私達食口は、キリスト教の失敗により、文先生が洗礼ヨハネの使命を兼ねて蕩減路程を歩まれたと認識していると思います。しかしながら、もともと「三代で王権を完成する」という視点がなかったため、天使長がメシヤのために準備すべき使命についての理解は十分ではありませんでした。また、文先生は第3のアダムだから絶対に失敗することができない、文先生以後には絶対にメシヤは現れることはない、という考え方を絶対視してきました。
2000年前、イエス様が洗礼ヨハネの失敗によって苦労の道を歩まれ、その使命遂行の途中、十字架で亡くなられために、その後のメシアの行くべ き実体的路程が新約聖書に記されることはありませんでした。イエス様も洗礼ヨハネの失敗により天使長の使命を兼ねてメシヤの基台を整える歩みをされなければならなかったはずなのです。そのような視点に立てば、天使長の位置に立つイエス様の使命は、文先生が再臨主として誕生された1920年までを中心として整理されるべきです。しかし、既成キリスト教も含めて統一教会もそのことを具体的に提示することはできませんでした。アダムが歩む公式路程は、イエス様も文先生も同じであるはずです。ユダヤ教を失ったイエス様が天使長の位置に立つのなら、キリスト教を失った文先生も天使長の位置に立つことになります。そしてイエス様が失ったものを蕩減復帰するためには、文先生は地上で公式路程を歩み勝利しなければなりませんでした。その公式路程を歩む原理が四代心情圏と三代王権ということになります。その公式路程を中心として考えれば、文先生が一代ですべてを完成するという原理はありません。文先生も必ず三代を経て完成する道を歩まれることになるわけです。 神様がアベルを中心人物として立てて以後、西暦2000年を迎えるまでの復帰歴史の本質は、天使長家庭がいかにメシヤを迎えるための基台を整えるかということでした。メシヤを迎えるために天使長が準備すべき本来の基台とは、天使長家庭と天使長圏の二世によって形成される十二支派を中心として編成される国家です。そして、天使長圏がこの国家的基台を準備できて初めてアダムは国王の位置で現れ、天使長(大祭司)に祝福され、天使長圏から王妃の位置に立つ新婦を復帰して真の家庭を築き、その家庭から生まれてくる直系の子女に対して傍系の子女たちによる十二支派が侍ることによって皇族圏が形成され、地上天国が建設されていくことになります。文先生は、直系の子女と傍系の子女による怨讐を超えた十二支派編成をなすことができる時代を『使頭の時代』と表現されました。使徒と使頭の違いは、天使長圏において編成される十二支派編成が『使徒』であり、アダム家庭の直系の子女を迎えて編成される二世を中心とした十二支派が『使頭』です。
文先生がいかに偉大な方でもこの公式路程を無視することはできません。キリスト教を失った文先生は、この公式路程を中心として統一教会を新しいイスラエルとして立てることによって、男性を中心とする神霊集団がヨセフの氏族としての使命を相続し、メシヤを迎えるための環境を準備する出発をされたのでした
「なぜ160家庭かというと、これを世界に連結させるためなのです。ヤコブは12家庭、モーセは72長老、イエス様は120門徒、再臨主は160使頭なのです。使徒の頭なのです。イエス様は使徒だと言ったのです。使頭は今回私が初めて使う言葉です。誰も知らない言葉です。日本がエバ国家だから、先生が知っている秘密はみな教えてあげました。韓国の人、責任者でも知らないことをみな教えてあげました。そうです。責任を果たせなければ首が飛ぶのです。ですから160家庭を解放できなければ、第1次アダム、第2次アダム、第3次アダムの勝利圏を各自が相続することができないのです。第1次アダム圏だけを築いたならば、第2次アダム、第3次アダムと関係を結ぶことができません。再臨主が、第1次アダム、第2次アダム、第3次アダムをすべて成し遂げておいて、(皆さんが)第1次アダム圏である蘇生の基盤さえ築けば、接ぎ木をしてあげるのです。 イエス様は結婚できなかったことによって、アダム家庭を探し立てることができませんでした。今日統一教会で祝福を受けた人は、イエス様よりもましな立場に立っているのです。先生は国家的な中心ですから、(勝利的な)イエス様の氏族的基盤を中心として国家と連結しようとするのです。 イエス様の失敗は何かというと、アダム家庭を復帰できなかったことです。復帰したならば国家まで行ったのです。ユダヤ教がアベルで、イスラエル国家がカインです。これがカイン、アベルです。これらが一つになれば自動的に主は王権に臨むことができるのです。 ところがユダヤ教とイスラエル民族が一つになれなかったのです。そうして北朝の10支派、南朝の2支派に分かれて戦ったのです。それをエリヤがきて一つにしようとしたのに、全部みな破綻してしまったのです。それで再びエリヤが来て一つにしなければならないのです。洗礼ヨハネがエリヤとして来て、これを果たさなければならないというのです。
南朝、北朝の分裂と同様に、ユダヤ教とイスラエルの分裂を一つにしたなら、統一天下が自動的に成されるはずでした。 これが一つになれなかったために、イエス様が十字架にかからなければならなかったのです。イエス様本人が、洗礼ヨハネ的な立場にまで落ちて、旧約時代の基盤を再び編成しなければならない立場に立ったため、サタンにつきまとわれたのです。」 (祝福と入籍「付録 (1)160家庭と160数」)
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