この3日間、母のところに行っていました。

 いつもなら土曜日に行って日曜日に帰ってくるのですが、金曜日の午後、母の腰痛のことで予約していた整形の診察があって、同行したので、朝、新宿で打ち合わせを済ませて、その足で母のところに行きました。

 整形ではレントゲンで骨折の具合を観てくれましたが、母の骨はかなりしっかりしていて、どこにも骨折らしい様子はありませんでした。

 先生曰く「骨折しているともしていないともわかりません」と。
 ですから、レントゲンではわからなくても、もしかしたら骨折しているかもしれませんが、「ぎっくり腰ではないですか?」と。

 トイレの帰りに転倒したのが約1か月前。
 痛みを感じだしたのはその1週間後のこと。

 その痛みと言ったら、そばで見ているのも気の毒になるような相当のもののようでした。

 たまらなくなって診療所に駆けつけましたが、その日は整形の外来もレントゲン技師もいなくて、痛み止めの薬だけをもらって、少しは落ち着いた感じになりましたが、いったいあの痛さはどこからきているのか?

 しかも何日も続いていたのですから、私にもさっぱりわかりません。

 でもまあ、明らかに骨折しているというのでは内容でしたので一安心しましたが…


  翌土曜日はケアマネと今後のことについて相談。

 母はヘルパーは頑として拒否しています。

 それでも安否確認など、専門職が来てくれたら私も安心できますので、訪問看護を利用したらどうかとの知人の勧めもあって、そのことをケアマネと相談しました。

 看護師ならば血圧を測定したり、体調を管理したりと、母も素直に受け入れる気持ちになったようです。

 幸い、昔親しく付き合っていた看護師が「訪問」をやっているというので、その方に来てもらえたらと、ともかく依頼をしました。

 まだ結果はわかりませんが、週に1回でも2回でも来てくれたら、本当に安心です。

 それから、このところ足の筋力が極端に落ちて来ているので(昼間はほとんど寝ていてあまり歩きませんのでそれもそのはずです)、訪問リハもお願いしました。

 でも三浦にはそういうサービスはないそうです。

 それで仕方ないので、当面は訪問看護だけにして、他人の背かに慣れてきたころにヘルパーを利用ではないかと、考えているところで。

 そして今日は、いつも畑を手伝ってくれている友人が二人。

 秋野菜の種まきに来てくれました。

 二人は朝7時に家を出て着いたのが9時ごろ。

 いつもなら私は朝食の時間です。

 でも今朝は頑張って早起きをして、お昼の支度をして、用意万端友達を待ちました。

 天気予報では雨模様の感じでしたが、結局雨は降ることなく、用意していた種はみんな撒くことができました。

 そして周りの草を刈ってくれたり、とても助かりました。

 雨は降らなかったのは良かったのですが、風もなかったために蒸し暑くて、みんな来ていたシャッもびっしょりになるほど汗をかいて、さぞかし疲れたことと思います。

 そして、そろそろ引き上げるこ炉になって、小雨がぼつぼつ。

 日ごろの行いがいいからなのでしょうか、本当によかったです。

 私が帰るころにも雨は小ぶりでしたが、最寄り駅についたころは大粒の雨が降っていました。

 二人もきっと濡れたのではないかなと、少し心配をしています。

 でも、種には恵みの雨かも…。

 あまり強すぎで種が流れださなければいいのですが…

 今日撒いたのは、大根、菜花、レタス、かぶ、ホウレンソウ、小松菜…

 2週間ほど前に、キャベツとカリフラワーブロッコリーを撒きましたので、みんな育てば野菜には不自由しないのですが…

 それから、春先に撒いたタデ藍が花を咲かせ始めました。

 可憐な地味な花です。

 藍を植えたのは、ずっと取材していた藍工房に役に立ててもらおうと思ったから。

 でも、いろいろとあって…

 私自身はあまり使い方も知らなければ、使い道もないのですが、藍染に親しんできたために何となく藍にも近親感が出て、それで植えました。

 花の後には種ができるでしようから、大事に育てたいと思います。


 Yさん、Kさん、ありがとうございました。
 とっても助かりました。
 

 写真をつけます。


 花をつけ始めたタデ藍。

















 このところ涼しいような蒸し暑いようなはっきりしない天気が続いています。

 先週の日曜日は国会へ、安全保障法案反対の集会に参加してきました。

 そのため母のところには土曜日に、日帰り。

 母はやはり圧迫骨折をしているのか、相変わらず痛みが取れなくて泣いていました。

 その母を一人残して帰宅するのは忍びなかったのですが、安倍政権が強行しようとしている「戦争法案」だけはどんなことをしても阻止しなくてはと、集会に参加することにしました。

 私はこれまで秘密保護法、安保法案閣議決定など、安倍政権が推し進めている危険な動きには我慢ならずに、何度か国会や日比谷公園での集会に参加してきました。

 誰から促されたわけでもなく、全く個人的な意思で。

 そして、現地で、同じ思いを共有する何人かの人たちとも仲良くなることができました。

 30日の国会周辺での集会は主催者発表で12万人。警察発表が3万人。
 いったいこの開きはどこから来るのでしょうか?

 私の実感では12万人が正しいように思います。

 それだけどこも身動きができない人たちでごった返していました。

 私はそれが予想できたので少し早めに家を出て、行先を定めて陣地を確保しましたが、開始2時間前にもかかわらず駅は人であふれ、本部舞台の前に行くまでに人波をかき分けなくてはならなくて、それだけで「今日の集会はすごくなる」という予感がしました。

 そして途中ですれ違う人たちは老若男女、それこそ老いも若きも実に粛々と参加していたのが印象的でした。

 1人でこうして参加することに始めは少し戸惑いもありましたが、慣れて来るにしたがって、不安寄りも怒りの思いのほうが強く、自分が強くなっていっているような気がしてなりません。

 たぶん参加している大勢の人がそんな思いで参加しているのでしょう。

 そういうことはこれまであまりなかったのではないかしら?

 まさに歴史的転換期に今私たち入る。
 そんな思いに駆られて、少し晴れ晴れとした思いもしてきました。

 集会は2時少し前に全員でシュプレヒコールを上げるところからスタート。
 何人ものゲストが舞台であいさつをしていましたが、坂本龍一さんのメッセージと、大阪から来たという若い女性のがとっても印象的でした。

 坂本さんは、これまでの政治状況に悲観的になっていたが、今のこの状況はフランスの市民革命にも匹敵する素晴らしい雌雄会で大いにエネルギーをもらったというようなことを話していました。

 また大阪からの若い女性は、自分はこれからの日本に責任を持ちたいから、今のこの状況は何としても変えなくてはいけないと、自分の生き方と重ね合わせた内容に私は心打たされました。

 決まりきった言葉で反対を唱えるより、それはどれだけ心に残るものだったか…

 今回の「戦争法案」反対の中心になっているのはシールズなどの若い人たちですが、その新鮮な働きは、本当に歴史の転換期に来ていることを実感として考えさせられる大きな変化です。

 それにしても、翌日の菅官房長官の談話はひどかったです。

 姑息というか、自分たちの問題を決して認めようとしない言い逃れに終始していて、市民の動きを抹殺するような発言には私は心底怒りを感じました。

 それだけ今の安倍政権は追い詰められている証なのか、それとも数の力で何とか押し通そうともくろんでいるのか…

 考えてみれば、今の小選挙区制の下で国民の10数%の指示でも圧倒的多数の議席が得られる選挙の仕組みそのものが問題ですが、それでも安倍をはじめとした自民党に投票するという人も多いことも確か。

 選挙では「戦争法案」の事には触れずに安倍のミックスとか消費税で国民の目をつぶらせて、まるでだまし討ちのよウニ今の字体をまねているのですから、本当にどっちもどっち。

 でもそれで戦後70年、辛うじて保ってきた「平和」がつぶされてはたまりません。

 そして世界に誇れる憲法を骨抜きするようなことを許すわけにはいきません。

 こんなに緊迫した状況に来ているのに、やはり私は黙っているわけにはいきません。

 私なんか、かなり年老いて、感性もかなり鈍麻してきていますが、若い人たちの動きを見ていると、やはりたくさんの刺激をもらって、もうひと踏ん張り頑張らなくてはと、自然と内面から力が湧いてくるような気がしています。

 30日の集会の後は、やはり個人的に参加していた知人とメールで連絡を取り合って銀座で落ち合い、しばらく雑談の花を咲かせて帰宅しました。

 同じ思いの人は一人ではない。

 私の周りにも何人も、そうして集会に参加した人たちがいました。

 皆さん、お疲れ様でした。

 現場の写真は撮りましたが、同時にビデオを回していたので写真はあまりありません。
 それに本部舞台の周辺でうろうろしていては周りに迷惑をかけるといけないので、初めに陣地をとったところで撮利ましたので、決定的な写真は取れませんでした。

 少し貼り付けます。

 















 まあ、あんなに暑かった夏の日が嘘のようにこのところすっかり涼しくなって、今日中は半そででは寒く感じられたくらい。

 この気温の変化はいったいどうなっているのでしょう。

 なんだか、あの暑さが懐かしく思われるから不思議です。

 やはり私は寒いよりも暑いほうが好き。秋は何となくもの悲しくて切ない気分になります。

 この1週間もやはり時間に追いまくられていました。

 実は先週の木曜日、私が割り付けを担当している「慰安婦」問題のニュースのデザイン原稿の校正で時間のないところに母から「背中が痛くて動けない」という電話が入りました。

 それで「今夜中に行くから」と電話を切ったのですが、校正はなかなか終わらない詩、他の打ち合わせがあったりして、結局その日は夜中まで追いまくられて母のところには行けませんでした。

 翌、金曜日もニュースの入稿前の最終チェックや会議などで行けず仕舞い。

 やっと解放されたのが土曜日。この日は何もなかったので少し早めに家を出たのですが、乗り合わせた電車が人身事故の影響で川崎で運転打ち切り。

 仕方なくJRに乗り換えて久里浜まで行って、そこからまた京浜急行に乗って…結局いつもの倍の4時間もかかってやっと母のところに。

 母はベッドの中で顔面蒼白な顔つきで「痛い、痛い」と。

 それで救急車を呼んで私立病院に行こうといいましたが、それは嫌だと。

 仕方ないので、ともかく背中をさすったり、背中一面に湿布をして何とか収めましたが、そしてそれで幾分痛みも治まったようですので、まずは一安心。

 一人での時間は不安がたまって余計に痛みがつらかったのだと思いました。

 ですから、今回の土日は畑仕事はほとんどできないまま、ずっと母のそばで看病を。

 日曜日の夜は、母の背中の痛みもかなり感じなくなっていましたので、その日はそのまま帰って、火曜日にまた母のところに。

 この日はかかりつけの診療所に行くというので、朝家を出て、お昼の食事をつくって、午後に診療所に。

 しかしこの日は整形の診療はなく、レントゲン技師も夏休みで不在。

 仕方なく痛み止めの頓服と座薬を処方してもらって、コルセットを買って…

 普段痛み止めなどあまり使っていないので、それがかなり効いたようです。

 そして夜遅くに帰宅。

 それから朝まで、やりかけの字幕テロップ入れ作業。

 この字幕テロップ入れ作業というのは、視覚障害のある人のために、映像に字幕を入れるもの。

 コンピュータでやるのですが決められた字数で文章を区切って、一コマ一コマずつ入れていくものすごく時間と気力を要する作業。

 通常なら専門の業者がやる作業なのですが、それではデータ処理になってしまい、気持ちがどうしても入らないので、私にはあまり気が進みません。

 これまでも空いている時間を見てはこつこつと進めてきていて、あと数日もあれば何とか完成の予定。

 そして今日は、新しく完成した映画の、取材に協力してくださった方への試写会。

 7月31日にスタッフのための試写会は終わっていますが、その時は協力者の方は来られなかったので、今日をその日に設定して行いました。

 映画は通常、真っ暗いなかで観るもの。そして音響も事前に調整して。

 でも今日の試写会は施設のブラインドを下ろしただけのややほの暗い中で、小さなプロジェクターと音のあまりよくないアンプで行いましたので、映写環境は最悪。

 それでもブラインドの上に布を張って、いくらかでも暗くしたのですが、途中で止めたピンチが効かなくなって貼り付けた布が落ちてきたりして…本当に最悪。

 私はこれで1時間半をどうしてみんなが絶えてくれるかそればかりが気になって、気がきではありませんでした。

 映画の感想はまあまあ。

 皆さんのその一言を聞きながら、もっといい状態で観ていただきたかったと、今日は心底思いました。

 そして夜、母に電話をすると痛みは相変わらずだとか。
 薬ばかり飲んでいると体に悪いので飲んでいないとのこと。

 まあ飲まないで耐えられるくらいの痛さなら、それはそれでいいのかなと、ともかくあまり動かないように伝え電話を切りましたが、こういう時は一人暮らしはつらいだろうなあと、薄情な娘を少し反省しているところです。

 世の中は、安保法案の審議の真っ最中。

 このところ国会にも行けていませんし、このまま法案が通ってしまったらいったいどうなるのかと気がきではありません。

 30日の10万人国会包囲デモには必ず行くつもり。

  


昨日今日は不安定な気圧配置のためか、朝晩幾分は涼しく感じられるようになりました。

もう秋はすぐそこまで来ているのですね。

まあ、それにしても今年の猛暑はひどかった!

そんな暑さの中で、8月14日に出された安倍談話。

マスコミなどではその内容に賛否両論、評価するとしないが大きく分かれていますが、私は、あれは歴史の真実から眼をそらす、ごまかしに満ちたひどい内容の談話だったと思っています。

もちろん、侵略とか真摯なお詫びとか、これまで懸念されてきたワードは入っていますが、安倍談話にはこれまでの「村山談話」が込めた精神を心から引き継ごうという意思は全く感じられません。

 とくに私が気になったのは「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだり。

 安倍首相はよほど謝罪が嫌なのでしょうね。

 というのは、彼の気持ちの中では、過去に日本が悪いことをしたという認識がないからなのでしょう。

 過去の悪いことというのは、満州事変(日清戦争か?)に始まる過去の大戦での侵略行為のこと。

 中国や朝鮮の人たちの尊い命を奪い、土地を取り上げ、軍隊の横暴がはびこる中で多くの人々にひどい苦しみを負わせ、無垢の少女たちを「慰安婦」に駆り立て、強制連行がはびこっていたあの加害の事実のこと。

 もしそのことに対しての正しい認識がないとすれば、首相としては失格。

 このグローバル化の時代の中で、国益そのものを損なう恐れのある恥ずかしい談話だと私は思います。

 この安倍談話のことを考えていて、私はドイツの敗戦40年後に当時の大統領ヴァイッゼッカーが、ナチスドイツの残虐非道なユダヤ人大量虐殺のホロコーストへの反省を込めて行った演説を思い出してしまいました。

「荒野の40年」と題するこの演説には過去の加害に対する真摯な反省が込められていますが、彼はその中でこういっています。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、全員が過去を引き受けなくてはなりません。全員が過去からの帰結にかかわりあっており、過去に対する責任を負わされているのであります。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」


 何とも格調高い、心のこもった演説です。

 そして世界中が彼の演説に盛大な拍手を送りました。

 まあ、安倍談話とこのヴァイッゼッカー大統領との内容に違いはどこから出て来るのでしょうか?

 私は安倍首相は、歴史を正しくみたくない。見ることは自虐だといって意識的に目をそらす。

 それは、現在国会で審議中の「戦争法案」とも深くかかわりあって、再びあの戦争の泥沼に入ろうとしているからなのだと思います。

 それは、アメリカからの要請でもあり、低成長の日本の経済を兵器産業の興隆で再び成長させようという心づもりもあるのでしょう。

 でもそんなことを許してはいけません。

 そういう意味では今回の安倍談話は日本を崩壊に導く、危険な談話です。
 と同時に、アジアの国々に対する傲慢性の表れでもあると私は思っています。

 それよりも今私たちの国がやらなくてはいけないのは、やはり徹底した謝罪と反省。
 それなくして私たちの国の平和も、本当の未来も開けないのではないでしょうか?

 
  

この12日から16日まで、私は夏休みをとりました。
と言って、どこかに旅行に行ったわけではなく、三浦の母のところへ。
5日間、たっぷりと親孝行と畑仕事に明け暮れました。

少しは自分のための時間を使ってもいいのにと、もう一人の私がささやきますが、母のことを考えるとそれもできなくて、まるで引力にすい寄せられるように出かけてしまいます。

と言って朝から晩まで母の身の回りの世話をしているというわけではないのですが…

そして、不平不満もたらたらと出てきたりもしますが…

やはり傍にいるだけで私のほうが安心できるからなのでしょうか?

それにしても、仕事のことから解放されて、そのほかすべてのかかわりから無になって、体を動かしているというのは精神衛生的にはいいことなのかもしれません。

12日から2日間は、夫も同行。
以前は毎週のように夫の運転で出かけていましたが、免許を返上してからは電車で行くようになって、夫の足もだんだんと遠のいていっていたのですが、盆と正月だけは、そして5月の連休には夫も一緒に行ってくれます。

その他、私の亡くなった弟の妻、つまり私の義妹とその娘も12日から2日間きました。
この義妹も本当に盆と正月だけしか母のところには来なくて、いつも母はそのことで心配したり、不満を私にぶつけたり。

でも、寡婦として仕事を抱えて、なかなか来れないのでしょう。
ただ、せめて電話とか何かの連絡をくれればいいのですが、他の日は無しのつぶて。
私は別に母の介護をしてほしいと言っているわけではないのですが、あまりの不人情にはちょっと疑問がわいてきてしまいます。

でもまあ、あまりそんな愚痴は言わないように、できるだけ気持ちを抑えて…

来たら来たで母も喜びますし、家のこともよくやってくれますので、関係が途絶えないことのほうが大切なのかもしれません。

15日には弟が来てくれました。
弟はお盆には来れないと言っていたのですが、やはり心配なのでしょう。

今年の猛暑は、例年以上にひどかったので私の一番の心配は母の脱水症のこと。
でも、母は私たちが思っているほど暑さを感じないらしく、エアコンはもちろん、扇風機も「寒い」と言っていやがりますので、それほど気にすることはないのかもしれません。

ただ食欲はあまりなく、アイスクリームのように冷たいものとスイカを主食のように食べていますので、それにスイカには塩をたっぷりとつけて…ですから水分不足にはならないのかもしれません。

いま母の介護度は要介護2、1人暮らしは限界に近い状態です。
それなのにヘルパーはいや、デイサービスもいやと言って、あらゆる福祉サービスを拒否しています。

決して人が嫌いではないと思うのですが、矜持があるのでしょうか?
私はヘルパーでも来てくれればどれだけ安心できるかを良く話すのですが、頑としてOKしません。

まあ、そのうちに体が動かなくなって、人に頼らざるを得なくなったら、そうも言っていられなくなるのは目に見えています。
それまで、持久戦。
多分そのために母も頑張っているのかもしれません。

畑の方は、頑張って雑草をきれいに採って、キュウリなどは処分して空いているところはミニ耕耘機で耕しましたので、今はきれいな状態。
出も雑草はたくましいので、今度行ったときにはもう一面の緑が広がっているかもしれません。

それでも一度綺麗にしていますので、泣きたくなるほどではないでしょう。

そろそろ秋野菜の準備をしなくては…
種は少し手に入れましたが、まだそのための圃場は整備していません。

次に行ったときには畝をつくって肥料をやらなくては。
でもこの暑さで、果たしてできるかどうか…

今年の収穫物は、気温が高かったせいか良くできましたが、できるのが早くて枯れるのもそれだけ早かったような気がします。

そして今茄子は秋茄子の準備の真っ最中。
カボチャはもう葉っぱが枯れてきたのですべて始末して、果実だけ残して畑においてあります。

ズッキーニーももうおしまい。
株はきれいに始末しましたが、今年はあまりよく獲れませんでした。

トウモロコシも2週間ほど前が食べごろで、遅く撒いた種ももうおしまい。
生ったままみが枯れてきているのもあって、もったいない気がしています。
出来は最高。毎日食べても食べきれないほど、でも2日も置くと萎れてきてしまって、ほとんど保存はできません。

一つ一つの野菜の始末や収穫をしながら、夏の最盛期が終わったことを実感させられたこの5日間でした。

こうして移ろいゆく季節のなかで、私も年老いていくのかと思うと何とも寂しいような、悲しいような。
でも仕方ないことですよね。
気持ちはいつまでも若いつもりですが、体のほうが思うように動かなかったり、頭の回転が鈍くなったり。

でもまだ年老いているわけにはいきませんので、ここでもう少し頑張って、意欲を持って生きていかなくてはと、自分自身に発破をかけているところです。

かくして終わった夏休み。
本も少しは読めましたし、次回作の構想も頭に描いて、母の家を後にしました。

次回作は、今の危険な安全保障法案について、これまで誰も取り上げたことのなかった分野からのアプローチを考えています。

さて、実際に現実のものとなるかどうか、勝負のしどころです。

写真をつけます。


  姪の運転で海岸通りのファミリーレストランで大好物のパフェを頬張る母。
  縦のサイズがここではできません。
  
 





 綺麗になった畑に残っているかぼちゃ。すでに3つほど食べましたが甘くておいしかったで  す。




 そしてよく実っているトウモロコシ。
 もう食べ頃が過ぎてしまいました。





 母の家最終日の夕方、のんびりと海岸に出てみました。
 風がとっても気持ちよかったです。



 昨日、8月6日は広島に原爆が投下されて70年目の夏。

 70年前のあの日も、今ほどは暑くなくても、やはりうだるような暑さの中で、多くの尊い命が無残にも奪われました。

 毎年夏になると、戦争の事や原爆投下のニュースでテレビや新聞を賑わしますが、私は今年ほど、そうしたニュースに心奪われることはありません。

 それというのも、先日衆議院での強行採決に続いて、いま参議院で審議されている「安全保障関連法案」いわゆる戦争法案の行方が気がかりだからです。

 これまで敗戦後70年、曲がりなりにも平和を維持してきた私たちの国が、この法案のいかんによっては、180度転換し、戦争する国になる危険を含んでいる法案だからです。

 それって考えだけでも、ぞっとします。

 そして絶対にそんなことになってはいけないと。

 いま国会の周辺や渋谷の町中で、若い人たちを中心に「戦争法案」反対のデモを繰り広げられています。

 高校生までがデモに参加しているとか!

 日本の若い人たちは政治には無関心といわれてきましたが、若い人たちも黙っていられなくて声を出し始めてきたというのは、それだけ危機が迫っているということなのでしょう。

 FBでその写真を見ていると胸がじんと熱くなる思いがします。

 私なんか、年を取って、若い人たちほどは動けませんが、それでもことあるごとに、今の政治状況にはNOを言い続けていきたいと思います。

 そして、政治の世界だけではなく、自分自身の身の回りの出来事に関しても、正悪の判断をきちんと持てる知性と理性を育てていきたいと。

 考えたら、世の中、何でも問題なく進めばいいのですが、このところ私の周りでも、困ったことが色々とおきて、気持ちが落ち着かない日々をずっと過ごしてきました。

 私は、きれいごとかもしれませんが、「誠実と真意」という言葉が大好き。

 これまで、相手がどうであれ、かなり不器用に、誠実をモットーに生きてきたつもりですが、いま、そのことを試されている毎日でもあります。

 年をとれば細かいことには達観できる心が醸成されるというのは、もしかしたら嘘なのかしら?

 達観どころか、火中の栗を拾いに行きそうになって、慌てて自分をセーブしたり、そのことで自己嫌悪に陥ったり。

 でも、「正義」は絶対に曲げないつもり。

 何が正義なのか、それも問題ですが、少なくとも人の心をもてあそぶ人間だけは許してはいけないと思います。

 暑さで変なことを言い出して…と思われる方がいるかもしれませんが、いずれ詳しいことが書けるようになると思います。

 話しは変わります。
 ベランダに植えた朝顔がたくさん花をつけ始めました。
 知人がくれた可愛い朝顔の種に、大輪の朝顔の種を混ぜて植えたのですが、今はそれが混じって、何が何だかわからなくなってしまいましたが、朝目を覚ましたとき、何とも気持ちが穏やかになります。

 写真をつけますので見てください。


 









今日も暑かった!
太陽がぎりぎり体に差し込んできて、たまりません。

そんな猛暑の中、昨日は、2年にわたって取材を続けてきた「あい 精神障害と向きあって」のナレーションや音楽入れの作業がありました。

これで映画は完成です。

最初の予定より15分も長くなってしまって1時間35分。

文化庁の芸術文化振興費補助金からの助成を受けた作品です。

ナレーターは緒形直人さんにお願いしました。
私はいつも女性のナレーターが殆どですので今回は最初から男性でいきたいと思っていました。

緒形さんは私の大好きな男優さんで、あの朴訥で誠実な、そしてちょっと気の弱い感じの雰囲気が今回の作品にはぴったり合っているように思います。

まあ内容についての完成度は果たしてどうか?
まだ客観的にはなれませんが、そして心の深いところまでの取材がなかなかできなかったこともあって、内心は忸怩たるものがありますが、まとまった一つの形になると、いい作品に仕上がったのではないかと思っています。

それに音楽も私好みの音楽で、じんと心にしみる素晴らしい音楽です。

主題歌もとってもピュアで私は大好き。

作品に正式な主題歌を入れたのは初めてのことですが、ぐっと内容を引き締めてくれているように思います。

そして今日は、文化庁の関係者やスタッフや、藍工房の関係者のための完成試写会。

新橋のTCCという貸試写室で行いました。

本当に身内の試写会ですので、皆さんの作品を見てくださる芽も暖かく、私には心地よい言葉が次から次へ。

でも、本当にこれは身内の試写会。

社会に出したときには果たしてどんな反応が返るか?

ただ、今日初めて映像を見る文化庁の関係者も好評をくれましたので少し安心しました。

さあ、早く公開のことを決めて、多くの人に見ていただかなくてはなりません。

いつもFBで事前宣伝もしていますので…


ナレーションを読む緒形さん







  今日の完成試写会







 暑い!暑い!
 いったいこの暑さはいつまで続くのかしら?
 まだ夏は始まったばかりですから、この先ずっと続くのでしょうね。

 私は事務所は冷房が入っていますので比較的涼しいのですが、終日そこにいるわけではなく、表に出ていくことも多いので、老いの身にはこの暑さはたまりません。


 ところで、先日、認知症高齢者介護研究研修東京センターでのシンポジュウムのことについて書きました。

 翌土曜日は、そのシンポジュウムにパネラーとして出席されていた韓国認知症家族会会長の李聖姫さんと鎌倉に行きました。

 私は鎌倉は不案内で、知人に案内してもらおうと連絡を入れましたが生憎京都に行ってらして、それはかないませんでした。

 それで二人でとぼとぼと。

 どこに行ったかというと食事をしに、隠れ屋的なしゃれたレストランへ。

 そこで食事をしてタクシーで市内をさっと一巡。

 あまりの暑さに車から降りることもではないで、結局、車の中でずっと話をしっぱなし。

 
 何とも寂しい鎌倉見学でした。

 そして、帰りは李さんは東京へ、私は久里浜に。

 土日はやはり母のことが気になって、気持ちのゆとりが持てなかったのでしようね。

 母の家に着いたのは夕やみ迫る7時ごろ。

 鎌倉で鯵寿司を買っていったのでそれで夕食を済ませて、あとは少し家の掃除や洗濯をしてその日はおしまい。

 そして翌日は、ちょうど弟が来てくれていたので、家の周りの草取りは弟に任せて私は畑の草取り。

 脱水症を気にしながら水をがぶがぶ飲んで、炎天下での草取りをしました。

 鎌倉では徒歩で名所旧跡を見て回る体力はなかったのに、畑の仕事となると、狂気迫る勢いで頑張れるのですから不思議です。

 やはり好きだから?
 それともやらなくてはいけないという強迫観念にとらわれているから?

 きっと両方があるのだと思いますが、雑草を相手に働きまわる姿は、周りから観ると異常に見えるかもしれません。

 そして夜8時。
 熱中症にもならないで、我が家への帰途につきました。

 
 隠れ屋的なレストラン。
  
 






2週間ほど前、朝日新聞大阪本社社会部の高木智子記者から、1冊の本が送られてきました。
タイトルは「隔離の記憶」。数年前に朝日の夕刊に連載していたニッポン人脈記を大幅に加筆修正したもので、ハンセン病強制隔離の中で人生を生きた人々の証言を丹念に取材して書き上げた本です。

全体は12章からなっていて、元患者さん(回復者)の方々がなめさせられた苛酷な人生と、そうした体験を経ながらも生きることをあきらめないで、果敢に戦ってこられたそれぞれの歴史と、そこにかかわった人々との絆がとってもわかりやすく描かれています。

高木さんは私も良く知っている記者で、お互いに連絡を取り合うのはいつも深夜。
「こんなに遅くまで仕事をしているの?」と、彼女の頑張りにはいつも脱帽。
一時は意思の疎通が途絶えて険悪な関係になったこともありましたが、若い女性が真剣に一つのテーマに取り組む姿はたくましく、私にはまぶしく感じられていました。

登場される方々は私もよく知っている方が殆どですが、そうした彼女の頑張りが、この本にはいたるところに感じられ、新しい発見や知らなかったことへの驚きなど新鮮な気持ちで読ませていただきました。

それに記者が書いたといっていいのか、文章が簡潔で、想像を喚起する飛躍もあって、ハンセン病のことを良く知らない人にも最適な1冊だと思います。

最後の12章は詩人の塔和子さんのことを取り上げていて、吉永小百合さんを塔さんにつなげた私のことも少し触れています。

表紙の帯には吉永さんが推薦の言葉を寄せてくださっています。
そしてその写真は初めて塔さんを見舞ってくださったときの塔さんと吉永さん。
あの日、塔さんはとっても嬉しそうで、病室には華やかな空気が流れていました。
皆さん、是非読んでください。

出版は彩流社。定価は2500円+消費税です。






 暑い!本当に暑いですね!!
 まあ夏ですから暑いのは仕方ないとして、年々この暑さがたまらなくなるのは年をとってきているということでしょうか?

 先週の3連休の初日は編集作業で終日潰れ、結局、翌日の朝方まで作業は続いてしまいました。

 まあなんでこんなにと、周囲からはなかなか理解されないようですが、それがある意味根ビュータの限界でもあり、もう一つは私の執念の表れなのかもしれません。

 私は細かいことにはあまりり頓着しない性格で、どちらかというといい加減な、アバウトな人間なのですが、変なところに執着する癖があって、それが編集作業を余計に大変にしているのかもしれません。

 でもこれはいつものこと。

 ですから私も編集マンもそのことは十分承知していて、どんどん深みにはまっていく感じ。

 私たちはこのことを「活動屋魂」なんて自我自賛していますが、もしかしたらものすごく不器用な人間同士なのかもしれません。

 でもこれでやっと編集の方はスタジオでの最後の作業にまでこぎつけることができました。

 それで、あとの2日は、寝不足の頭を抱えて母のところへ。

 先週も行きましたので家の掃除はそれほど大変ではありませんでしたが、畑の方はうんざりするほど雑草が生えていて、2日にわたってあの炎天下、草取りに頑張りました。

 それにしても雑草の生命力の強いこと。

 今回は電動の簡易な草刈機を使わなければ処理できないほど、あたり一面緑の草原。

 熱中症になってはいけないので水分をたっぷりとって、大汗を流して…

 月曜日には甥の家族が海水浴に来て、母はとっても嬉しそうにひ孫の相手をしていました。

 野菜はというと、キュウリも茄子もトウモロコシも、他の夏野菜も今が盛り。
 本当に食べきれないほどできるので、始末に困ってしまいます。

 そうそう今年はカボチャもできました!

 これまではカボチャはつくったことがなかったので、ダメもとで種を撒いたのですが、大きなカボチャが一つ、二つ。はびこったつるの下を探せばもっとできているかもしれません。
 それに味も最高。
 店で買うかぼちゃに負けず劣らず、ホクホクとしていて、母は1週間、それをおかずにしたそうです。

 22日はスタジオでの編集。

 これまで編集してきた映像に最後の化粧を施して、原版となるテープに映像を映します。
 そしてこの作業を済ませると、映像の直しはもうできません。

 ですから、ここで編集の方は完全に私の手を離れます。

 そして後は音関係の部署に映像を渡して、そこでばらばらの音の調整や、音楽を入れたり、ナレーションを入れたりの作業が待っています。

 今回の映画のナレーターは緒形直人さんがやってくださることになりました。

 緒形さんとは初仕事。

 ベテランの俳優さんですので、今から楽しみです。

 22日に編集が終わって、何か月かかかって続けてきた作業がひと段落して、今はほっと一息ついていますが、昨日はナレーションの最終チェックや、24日に早稲田で一コマの授業で話をする予定があったので、そのための映像の準備に追われていました。

 そして今日、2時限目の授業で若い学生さんたちを相手にハンセン病のことに関して話しをしてきました。

 いつも講演の場合、ほとんどが知友後年の女性が多いので、若い人たちにはたして私の思いが伝わるか、かなり不安でしたが、本当に孫のような世代の若い人たちが真剣に話を聞いてくれていたようで、とっても嬉しかったですし、これからはどんどん若い人たちに伝えていかなくてはとの思いもありますので、今日の授業は私にとっても有意気な楽しい時間でした。

 そして午後は、高井戸にある認知症介護研究研修東京センターへ。介護における外国人受け入れに関してのシンポジュウムに参加してきました。

 このシンポジュウムには、韓国から認知症家族会の会長をされている李聖姫さんが報告者として来日していて、彼女とは姉妹以上に親しい友人で、会場で会う約束になっていました。

 いま、介護の現場に特に東アジアからの介護職の人の受け入れが大きな課題になっていますが、私が会場についたときにはシンポジュウムの大半はすでに終わっていて、最後のパネラーの話と李さんの話しか聞くことはできませんでしたが、外国人の受け入れに関しては、戦争で日本が侵略した過去の歴史をしっかり踏まえたうえでの受け入れを考えなくてはいけないと、パネラーの話を聞きながらつくづくと考えさせられました。

 フィリピンやインドネシアから経済連携協定(EPA)で来日し、日本の国家試験に合格した介護職や看護師などがある程度定着していますが、その数はごく少数で、課題は山積。

 それよりも配偶者が日本人であることから日本の国籍を取得して介護の現場で働いている外国人も多く、安い賃金が定着するという危険もあって、「ただ人手が足りないから外国人を」という安易な考え方だけはやめてほしいと私は思いました。

 試験センターに行ったのも何年ぶりかのこと。
 以前は、試験センターのある浴風会の作品も作りましたし、センターには連日のように通って研究員の皆さんと親交を結んでいましたが、今はすっかりご無沙汰になっていて、やはり懐かしかったです。

 さあ、明日は土曜日。
 午前中は李さんと会って、それから母のところに行く予定です。


 懐かしの早稲田大学
  

 







 シンポジュウムのパンフレットと会場