今日は弟夫婦も義妹も来てくれて、朝から1日かかって母の部屋をつくりました。

みんな60歳を過ぎた年寄りばかり。急なことでしたので若いものはみんなそれぞれに予定があってこれなくて、ただ1人、40代の姪がいて大いに力を発揮してくれましたが、近くのレンタル倉庫にDVDの段ボールを約100箱。

たまたま、空いていた部屋は2階しかなく、しかもエレペーターが無いために、何度階段を上がったり下りたりしたことか。

 その他古い作品のネガフィルムの缶やプリントなど重たいものもかなりあって、年寄りにはハードな作業でした。

 また、部屋のコーナーに収納してあった撮影や照明機材も、宣伝物のチラシ・ポスター類も別の部屋の仮置き場に。たった6畳の間ですが、こんなに多くのものが詰め込んであったなんて,だだ、ただ感心するばかり。

 会社を興して10年余の蓄積物かと思うと、この10年の働きがいかにがむしゃらであったかが良くわかります。

 でも、おかげでみんなの奮闘で何とか母の部屋はなんとか完成。

 ベッドは専門の業者でなくては移せないので、明日か明後日に移してもらいます。

 そうしたら母も落ち着いてくることだと思います。
良かった・・。


母が私のところに来ました!

これまで一人で頑張ってきましたが、この1か月余、食事を殆ど取らなくなりました。土日に行ったときにはせいぜい栄養のあるものをと母の好物の食べ物を揃えるのですが、最近はそれさえも受け付けず、ほんの少しの牛乳とヨーグルト、果物以外はほとんど何も口にしようとしません。

このまま今の生活を続けていくことは不安がいっぱい。もう限界に近い状態に私には思えました。

月曜日に母のところから帰って、翌日の昨晩、電話を入れると全く力のない声で会話をするのもやっとでしたので、今朝、どんなことをしてでも連れて来る気持ちで母のところに駆けつけ、説得をしました。いつもなら「絶対に行かない」というのですが、母も何かを悟ったのでしょうか、案外素直にうなずいてくれました。

今日は連れて来るつもりでしたので、ダメもとで姪に車で迎えに来てもらう手はずを整えていました。姪が着くと、母は自分から当面必要な身の回りのものを私に指示してまとめさせ、夕方母の家を後にしました。

そういえば父も、長年患っていて限界近くになったので、池袋の本宅(今の母の家は父の療養のために建てた家で、本宅は池袋にあって、そこには弟の家族が暮らしています)に帰りましたが、以後父は一度も三浦の家には帰ることができないまま亡くなりました。母にもそんな父のことが思い出されたのか、この1か月の間でかなりの覚悟を決めていたものと思われます。

ところで、こんなに早く母が来ることになるとは思っていなかったので、まだ母の部屋の準備ができてなくて、それにベッドやポータブルも入れなくてはならないし、ケアマネも今かかっている三浦からこちらに移さなくてはならないし、かかりつけ医もどこかにきめなくてはいけないし、果たしてどんなことになるのか。

私は覚悟を決めているつもりですが、これから先のことは見えないことが多くて少し不安です。
でも、そばに母がいてくれることで、違った意味の安心もうまれています。

 このまま落ちついてくれればいいのですが…「3日坊主」で三浦に帰ると言い出したらどうしましょう。



 金曜日から2泊3日で中西繁さんの伊豆の国アートビレッジに行って来ました。

 いつもは新幹線で熱海まで行って、そこから東海道本線に乗り換えて函南というところまで行くのですが、今回は東京駅から各駅停車の東海道線でのんびり行くことにしました。

 熱海での乗り換えを入れて約2時間。 
 お天気が良かったし、最初から座れましたので,なんだかすっかり旅気分を味わっての移動でした。







 アートビレッジでは第2週の金土日がオープンビレッジの日になっていて、全国の中西さんのファンやお弟子さんをはじめ、地元の方たちが参加して色々な催しが組まれています。

 初日の金曜日は、地元でミツバチを買っている養蜂家の方の講演に始まって、そのあとは、シンガーソンガーの福山竜一さんの歌。

 私は福山さんにお目にかかったのは初めてですが、福島や広島を拠点に歌っているおじさんで、外見に似ず優しい感じの歌が多かったのが印象的でした。







 そして夜は泊り組の人たちと、催しのスタッフたち総勢20数名での食事会。
 賑やかに楽しく盛り上がりました。





 そして翌10日は、午前中はステンドズラスを使ったアクセサリーづくりのワークショップ。
 色々なステンドガラスの破片を自分のデザインに併せてカットして、その周りを銅のテープを巻いて、組み合わせる破片をハンダゴテで繋いでいきます。

 私はハンダゴテを使ったのは生まれて。もちろんガラスのアクセサリーをつくったのも初めての体験。

 どんなものができるか不安でしたが、先生の指導が良かったので素敵なペンダントが2つも出来ました。

 そして午後は私のDVDを見ながら、「慰安婦」問題についての勉強会。みんなで問題を共有しながら熱く語り合いました。

 参加した人のほとんどは、「慰安婦」問題ってどんな問題?っていう感じで、ちょっと場違いの感じがしないでもありませんでしたが、皆さん話を真剣に聞いてくださって、予期しない質問なんかも飛び出して、私は実りある勉強会になったのではないかしらと、思っています。

 そして、こういう場を設定してくださった中西さんに感謝、感謝。

 「慰安婦」問題の勉強会の後は、その後は、やはり地元で活動しているグループによるジャズセッシヨンと、南米の音楽の演奏会。

 




ジャズのグループは以前、水口さんが講談(3月のオープンビレッジで)をしてくださったときも演奏をしてくれましたので、私とは顔見知りの仲。

 今回はそのバンドに歌も入って、ぐっと雰囲気を盛り上げてくれていました。

 歌手の方のお名前は聴きそびれましたが、声がとっても素晴らしく、そのうえしびれるような響きが何とも言えなくて、しばし心が癒される思いがしました。

 そしてジャズセッションの後は、やはり地元のブラスバンドの若者たちが、今度は屋外で南米の音楽を約10曲。

 ジャズとはまた違った若者らしい力の入った演奏が周りの山に響いていって、これまた至福の時を過ごすことができました。















 そして、よく11日は、午前中は再度ステンドグラスのホークショップがありましたが、私は
後片付けに専念。

 その間大阪から参加されたOさんとしばらくゆっくりと話したり、地元の方たちとの交流に貴重な時間を使いました。

 
 アートビレッジのミニギャラリーでは、糸物語と称した、木片に糸を巻き付けてある世界を表現する不思議なアートの展示がありました。

 その意図は作者の金井さんがアメリカに滞在していた時、知人のお父様が糸工場をやっていて、その工場がは廃業することになって、たくさん糸をいただいたことで、「何かできないかしら」と思案した結果生まれたアートとか。

 私は糸のイメージはというと、なんだかやわらかいものを感じていましたが、木片は糸が巻きやすいように長方形の木片ですので、糸を巻いた積み木細工のような感じなのですが、その色遣いと言い、糸の巻き方と言い、何とも繊細で、観ているだけでうっとりするような、それこそ「糸物語」ネーミングの通りイメージがどんどん広がっていくのには何とも言えない不思議な気がしました。


 こういうアートもあるのだなあと、すっかり感心のしっぱなし。

  






 

 ところで、表題の失敗の事。

 11日の朝、食事を終え、ふと携帯を見ると「雨が降っていますが、9時30分ごろまでにはつきます。それまでゆっくり寝ていてください」とのメールが。

 えっ!と、時計を見ると9時30分少し前。頭の先の方をガッンとやられた思いで、急いでメールの相手の方に電話をしようとしていたところに、もう一人の相手の方からの携帯電話。

 その日は、私の母のところに来て畑仕事を手伝ってくださることになっていたのです。

 ところが私は、二人が来てくれるのは翌日の12日ばかりだと頭から思い込んでいました。

 電話をもらってすぐにアートビレッジを出ればいいのですが、後片付けもしないでそのまま帰るのも申し訳なく、それに駅までは誰かに車に乗せてもらわなくてならないし、大事な話も残っていたので、そして、そのまま帰っても母のところに着くのはお昼過ぎになってしまうし…結局、友達の二人には丁重にお詫びをして許していただくことにしました。

 まあ、何ともおっちょこちょいというか、以前に予定を聞かれたとき、「その日は3連休の最後の日」ということがなぜか頭の中にインプットされていたので、何の疑いもなくOKの返事を出していたのです。

 Yさん、Kさん、本当にごめんなさい。
 そんな失敗をしながら、結局母のところに着いたのは午後6時過ぎ。

 アートビレッジの駐車場の横に柿の木があって、前日にみんなで柿をもいで、キャスターに入りきれないほど持ってきたので、途中て買い物をする気力もなくなり、結局その日の夕食は、友達が買ってきてくれていたお弁当を食べることに。

 予定をすっぽかした上にお弁当までいただいて、何とも申し分けないことですが、お腹がすいていたので、がつがつと食べてしまいました。 

 そして翌日、今日は朝からいいお天気で、畑に出ると雑草がきれいにとられていました。

 結局2人は、畑の雑草をとったり、大根の間引きをしてくださって、持参したお弁当を食べて
帰られたとか。

 その間、母は殆ど寝っぱなしだったとか。

 今日も昨日と同じでほとんど寝っぱなし。

 食事も、昨夜は買ってきてくださったお弁当を少し食べましたが、今日は牛乳とコーンフレークを少し食べたっきり、夕方にラーメンをこれまたほんの少し、このままだと完全に栄養が回らなくて寝たきりになるのではないかと心配です。

 帰るとき、葡萄とリンゴと柿とキーウィをヨーグルトとはちみつで混ぜたものと、ホットケーキを焼いておいてきましたが、果たして食べたかしら?

 後は、いつでも口に入れられるように海苔巻きと太巻きをつくって、おかゆを炊いておいてきました。

 明日は訪問看護の看護師が来てくれることになっています。

 もう一人暮らしは限界かもしれません。

 母のところで、フーフー言いながら持ってきた柿を向いて干し柿をつくりました。

 もちろん私のところでも…

 


  昨日、今日はデスクワーク。
 月曜日は、母のところに行った疲れが残っているせいか、何となく体が重くて、デスクワークだとホッとします。

 でも、整理整頓が苦手な私は、ごっちゃになった机の上で、「あれもしなくては、これはどうだったのかしら」とやることはいっぱい。

 処理はほとんどコンピュータなので、長時間ディスプレイとにらめっこしながら、書類や資料をとっかえひっかえ。それに雑に書いたノートを開いたり閉じたり、スケジュール表を確認したりと、何とも決まりのつかない時間が過ぎていきます。
 それで体は楽ですが、目はもう疲労困憊。

 老眼と近眼の入り混じった目を細くして、じっと画面に見入っています。

 ですが、私はまだ老眼鏡はかけていません。

 だから余計に疲れるのかもしれませんが、それに老眼鏡も作ってはいるのですが、かけるほどの不自由を感じないので、裸眼で頑張っています。

 今夜は、昨日FBにのせた文章を1日遅れで載せます。

 中秋の月があまりに綺麗でまん丸かったので、それを写真に撮りながら、夫との会話を思い出していました。

 その会話は、日曜日の夜母のところから帰宅したのち、遅い夕食をとっていた時のものです。


夫「今夜は中秋の名月で、まん丸のお月さんをしばらく眺めていた」

私「そう、ススキも団子もなくて残念だったわね」

夫「ここに枯れすすきがあるからいいよ」

私「ところでウサギは見えた?」

夫「目が悪くて見えなかった(白内障の事)」


何とも素っ頓狂な夫婦の会話でしょう。
でも、すっかり黄昏た夫のユーモアに、疲れがいっぺんに吹き飛ぶ思いがしました。

私はそれほどユーモアのある人間ではありませんが、夫は時々思わぬダジャレで私を笑わせてくれます。

 まあ、夫婦円満なのかしら?

 一人で暮らしている母を見ていると、黄昏がれていても、横に親しい人がいるというのはいいことなのでしょうね。

 それで昨晩は満月を写真に収めました。









 夏にはベランダを華やかに彩ってくれていた朝顔も、今はすっかり花を落とし、種が熟れるのを待っています。

 先週は連休が週の中頃まであったので、勤務は2日間だけ。
 土日は母のところに行き、先ほど帰りました。

 母は、1か月少し前に背中の痛みを訴えたころから、なんだか急に老け込んで来てしまいました。
 
 食欲はもちろん言葉も少なくなり、何かしようという意欲もかなり少なくなってきて。一人部屋にこもってうなだれている時間が長くなってきました。

 以前の明るく闊達な母とはまるで別人になってしまったよう。
 年相応と言えばそうなのでしょうが、娘としては大変気になるところです。

 特に、食事の量が極端少なくなってしまったこと。
 もともとかなり偏食傾向がありましたが、今は牛乳と果物以外はほとんど食べようとしません。私は少しでもご飯を食べてほしいと,好物を揃えるのですが申し訳程度も箸をつけようとしません。
 それでも、まったけご飯やとろろ飯などは食べるので、昨晩もまったけご飯をつくりました。そして今日は鶏がらで出したスープでワンタンを。そして帰り際にお稲荷さんとホットケーキ、大学芋をつくっておいてきました。

 今の私の一番の心配は食事の事。
 先日、弟が心配して配食弁当をとるように手配して、昨晩、「お試し」の弁当が届いたのですが、母は一口も手を付けず、私が食べることになりました。
 でも味はいまいち。結局配食弁当はお断りすることにしました。

 一日中動かないからお腹がすかないのか、消化するエネルギーがなくなってきているのか、母は「もう老衰だから」と言いますが、私が不在のウィークデイの過ごし方が心配です。

 ところで、昨日、母の机の上を整理していた時、紙切れに痛み止めの座薬を入れた時間や、心に浮かんだたわいないことを日記のようにメモしているのを見つけました。その中でさすがだなと思ったのは、安保法制反対を伝えるテレビを見て書いたのでしょう。

 石田純一さんが発言した一言をメモしていました。
 食べこぼしたものでよれよれになっていますが、私には宝物のように思えました。

 今週は母の食事作りに時間をかけたので畑仕事は殆どしませんでした。

 それに、連休中にかなり精力的にしたので畑はきれいになっていますし、お天気があまりよくなかったので、気持ちも少しなえていたこともあります。

 2週間ほど前に撒いた種は発育は少し弱いようですが、まあまあ順調に育っています。

 ただ、連休のときに植え替えた大根はもしかしたら根付かないかもしれません。

 それに、それ以前に撒いた小松菜は少し病秋にやられてしまっています。うどんこ病かもしれません。

 それで、今日は消毒をしました。

 本当は農薬はあまり使いたくないのですが、「安全」という触れ込みの「薬」です。

 2,3日雨が降らなければいいのですが、天気予報では明日からお天気がいいようですので、「薬」は効くでしょう。


  写真をつけます。















 ずっと雨模様ばかりのお天気で、ふと気が付いたら、いつの間にかあの猛暑が爽やかな秋の季節になっていたという感じです。

 今年のお彼岸は5連休!

 世の中ではシルバーウイークとかいうそうです。

 夏と冬、それに5月の連休は休みが当たり前になっていますが、9月に5日間も休めるなんて、なんかものすごい贅沢をもらった気持ちです。

 と言っても、別にどこかに旅行するでも、ウインドーショッピングをするわけでも、美術館に行くわけでもなく、母のところへ。

 先週は木曜日と金曜日に行きましたので、この休みは20の日曜日から4日間。


 しっかりと親孝行と野良仕事に精を出しました。

 休みの間には弟夫婦もやってきて、母はご満悦。

 先日来の腰の痛みがまだ続いていて、その痛みが始まったころから、母は食事が極端に少なくなって、ものすごく老けた感じで、何かをしようという意欲もかなりなくなってきたように思います。

 もう95歳ですから、年相応と言ってしまえばそうなのですが、このところの母を見ていると、老け方がきょくたんに進んで、ひとり暮らしはもう限界と思わざるを得なく、私の家に来るように働きかけているのですが、それは嫌だと。

 これから冬に向かって、寒くなるとどうなるのかとっても心配です。

 私はかなり呑気なほうなので、それほど介護のことなど深刻には考えていませんでしたが、これからはそんなことも言っていられなくなるかもしれません。

 果たしてこれから先どうなることか・・

 そういう私も、近ごろは体力の衰えをかなり自覚するようになりました。

 大体物覚えが極端に悪くなったこと。

 大切な本を読んでいても、つい今しがた読んだ本の内容はすっぽり抜け落ち、もちろん年代や人の名前も、ほとんど頭の中には残っていません。

 それから足腰がかなり弱くもなって来たようです。

 歩くのは長時間平気ですが、速足で歩いたり、階段の上り下りがきつく感じられ、ずっと立っていることもつらく感じます。

 もちろん目も細かい字などを読んでいると疲れます。

 こういうのが年を取ることだなあと、寂しくなることが度々。

 気持ちはいつまでも若いのですが、やはり年にはかないません。

 と言って、なかなかゆっくりできない性分。

 本当は、温泉かきれいな景色の中で、おいしいもを食べながら、優雅にのんびりできればいいのですが…

 まさに老老介護の現実。

 果たしていつまで続くかしら?

 ところで、この5連休で、畑も庭も雑草をきれいに取って、見違えるようにさっぱりしました。

 草取りは私にとってはストレス解消にもってこい。

 綺麗になった畑を見ると気持ちも一段と晴れやかになります。

 今回は、草をとった後をミニ耕耘機で耕して更にきれいにしました。

 2週間ほど前に撒いた秋野菜の種は順調に育っていますが、雨が多かったので、威勢よくとまではいきません。

 夏野菜と秋野菜の違いかなと思いながら、今回は大根の間引きを少ししました。

 そして間引いた大根をまた、他の場所に植えました。
 果たして根がつくかどうか、ちょっと心配ですが食べるほどの量がなかったので、捨てるのももったいなくて…
 
 庭からは金木犀の甘い香りがいっぱいに漂ってきます。

 昨日までは、まだ蕾で黄色い花は一つも見えなかったのですが、今朝見ると、木全体が黄色に染まっていて、ちょっと感動ものでした。

 この金木犀がいい香りを放つ期間は本当に短いのですよね。

 次回行くときまで持っているかどうか、あまりの香りにむせながらそんなことを考えていました。

 さあ明日からまた仕事です。

 そういえば国会前の抗議集会にも行かなくては・・

 まだまだやることがいっぱい。歳をとったなんて言っていられません。



 









 
 安保法案の国会審議が山場を迎え、採決を目の前にした17日、18日。
 私は国会には行けませんでした。

 18日に母の居宅介護計画のことで、ケアマネジャーとの話し合いの約束をしていたので17日の夜には母の家に行っていなくてはならなかったからです。

 話し合いの結果、母は「訪問看護」のサービスを利用することにしました。

 ホームヘルパーはどうしても必要ないと願して言い張るので、苦肉の策というか、何らかのサービスになれるところから初めて、いつかは訪問介護も利用できればいいというのが、みんなの共通した思いです。

 訪問看護出来てくださる看護師の方は母の良く知っている人。
 この日、その看護師も同行して、実際にどういうことをやるンなどを事細かに母に話していました。

 訪問は1週間に1日、1時間。

 これで母の生活に大きな変化が出て来るとは思いませんが、今まで私たち以外誰も関与していなかった母の生活に、一つの風穴があくような気もしています。


 話し合いは11時半から。
 この日は、2週に一度の「枝木・草類」のごみをだす日でもありましたので、ケアマネたちが来る前に、庭や畑に溜めてあった枝木類をビニール袋に詰めて集積場へ。

 そして先週の土日はこれませんでしたので、家の中の掃除や洗濯、私がいない間のおかずづくりなど、時計とにらめっこしながら、頑張りました。

 そしてケアマネたちが帰ったのは午後1時。

 そのあとは、三軒茶屋で、新作映画の公開についての会議があったので、そのあとを追って母の家を後にしました。

 母は、あわただしく帰ろうとする私を何とか引き留めようと必死でしたが、そこは心を鬼にして・・でもそんなすったもんだの結果、3時からの会議には大幅に遅れてしまい、皆さんにご迷惑をかけることになりました。


 そして夕方5時。会議は終わりましたが、そのあとに中野で私の知人が「世界一すてきな僕たち私たちへ」の上映会を企画してくださっていて、私もそこに参加することになっていたので、三軒茶屋で時間を調整して中野に向かいました。

 この日も、空は雨が降ったりやんだりの不安定なお天気。

 その中で、国会前では大勢の人が反対のシュプレヒコールを上げていたことと思います。

 映画会はカフェ形式の家庭的な雰囲気の中で、皆さん真剣に見てくださいました。

 出されたランチボックスは美味しく、空腹を幸せに満たしてくれました。

 結局夜の10時過ぎまで、みんなでわいわいがやがや、飾らない話し合いがとっても素敵でした。

 家に帰るとすぐにテレビをつけたのですが、まだその時は本会議は開かれていませんでした。

 そして深夜の参議院本会議。
 
 その採決の様子を見ながら、数では絶対負けると分かってはいたのですが、法案が成立した瞬間にはしばらくは茫然。
 言葉にならない脱力感が全身を覆っていました。

 でもよく考えたら、憲法と民主主義を踏みにじる暴挙への闘いはこれから始まること。そしてこの間にみんなが示した怒りの鉄拳は必ずや自公政権にしっぺ返しとなって反っていくであろうことを思うと、「法案は成立しても恐れることはない」と、そんな気持ちになってきました。

大切な日に何万分の一でもの意思表示ができなかったことは残念ですが、最後まで頑張ってくださっていたみなさま、そして法案に反対して最後の最後まで踏ん張っていた野党議員のみなさま、本当にお疲れ様でした。

 良識ある多くの人の力で、こんな悔しい思いはこれが最後したいと思います。

 母のところに行ったのはほぼ2週間ぶり。

 その時には友人が大根や菜花などの種を撒いてくれました。

 その後毎日毎日の大雨。

 種が流れ出ていなければいいと、心配していました。

 それで母の家に着くと真っ先に畑の様子を見に行ったのですが、やっと小指の先ほどの新芽が

 あっちこっちに出ていて、まずは一安心。

 日照時間が短いので、その後の成長が心配ですが、流れ出て跡形もなくなっているということはなかったのでほっとしています。

 その写真をつけます。












 夜には雨模様となる天気予報のとおり、出かけるころからぽつぽつと雨が降り出してきました。
 それでも国会前についたころには雨もやみ、重たい雲が立ち込めていただけ。
 このまま降らなければいいと思っていたのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。

 私は、昨日に続いて今夜も5時少し前に事務所を出て国会に。

 今夜の国会前は、「戦争法案」に反対する人の群れで熱く燃え上がり、6時30分に反対集会が開始される前から、前に進むのがやっとの人波。
 いつも私が禎一としている憲政会館の前は立錐の余地もないほどの混雑ぶりでした。

 それでも幸、人が一人くらい座れる場所をやっと見つけて、大勢の群衆の中の一人として、10時近くまで参加していました。

 でも雨がだんだんと激しくなってきて、寒さとトイレが我慢できなくなってきて・・
 後ろ髪を引かれる思いで現場を離れました。


 まさに70年続いた平和が壊されるかどうかの瀬戸際の日。

 若かったら朝までもずっと座り込んでいたのでしょうが,戦線離脱してしまう自分が情けなかったです。

 でも歴史の転換点ともなるでしょうこの日に、反対する人々の群れの中に自分自身が参加できていたことは誇りに思います。

 誰もが整然と、そして声を合わせて「戦争法案反対」の声をあげ民主主義を叫んでいた現場に。まさに「革命前夜」をおもわせるような燃え滾る気持ちにあふれる現場に居合わせることができたことは。

 ところで、今夜の警備はこれまでには見られなかったほど厳重でした。

 いつもは規制されていない憲政会館から国会図書館に通じる横断歩道も鉄柵で厳重に固められ、警官がずらりと並んで、通行ができないようになっていました。そして憲政会館の前の広い道路には装甲車がずらりと。

 いったい何のために?無抵抗の民衆の怒りに対する権力側の恐れが、「過剰警備」という形で表れているのだと私は思いました。
 それを見ているだけで、今、安倍政権は戦々恐々としているのではないかと。

 雨が激しくなっていく中で、私はフランスの詩人ルイ・アラゴンの詩を思い出していました。

「雲の向こうにはいつも青空がある・・」
 ナチスドイツに抵抗するレジスタンスの中でも決して未来を疑わなかった詩人の言葉がその場の私の気持ちを奮い立たせてくれていました。

 そう、今の安倍政権は、数の力に任せて憲法を踏みにじり、戦争ができる国へと日本を導くまさにファシスト。

 そして、それに無抵抗に抗議する民衆は、あのレジスタンス時代の人々の姿と私にはぴったりと重なり合います。

 これまでずっと仕事人間で来て、政治の世界にはあまり深い関心を示しませんでしたが、私たちが死守しなくてはいけないもの、それは「平和」だと私は思っています。

「平和」だけは何としても守り切らなくてはなりません。

 だから明日も時間をつくって国会に行きたい。

 もしかしたらいけないかもしれませんが、安全保障関連法案には絶対に反対です。
















 
 今晩は8月30日以来、やっと国会前に行く時間が取れました。

 今回は友達を誘いましたがすでに予定が入っていたとかで、一人でぶらぶらと。

 途中で知り合いに会うこともなく、誰かと話をするのでもなく、正門から少し離れた憲政会館横の植え込みに腰を下ろして、スピーカーから流れる発言者のスピーチをじっと聞いていました。

 みんなみんなが「戦争法案」に対する激しい抗議を、それぞれの言葉と内容で叫んでいるのを聞いていると、70年曲がりなりにも続いてきた「平和」が壊されることへの不安と怒りがひしと胸に迫ってきるのをどうすることもできませんでした。

 審議すればするほどボロが出る。そして、国民の7割以上の人が反対するこの「戦争法案」を、数を頼みに強行していいものなのか。

 私は、平和憲法を持つ日本の役割は戦争に加担することではなく、アジアの国々をはじめ世界中の国々に、平和の重さをしっかりと伝えることだと思っています。

 そして世界中から戦争をなくすための先頭に立つことだと思っています。

 それだけ、私たちの憲法は大きな意味を持っているはずです。

 考えてみると、どの国の国民も戦争が大好きという人はいないはず。

 戦争が大好きなのは、それによって利益を得るごくごく一部の武器商人と、それに結託した一部の政治家だけではないでしょうか?

 もちろん世界には宗教対立や、民族間の対立もありますが、その背後にうごめくのは、戦争によってぼろもうけを企む人々の魂胆があるから。

 そして犠牲をこうむるのは子どもや年寄りや、女性たち、そして戦場に送られる若者たち、みんな普通の一般市民。

 日本がそんな犠牲者の出る戦争ができる国になるなんて、考えただけでもぞっとします。

 いま国会で審議されている安全保障関連法案をよく見ると、そのぞっとする思いがますます現実味を帯びてきて、居ても立ってもいられない思いで、時間を見ては国会前の反対集会に参加してきましたが、私と同じ思いの人が大勢いて、どこのどなたかわかりませんが、みんな一生懸命です。

 今夜は、昨日よりも幾分人数は少なかったようですが、第1部が終わって第2部の青年集会も中盤に差し掛かるころには周囲の人の波も幾分すいてきたので、これまでは遠慮してあまり近づ過なかった中央舞台の方へ移動。

 初めて舞台で発言する人の姿やシュプレヒコールの青年たちの表情に接することができました。

 その表情の真剣なこと!
 彼らは連日連夜、それこそ命を懸けて反対する「戦争法案」に反対する活動を続けています。

 その真剣な高まりを見ていると、安倍政権の姑息な動きがますますみすぼらしく、薄汚く思えてきました。

 と同時に、本当の闘いはここから始まると思います。

 数の力の中で法案は成立するかもしれませんが、たとえ法案が成立しても民主主義の真理に反する動きは阻止できるはずです。

 主権者は国民なのですから、次の選挙で、今回の「戦争法案」に賛成した議員は全員落選させること。

 そして本当に平和を愛する人を国会に送ること。

 要するに、そのカギを最終的に握っているのは国民一人ひとり。

 みんながもっと目を覚まして、しっかりと政治を見つめることが本当は大切なのだと思います。

 私たちは世界に誇る平和憲法を持っている世界でも珍しい国であるとの自覚とともに。


 














 今週の土日は母のところではなく、伊豆の国アートビレッジに行ってきました。

 何日間も降り続いた雨で、撒いた種が流れ出していなければいいと気にはなっていますが…その後の様子を見ることはなく、畑の方はそのままにして。


 アートビレッジは伊豆の国市にある奈古谷温泉というところの廃業した旅館をアートの拠点にしようと、画家の中西繁さんが構想をスタートさせ1年半が過ぎました。

 最初の内は藍工房が障害のある人たちの楽しみの場にと、毎月通って整備してきましたが、いろいろな事情でそれは少しお休み。

 いまは、地元の方がしっかり、そのあとをついで、それに中西さんのファンの方が全国からやってきて、着実にアートの拠点になりつつあります。

 そして、毎月第2土日はオープンイベントデイズ。

 今月は12日の土曜日には、天野寛子昭和大学名誉教授の講演とワークショップ。そして、天野さんの作品の展示。

東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田の松並木をフリー刺繍で再現させることで、あの震災をいつまでも私たちの胸に刻み、忘れないようにしようという「高田松原プロジェクト」の一環として、参加者たちが思い思いに作品をつくりました。

 その後は福島原発で見捨てられ、置き去りにされたペットの「救済と保護」に取り組んでいる地元沼津のグループを中心とした人たちによる活動報告。
 なかなか盛りだくさんの内容の1日でした。

 イベントデイズの取り組みは回を重ねるごとに参加者も増え、今回は50名近い人たちが参加しました。

 来月は「慰安婦」問題をみんなで考えようという企画が進められ、併せて子ども美術展も開催されます。そしてその後はジャズの演奏会。

 また、新たに本格的な陶芸釜も入って、来月あたりから陶芸もスタートします。
 絵画、木工、染色、書道、講談、映画、音楽・・講師はその道の専門家。地域でこつこつと地道な活動をされている方たちばかりです。

土曜の夜は、広大なアートビレッジの一角を流れる清流の横につくられた簗で、楽しい宴。

 この簗は、元建築士の方が何日もかけて山から切り出した竹を使って造った10畳ほどの広さの空間。
 下を見ると清流が音を立てて流れて、ちょっと怖い気もしましたが、星空を眺めながらの酒宴は何とも言えない野趣にあふれた素晴らしいひと時でした。

 参加はどなたでも自由です。その代わり、掃除も買い出しも、食事作りもみんなで分担して行います。ちなみに今回かかった費用は4食の食事の材料費1300円のみ。アルコールは差し入れだったのでしょう。もちろん宿泊費はかかりません。


 来月は私も少し話をします。
 どなたでも参加できますし、宿泊も自由です。
 (元は旅館でしたので部屋数も多く、20数名までは宿泊が可能です)

 もし参加しようと思っている方がいらしたら私に連絡をください。

 東海道本線の函南が最寄り駅。

 駅からは少し距離がありますので、車で迎えに来ていただきます。

 写真をつけます。