぱいに敷き詰められていて、気持ちがとっても落ちつきます。

 いつもなら、落ち着くどころが、周りの暗さに暗く沈んだ気持ちになるのでしょうが、昨晩はたっぷりと睡眠をとったために、体の疲れが取れているからなのか、そのときの調子によって、周りの景色の捉え方もこんなに変わるのですね。

 先週は土日と、ほかの用事があったので母のところには行けませんでした。

 そして土曜日はほぼ徹夜の状態で企画書づくりに追われ、昨日は「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの集会のために朝早く家を出たので終日、頭がふらふら。

 夕方からの親睦会でも、いつもは他人のものも平らげる私ですのに、昨晩は自分の料理も残してしまうほど。やはり睡眠不足が答えていたのだと思います。

 それで帰宅後はすぐに入浴を済ませて、そのままベッドへ。
 朝まで目が覚めることもなくぐっすり眠ることができました。

 ジェンダーゼミは、ジャーナリストの青木理さんと徳島大学准教授の中里見博さんの講演。
 青木さんは、今の朝日新聞パッシングとマスコミの危険な状況について、そして中里見さんは憲法24条と「慰安婦」問題について。
 どちらの方の講演も、私にはとっても関心があったのですが、想像以上に有意義な内容で、心にストンと落ちるものがありました。

 ただ、人の話を聞くというのはかなりエネルギーがいることでもあり、中里見さんの学術的な説明の時には、少し眠ってしまいました。

 別に内容が悪いわけではなかったのですが、会場の熱気と前夜の睡眠不足と、年からくるエネルギー不足が、「眠り」にいい作用をしてしまったのです。

 中里見先生、失礼をしました。

 でも、話された内容はしっかり心にとどめています。

 今日は、朝早くから起きていたので、メールへのお返事も早めに済ませました。
 そしてこれから、企画書づくりの続きを始めます。
 その前に、12月7日の「風の舞」の上映会のことを少し。

 この上映会は、昨年12月に練馬で「世界一すてきな僕たち私たちへ」を上映してくださったのが縁で、活動が継続している「地域をつくる上映会INねりま」の皆さんが中心になって企画してくださる上映会です。

 皆さんは上映のプロではなく、練馬で働いたり暮らしたりしている方々。

 仕事の合間にチケットを1枚、1枚知人に売って「集客」に頑張っています。

 去る27日に実行委員会がありましたが、「集客」はいまいち。

 ハンセン病というテーマに、人々の食いつきが弱いそうです。

 確かに、映画完成した時も、全国の上映会場で同じようなことを伺ったことがあります。

 ただ、マスコミがかなり大々的に取り上げてくれたことと、観てくださった方の口コミが広がって、大きな反響を呼びました。

 それから10年余。
 長い時間の中で「風の舞」の映画は忘れ去られてしまいました。

 でも、本当に地味ですが、まだどこかの地域でぼつぼつと上映が進められています。

 そんな中、主人公の塔和子さんが昨年お亡くなりになりました。

 私は今回の上映会は、塔和子さんへの追悼の意味も込めて、何とか成功をさせたいと思っています。

 突然に降ってわいたような選挙もあって、お忙しい方もいらっしゃると思いますが、お時間のある方はぜひいらしてください。

 なお、この日の上映会では、当事者でいられる森元美代治さん、武蔵大学教授の永田浩三さんとのトークもあります。

 トークでは、私たちと関係ないと思われがちなハンセン病問題が、今の私たちの生き方にどんなかかわりがあるのかを中心に,会場の皆さんと一緒に討議を深めていきたいと思います。

 どうか、いらしてください。


  日 時  2014年12月7日。13時開場。13時30分開映
  場 所  武蔵大学 シアタールーム(正門を入ったすぐに左建物の地下)
  会 費  大人1000円。障害のある人、中高生 500円 小学生以下 無料
         当日は1200円 
  主 催  「地域をつくる上映会INねりま」実行委員会
  連絡先  03-3867-3903(練馬児童デイサービスぱれっと)
         03-3699-4883(ピース・クリエイト)
        なお会場ではハンセン病療養所・全生園写真パネルの展示もあります。 
        また、保育室も用意しています。(事前登録をしてください)


 
   チラシをつけます。

 
 




 

 今日は朝から1日雨。
 まるで真冬のような寒い日になってしまいました。

 その雨の中、藍工房の映画製作の実行委員会が先ほどまであって、たった今帰ってきたところです。

 帰宅したらまず、夫が作っておいてくれた夜飯をとるのですが、今日は、会議の合間に理事長お手製のお結びをパクパクいただいたので、お腹がいっぱい。
 他にもやるべき仕事もあるのですが、それは後に回すとして、まずはこうしてブログを書いています。


 先週末に高松に行ったことを書きました。
 
 そして帰京後の翌土曜日は、午前中に上映会の打合せを一つ済ませて、その足で母のところに行きました。
 体力的にはかなりきつかったのですが、来週はいけないので、頑張っていってきました。

 土曜日には弟が来てくれていて、彼が帰るのと入れ替えです。

 母は元気ですが、1週おきか2週おきに子ども達が行くだけでは、もう一人暮らしは限界に近いかもしれません。
 でも、本人はまだ気力(カラ元気)は十分にあって、ときどき弱音を吐きつつ、頑張るようです。

 この先どうなるのか心配。

 でも、最大限本人の意思も大事にしたいし、とっても迷うところです。

 まあ無責任のようですが、しばらくはこのままの状態が続くのでしょうね。

 ところで、1か月ほど前に収穫したヘチマのたわしができました。

 先週、腐らしておいた皮をむいて、きれいに洗って陽に干しておいたのです。

 本当はもっとたくさんできると思いましたが、今年は苗の管理が悪かったのか収穫そのものが少なくてもできたのは数本。

 でも、数本でも私にとっては宝です。

 しっかり種もとったことですし、来年はもっとたくさんたわしをつくります。

 母のところでの畑仕事も冬場はあまりすることがありません。
 先週に植えておいたたまねぎは枯れずに育っていますし、ソラマメも絹さやも元気に芽を出してくれています。

 今回はその絹さやを支える支柱を立て、ブロッコリーの間引きをしました。
 
 そして、チューリップの球根を植えました。

 チューリップの球根は毎年買うのですが、昨年の球根がたくさんありましたので今年は買わずに古いものを植えました。

 十分に育たないうちに掘り出しましたので、球根は小さく、花が咲くか心配ですが、咲けばもうけもの。せいぜい肥料をたくさんあげて無理にでも咲かせて見せましょう。

 なんてこと言っていますが…
 今は世の中、選挙をまじかに控えて、本当はこんなのんきなことを言っている場合ではありませんね。

 なんだか「幸せ」とか「希望」とか「夢」とかいう言葉がむなしく感じられる今日この頃、何としても、これらの言葉が実感で感じられる社会にしなくてはと気持ちは焦るのですが、個人の限界も感じてしまいます。

 でも、それはいけないこと。
 他人任せではなく、まずは行動すること。

 果たして何をすればいいのかしら?

 選挙に行くだけではだめですよね。

 でも選挙に行かなくてはもっとダメ。

 ともかく足元から、今の社会をしっかり見つめる目を養わなくては…

 へちまの写真をつけます。
 使用前と使用後。収穫した時の写真とたわしが完成した写真です。


     10月12日の収穫時のヘチマ 




    今回完成したヘチマ  見事でしょう?!





 去る20日には徳島県上板町にある佐藤昭人さんを尋ねたことを書きました。
 
 そして翌日は、朝9時10分の官用船で大島青松園に行きました。

 お天気は上々で、風もなく小春日和の温かい1日でした。

 塔和子さんが亡くなって、大島とはだんだん足が遠のくような気がしますが、やはり大島は私にとっては第2の故郷にも近い懐かしいところ。

 いつもは島に着くとまず最初に塔さんの病室に直行してお見舞いをするのですが、今回はまず第一に福祉室に。

 塔さんのところに行かないというのは何か変な気持ちです。

 福祉室に直行したのは、納骨堂に最初にお参りをしたいと思ったから。

 職員に納骨堂の鍵を開けていただいて、まずはお参り。
 塔さんは、遺骨を入れるガラスケースの端のほうに「塔和子」と書かれて納められていました。
 「塔さん、こんにちは」いつもベットサイドで言っていた言葉を心の中で一言。
 でも、遺骨は何も答えてはくれません。

 考えれば、今の納骨堂は撮影が終わった後に新しく建てられたもの。
 ケースの中の遺骨はあいているケース一つを残してほぼ満床。
 10年前に比べるとかなり多くの遺骨が並んでいました。

 お参りの後は、何人かの親しい人の寮舎に。
 でも、午前中は入浴や診察、リハビリでどなたもいらっしゃいません。

 それで、どこに行くともなく島の中を散策。

 海は青く、風は穏やかで、何とも言えない気持ちのいい時間を堪能しました。

 こんなにゆっくりと島の中を歩いたのは本当に久しぶり。

 しばらく島の中を散策して、再び寮舎に戻り、懐かしい再会を果たしました。

 一人一人にあって、思ったこと。

 皆さん、それぞれにお年を召して、目が見えにくくなっていたり、手に力が入らなかったり、足を骨折したり、透析を始めたりと、それぞれに後遺症を抱えて、生きることそのもとの一生懸命に戦っているという感じ。

 考えればもう皆さん80歳を越えています。

 なんだか寂しいような、厳しい現実に思わずたじろいでしまいましたが、そういう私もそう若くはありません。

 今、将来構想とかで、大島の将来をどうするのが最良かの討議がなされていますが、ともかく今存命の入所者の皆さんが、一番いいと思えるようなあり方を考えなくてはいけないと思いました。

 大島を出たのは1時10分。官用船で高松港に戻ってきました。

 そして、市民の会の酒井さんに迎えに来ていただいて、善通寺市にある東中学校へ。

 立替えたのか真新しい校舎の学校は、とってもきれいで落ち着いた雰囲気が漂っていました。

 東中学校のボランティアプの生徒たちは、以前に、塔さんの詩と出会ったことで若い人たちの感性がどんどんと磨かれ、いま素晴らしい活動を広げています。

 生徒の皆さんとは東京や大島青松園でお会いしていますが、一度是非学校に伺いたいと思っていました。

 授業が終わった後の1時間余。
 部室に入ると、善通寺市で一番おいしいといわれる和菓子屋さんの団子と、これまた生徒お気に入りの洋菓子屋のシュークリーム、そして生徒のお母さんが焼いてくださったという豆乳の焼き菓子を用意して待っていてくれました。

 ボランティア部の生徒は、今は1年生と2年生。3年生はもう部活は終了だそうです。

 まずは1年生から全員が「自分の好きな塔さんの詩」を朗読してくれました。
 そして、なぜその詩が好きなのかの説明を。

 2年生は朗読をいろいろなところで何度もしているので、詩集を見なくてもすっかり覚えている人もいて、朗読の調子もお見事。

 それに詩を選んだ理由がこれまた素晴らしい。

 塔さんの詩が思春期を迎え、悩み多い彼らの人生に、力強い応援歌となっていることがよく伝わってきて、胸が熱くなる思いがしました。

 詩を自分のものとする中で、彼らは、まさに「生きる力」を確実に育てていました。

 「以前からいじめられ、今でもいじめは続いているけれど、もういじめられても怖くなくなりました。」「死にたいと思ったこともあるけれど、塔さんの詩を読むと生きることがどれだけ大切かがわかった気がします」

 それぞれの言葉でそれぞれの気持ちを語ってくれた生徒のみなさん。

 青春の一時期を塔さんの詩と出会ったことの意義は限りなく大きいと、私は思いました。

 そして、ボランティア部の山路先生の「すごさ」を改めて脱帽した思いになりました。
 みなさん、ありがとうございました。

 
 善通寺東中学校を出るころはすっかり日が暮れてから。

 そのあとは高松市に戻り、男女共同参画センターで、前夜祭として「風の舞」の上映。

 観客は多くはありませんでしたが、私は中学生たちと出会ったことで気持ちが満たされていたので、そのことを考えながら元気なころの塔さんの映像に、不思議な新鮮さを感じました。


 そして、そのあとは懇親会。

 まあ、何といろいろと忙しかった1日。

 ホテルに帰るとそのまま心地よい眠りに入りました。

 
 そして翌22日は、「15のときは戻らない」と「無名の人」の上映会。
 「慰安婦」問題に関してと、石井筆子の生き方について、たっぷり話をさせていただきました。

 大島の写真をつけます。

 
     瀬戸内海が一望できる山の上から 

 


    
     風の舞




 



    四国88か所のお遍路路のミニチュア版が大島にはあります。


   山間の土地を入所者の方が耕して野菜を作っています。




   かって手術台して使われていたコンクリートの塊
   長い間海の中に捨てられていた




    



    目の不自由な方のための盲導鈴 島のいたるところに設置され、
    終日音楽が流れています。この盲導鈴はローレライの曲が…




    波止場から観た大島 火葬場と「風の舞」が遠くに見えます。




   
  


 甲信越地方に震度6の地震があったそうです。

 私のところはそれほど揺れませんでしたが、地震と聞くと、あの東日本大震災の時の記憶がよみがえり、足が震えて仕方ありません。雷より何よりも地震は嫌ですね。でも津波の心配はないそうですので、少しは安心です。

 しばらくはコンピュータどころではありませんでしたが、やっと気持ちが落ち着いてきましたので、コンピュータを開いたところ。

 
 去る20日から先ほどまでの3日間、高松に行ってきました。

 3日間とも目的は違いますが、充実した有意義な時を過ごすことができました。

 最初の20日の日は、朝一番の飛行機で東京を発って高松空港へ。

 空港では、ハンセン病問題を考える市民の会の酒井さんと斎藤さんに迎いに来ていただいて、そのまま徳島県上板町に直行。

 以前、藍の葉の撮影に伺った藍師の佐藤昭彦さんのお宅に伺いました。

 佐藤さんは、前にも書いたと思いますが、 阿波藍製造無形文化財、 国指定 卓越技術者 現代の名工といわれる日本でも数少ない藍師の方。

 その佐藤さんのお宅で、藍工房の皆さんが藍の勉強に伺ったのに同行させていただく目的で、私も参加しました。

 というのは、以前は撮影のためにゆっくりと佐藤さんの話を伺うことができませんでしたので、この機会に藍について伺いたいと思ったからです。

 たっぷり2時間余。

 藍の栽培から、染の原料になる「すくも」の製造に至るまでのご苦労も含めた話を伺って、自然あいての「仕事」の厳しさと、豊かな風合いを醸し出す原料の工程について貴重な話を伺い、さすが現代の名工といわれる人の奥の深さに感動することしきり。

 そうした伝統がどんどん失われていくことの寂しさを感じながら、何か気持ちが豊かになるようないい時間を過ごすことができました。

 そして、翌21日、22日は高松に戻り、21日は午前中は大島青松園に、午後は塔さんの詩とじっくり向き合っている善通寺東中学校へ。そのボランティアプの皆さんと楽しい時間を過ごしてきました。そして夜は高松市男女共同参画センターの秋の企画展の一環で行われる「風の舞」の上映会に。22日は「15のときは戻らない」と「無名の人」の上映会に。

 本当は、21日、22日も素晴らしい出会いをたくさんいただいて、書きたいことがたくさんあるのですが、なんだか疲れてしまいました。

 また後日このことは書きます。

 写真を載せます。

      佐藤さんの話を伺っているところです。

  
 


     佐藤さんを囲んでの記念撮影
   


      藍の茎の「すくも」。柔道着の染料になるそうです。




 前回の投稿で、我が家の冷蔵庫と洗濯機が使用不能になったことを書きました。
 なにも、相談したように一緒に壊れなくてもいいものを…その前にはコンピュータも壊れましたし、今度は私の頭が壊れてしまうのではないかと、それが気がかりです。

 まあ、冗談はさておいて、このたび新しい冷蔵庫と洗濯機を思い切って購入しました。
 
 考えれば冷蔵庫も洗濯機も30年以上も使ってきたのですから、そろそろ壊れても仕方がないころかもしれません。

 新しい電化製品は昨日、届きました。

 企画書の作成で寸暇を惜しんでコンピュータに向かっている最中なので、設置に時間がとられるのは嫌だったのですが、冷蔵庫も洗濯機も使えなければ生活に支障が出てしまいます。

 それで昨日は朝から冷蔵庫の中のものを一時避難させたり、洗濯機の置場を確保したりの大忙しさ。

 夫と二人で大奮闘して、なんとか到着の時間には待ち合せましたが、頭で考えていた以上に設置に時間と手間がかかり、結局夜までの1日ががりの大仕事になってしまいました。

 特に洗濯機は、これまで、新井が自由にできるという理由で2層式の古いタイプの洗濯機を使っていましたが、これから先20年も30年も使うことを考えれば、水道代や電力が節約でき、万一おもらしでシーツなどを汚しても楽に選択ができるように、今回は乾燥機付き全自動の最新の洗濯機を買いました。

 ところで私のところは排水設備も水道栓も新しい家電には対応していない古いマンションで、洗濯機をかさ上げする台や水道栓の工事など考えてもいなかった作業が次々に出てきて、そのために工事の人を頼んだり、部品を買いに走ったり…事前に業者に、品物が入るかどうかの下見はしてもらっていたのですが、あまり役に立ちませんでした。

 そのうえ、何と恥ずかしいことに、私は全自動洗濯機の使い方が皆目わかりません。

 目の前にどんと座った洗濯機に恐る恐る手を触れるのですが、相手があまりに巨大すぎで、なんか突然爆発するような恐怖さえ感じてしまいます。

 もちろんこれまでにも、旅行などで全自動洗濯機を使ったことはありますが、使い方がわからないので操作はほとんど人任せ。

 今の若い人たちの中には2層式の使い方を知らない人がいるといいますが、私は反対。

 説明書を隅から隅まで読んで、仕事中の姪に教えてもらって、やっと使い方を習得し、深夜になって初めてたまりにたまった洗濯物を洗うことができました。

 めでたし、めでたしです。

 それに比べて冷蔵庫は電源さえ入れれば時間とももとによく冷えて、これまでの古い冷蔵庫からは考えられないほどの使い勝手の良さに感動の連続。

 台所が狭いので置く場所には随分試行錯誤をしましたが、なんとかうまく使えるように収まって、これもめでたしめでたしです。

 それにしても、疲れました。

 たかが洗濯機と冷蔵庫でこんなに疲れるのですから、もう引越しなんてとても無理。

 運んだり納めてくれるのは、いくら業者がやってくれるといっても、最終的に全体を収めるのは自分なのですから…

 あたりを見渡すと、何と多くのものの中で暮らしていることか。

 極力、不要な物は買わないようにしていますが、身の回りはいろいろなものであふれていることに、今更ながら驚いてしまいました。

 ところで、先週の土日は、3週間ぶりに母のところに行ってきました。

 久しぶりの野良仕事に頑張りすぎたせいか、足腰が痛く、昨日は痛い足腰をかばいながらの作業でしたので、余計に疲れたのかもしれません。

 でも、これからは新しい家電で気持ちよく暮らせるならばそれに越したことはありませんが…

 ところで、夫は、これまでの古い冷蔵庫と洗濯機を業者に引き渡すとき「ありがとう」と、言ったとのこと。私はとてもそんな気持ちの余裕はありませんでした。
 でもよく考えると30年以上も付き合ってくれたのですから、気持ちの中ではやはり「ありがとう」の気持ちはありました。

 ともかくダブルパンチに泣かされた昨日です。
 そして今日は朝から机の前で企画書づくり。
 これがなかなかはかどらなくて困っています。




 昨日はイタリアの精神病院解体を描いた映画「むかしMattoの町があった」のことを書きましたが、今朝の朝日新聞の朝刊の一面の「制度外ホームで『拘束介護』」という記事に激しいショックを感じています。

 精神障碍者も高齢者も…、人間の尊厳がどこまで守られているのか、
 今の私たちの社会はいったいどうなっているのか、
 
 そこで、もう一度昨日の映画のことを思い出しながら、今朝の朝日の朝刊の内容を振り返ってみたいと思います。

 「むかしMattoの町があった」は、実在した人物であるフランコ・バザーリアという精神科医の精神病院改革の戦いを描いたもので、1961年、彼がゴリツィア県立精神病院の院長として赴任するところから始まります。
 その県立病院は、たぶん他の精神病院もそうだったのでしようが、患者の自由や人権は完全に剥奪され、職員の横暴な管理のもとに支配と抑圧が横行し、自分たちの手に負えない患者は電気ショックや拘束で廃人同様にさせられているという「治療」が日常的に行われていました。

 また、社会の人は精神病院が何をするところかもわからないまま、手に負えなくなった娘や夫を半ば強制的に病院に入院させることで家庭や社会から排斥していました。

 映画の主人公の一人であるマルゲリータも、母親に強制的に入院させられた少女。
 (映画の後でわかったことですが、マルゲリータは第二次世界大戦の中でアメリカ兵に輪姦されて生まされた女性、母親自身も深い傷を負っています)

 病院では、鍵のかかった暗い部屋の中で、私物はすべて取り上げられ、素っ裸にされての身体検査。その後はわけのわからない水薬を強制的に飲まされて意識混濁状態に、意識が戻った時には長かった髪はバッサリと切られ、同病の女性患者に犯されそうになったのを跳ね返そうと暴れたために、院内の秩序を乱したという理由で、マスクで息のできないように顔を覆われたところに冷たいシャワーの水を浴びせられ、網のかかった拘束かごに入れられているところに、赴任したばかりのバザーリアがやってきます。
バザーリアは親しい笑顔で彼女に近づいていきますが、マルゲリータは激しい憎悪の表情でじっとバザーリアに目を向けたと思った瞬間、パッと唾を吐きかけ、無言の抵抗と抗議の意思表示をします。

 それは、大学で教鞭をとっていたバザーリアが初めて体験した、教科書の中ではない、現実の精神病者との出会いだったのでしょう。

 もう一人の主人公、ポリスは、15年間、ベットに手足を拘束されたまま、言葉も意思表示もできない状態にされていた巨体の男性。
 (ポリスは大戦中の旧ユーゴで、ファシストとナチスに蹂躙されて家も母親も失い、自らも殺されそうになったときに橋の上から川に飛び込んで一命をとりとめたという体験の持ち主。そのトラウマがしばし彼を苦しめて発狂した)

 職員が流動食を口に運んでいるところにバザーリアがやってきます。
 室内には糞尿の強烈なにおいが充満(画面ではわかりませんが)しています。
 バザーリアがその匂いを指摘すると、職員は彼を拘束している手足をほどいて、壁際に連れて行って、今度は壁につくられた拘束道具で体を固定すると、下着をはがします。
 お尻にはべったり糞尿が…そしてシャワーの水が…両手を拘束されているので身動きができないままにポリスはおとなしく従う以外何もできません。

 映画は、県立の精神病院の非道な姿を二人の患者への管理と抑圧の姿を通して描き出しながらストーリーは進みます。

 当然、こうした精神病棟のありようを見たバザーリアは激しいショックを受け、病院改革への意欲を燃え立たせます。

 その病院改革の一つの方法は、ともかく患者の意見を聞くこと。
 アッセンブレアという全員集会で、一つのテーマを決め、それに対してみんなが自由に発言する。

 はじめのうちのアッセンブレアは、まとまりも取り留めもない要求ばかりをそれぞれに言い合いますが、回数を重ねるにつれ的確なまとまりができてきて、それぞれが明確に意思表示をするようになっていきます。

 この全員集会での意見を出し合う場面は、確か「カッコーの巣の上で」でもあったように思いますが、「カッコーの巣の上で」では自由な討論の場というよりも院内の秩序を保つための看護側の管理の側面が強かったように思います。(でもいくら管理的な面が強くても、何度か繰り返されていく中で、彼らの正当な発言が管理者側を窮地に追いやっていった場面でもあったと思います)

 それに対して「マットーの町」では、患者の心の解放に有機的に作用する「治療」方法の一つとして、心の内が自然に吐露できる場面として使われていたのが印象的でした。

 さらにとっても重要だと思ったのは、医師・バザーリアの患者に向き合う姿勢です。
 彼は「医療側と患者は対等な関係」ということを大事にしていました。
 ですから、制服はすべて廃止。言葉づかいも決して上から目線ではありません。

 私は日本の今の精神病院の実情はよくわかりませんが、果たして医療側と患者の対等な関係はどこまで進んでいるのでしょうか?
 
 そして、精神病院を取り囲んでいる壁も、患者と医師が一緒になって取り壊します。

 みんなが自由に町に出られるようになったのです。

 もちろん町の人たちは、精神病の人が町をうろうろすることに困惑したり、迷惑がったりします。苦情も後を絶ちません。

 そんな中、ある一人の精神病の夫が外泊で家に帰った時、肉体関係を迫った妻に拒否され、いさかいになったはずみに妻が階段から転げ落ちて死亡するという悲しい事件も起きます。

 するとメディアは競って、精神病者は怖いのキャンペーン。

 窮地に陥ったバザーリアは院長職を解任され他ところで第1部は終わります。

 他にも、挿話はたくさんあって書ききれませんが、監督(マルコ・トゥルコ)が言いたかったことは、人間が本来持っている狂気と苦悩を精神病の人の姿に重ねて描いているのだと思います。

 当然ですが、狂気や苦悩はなにも精神病の人たちだけの占有ではありません。
 私たちも深いところに、言い知れない狂気や、苦しみは抱えています。

 そうした狂気や苦悩を抱えながらも、多くの人はそれを必死に内部にとどめて生活しています。

 しかし、様々な人間関係や、経済的な問題や学業上の問題や職場でのストレスなどでその箍が外れたとき、精神の失調は起きるのだと思います。

 ですから、精神病は特別の病気ではなく、だれにも起こりうる、起こってもおかしくない病気でもあるのです。

 でも、私たちは精神病をともすると白眼視します。

 何をするかわからない怖い人として…

 映画の2部だったと思いますが、バザーリアが「狂気は一つの人間的条件で、心の中に理性が存在するのと同じように狂気も存在している」と述べていますが、私も本当にそう思います。

 そして映画の最後のほうで、15年間ベッドに拘束され、廃人同様の状態に置かれていた巨体のポリスが、豊かな人間の感情を取り戻していく過程で、人間関係の折り合いがうまくつかめないままに何度も暴れに暴れて苦しみのるつぼに陥った時、バザーリアに「苦悩が人間をMattoにするのか、Mattoであることが苦悩を感じさせるのか」と問う場面があって、それに対してバザーリアは「それは自分にもわからない」と答える場面があります。

 私は一般の精神科医ならばそうした質問に「わからない」とは答えないと思うのですが、この「わからない」というセリフの中に、精神病者の置かれている現状が凝縮されていると私は思いました。

 苦悩が精神病の元凶であり、精神病の人への医療をはじめとしたさまざまに対応がさらに精神病の人の苦悩を増幅させている…

 そして、そこに一つの答えを見つけた思いもしました。

 それは、人間の苦悩を開放すること。

 たぶん、今様々な地域で行われている支援もそして医療も、彼らの苦悩に真正面に向き合い、ともに苦悩を抱えている者同士として、よりよい関係を築くことから解放への道は開けるのではないかと…

 映画のストーリを書こうと思いながら、また横道にそれてしまいました。

 要するに、精神を患っている人たちが繰り広げる様々なドラマ、楽しい場面も悲しい場面もふんだんに盛り込みながら、精神保健の改革への道筋をひたすら求め続けるバザーリアの戦いの道筋を、中に職員側の苦悩も織り交ぜて描いているのが「むかしMattoの町があった」という映画です。

 そしてバザーリアを中心とした改革派の働きで病院は縮小され、町の中にある24時間オープンの精神保健センターに精神病患者対応への機能は移管されます。

 さらに1978年、イタリア中の精神病院を廃止する法律、180号法が国会で全員一致で採択され、成立します。

 以後イタリアでは新しい精神病院はできなくなり、多くの患者が町に戻ってきました。

 
 まあ、ずいぶん長々ととりとめのないことを書きました。

 本当は事前にまとめて書けばよかったのですが…

 頭の中には今朝の朝日新聞の記事のことが気になっていて、どうしても日本の姿と比べてしまい、長くなってしまいました。

 ところで「制度外ホームでの拘束」の話。
 制度外ホームというのは有料老人ホームとして自治体に届けの出されていない、いわゆる老人マンション。
 
 新聞に載っていたホームは医療法人と連携したマンション業者が経営するものらしく、部屋代や食費、介護費、医療費を含めて月15万円でサービスを提供しているといいます。
 もちろん敷金や入居一時金は不要。原則として医療法人の審査が必要だそうです。

 その制度外ホームには160人のほとんどが要介護5か4の高齢者が入居していて、そのうちの130人に身体拘束が認められたといいます。

 そもそも介護保険が導入されたとき、身体拘束は特別の場合を除いて禁止され、高齢者虐待防止法に抵触する恐れもあります。

 ですから、ベッドを柵で囲んだり、終日車いすに乗せっぱなしにするのも拘束として厳しく指摘されてきました。

 それなのにこのホームでは、ベッドに手足を縛り付けたり、外側から鍵のかかった部屋に軟禁状態に高齢者を置いたり、手が自由に動かないように暑いミトンの手袋をはめたり…その記事を読んでいると1960年代のイタリアの精神病院の様々な場面が交錯して仕方ありません。
 自由に動き回ると転んで骨折や、必要以上に職員の手がかかるから、管理者側の「安全」のために拘束しているのでしょうが、拘束されている高齢者はどんな思いでいるか、人間としての感情が奪われるだけではなく、生きる意欲の低下にもつながる重大な殺人にも等しい行為であることを管理者は知らないわけではないと思います。

 記事を読み進むと、そこには訪問介護のヘルパーも訪れていますが、一人30分のサービス時間の中で何ら人もの高齢者を順番に見ていて、拘束することに最初は罪の意識を感じながらだんだんとねそのことにならされていっている様子も書かれています。

 そもそも制度外ホームに要介護4や5の高齢者が何百人も生活していること自体、貧困な制度を象徴していますが、高齢者の多くは特養などの行き場のない人たちなのでしょう。

 これが高齢社会の一つの現実だとしても、このままで決していいわけがありません。

 社会保険費に回すという名目で消費税も上がりましたが、そして今後ますます増え続ける高齢者介護への対応には難しい問題も多々あると思いますが、人生の最後に人間としての尊厳が踏みにじられる現実は何とも悲しく、重いことです。

 そしてこれは、私にとっても、決して他人ごとではない問題。

 今は体も元気ですが、これから10年先、20年先にはどこでどうして暮しているのか、
 鍵のかけられた狭い部屋の中で、ベッドに縛り付けられている姿を想像すると…

 いくら落ち込んできたとはいえ、経済的には世界第2位を誇る日本なのに、その恥部は、いろいろなところにさまざまに点在しているのですね。

 阿部さん、株の値上がりばかりに目を注ぐのではなく、もっと社会の中で一生懸命に生きている人々にもしっかり目を注がなくてはいけないのではないかしら?

 精神保健の分野では、いま、病院内居住施設なんていうわけのわからない施策が動きだそうとしています。
 これとても精神障碍者は一生涯、病院内に置きと止めようというもの。

 姑息に一部経営者の経済性ばかりを追求するのではなく、だれもが人間らしく生き生きと暮らせる社会を目指してほしいと思います。

 
 


 いま取材中の「藍工房」の関連で、今日は「むかしMattoの町があった」という映画を観てきました。
 レストラン・アンシェーヌ藍の店長の大野さんが、世田谷上映実行委員会の一人としてかかわっていて、今日の上映会のことを知りました。

 この映画は1960年代のイタリアにおこった精神病院解体のドラマで、岡山の友人から2年ほど前に映画のことを聞いていたので、機会があったら是非見てみたいと思っていたものです。

 小雨が降るような寒い1日でしたが、古い世田谷区民間はいっぱいの観客で埋まっていました。

 映画が始まる前に少し、イタリアの精神病の取り組みと日本での違いのミニ解説が。
 今日イタリアでは法律で精神病院の新たな建設は認められていなくて、精神疾患を患っている人たちは地域の中で、ごく普通に暮らしながら医療を受けているそうですが、日本はその逆で、世界中の精神病床の4分の1を占めているそうです。

 ですから映画に描かれている1960年代のイタリアと今の日本の精神病対策は、どこかで似通っているそうです。

 私はこの1年余、精神に障害のある人たちと付き合ってきて、まだよく精神障害に対してよく理解できていないところもありますが、そして今の日本の精神疾患に対する医療や支援の在り方に、何か違和感を感じていますが、今日の映画を観て、その向き合い方の方向性に少し確信が持てたような気がします。

 要するに、統合失調症をはじめとした「精神病」は、医療での治療とともに、その人の全人格を包み込んだ対応が何よりも大切なこと。
 それは、よく精神病は脳の病気と言われていますが、それも仮説にすぎず、心の揺らぎは、その人の置かれた環境や状況が作るものであること。いわゆる精神力動学的視点から精神疾患を見ていくことが今の精神病を理解する上では重要だと私は思いました。

 でも、こうした考え方は、今、主流をなしているアカデミックな精神医学、いわゆる正統精神医学の流れと逆行すると思いますが、精神病は特別の病気ではなく、私たち自身が秘めている精神の働きと紙一重にある心の揺らぎなのだと私は思います。

 素人で何もわからない者が何かを分かったように言うのはおかしいのですが、このところ、私なりにいろいろと学ぶ中で、まず大切なことは、いわゆるエボラ出血熱やインフルエンザなど、科学的にその原因が特定できる病気ではなく、「こころ」という、人間の精神機能に根差した目に見えない病は、病院での診察より生活そのものの中から解き明かしていく必要があるということを、今日の映画でも明確に伝えていました。

 映画の内容はまた書きます。
 ともかく、今日は見に行ってよかったです。

 それは精神疾患に対する私の何となくもやもやしていた疑問が少し解けたから。

 要は、医療以上に適切な支援が必要なこと。

 でも、まだ今の日本では医療偏重の気風が強いように思います。

 そして、今取材中の作品の方向性が少し見えた思いがしました。

 会場の写真です。
 チラシやパンフは転載不可なのでつけられません。