158.「1947年に先生の公的伝道期間が始まる以前に、内的摂理の経緯があったのです」 | 御言 missing link

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 十字架上で亡くなられたイエス様は、完成したアダムの立場で亡くなられたのではありませんでした。イエス様ご本人は第一祝福を完成された立場であったにも関わらず、位置的には天使長として亡くなられたのでした。
 イエス様は右の強盗とカイン・アベルの関係を勝利することにより、聖霊降臨の条件を立て、それによってイエス様と聖霊が霊的真の父母の位置に立たれることになりました。ただし、実際にはイエス様が天使長の位置に立っておられたので、厳密には「真の父母」とは言えません。肉体を失ったイエス様は、霊的にのみ真の父母の位置に立たれたと説明されてきた内容は、言い換えれば、天使長の位置で家庭を復帰されたと捕らえた方がいいでしょう。このことは、復活したイエス様が再度弟子たちを集め、地上に氏族圏をつくられた後であっても同様です。天使長が自らのための基台を自分でつくり、それにより自身が真のアダムあるいはメシアの位置に立つという原理はないからです。それだけに、メシアが天使長の位置に降りるということはどれほど無念なことなのか、計り知ることはできません。ただし、以降の説明では、十字架以降のイエス様と聖霊を、その果たされた役割から、原理講論通り「霊的真の父母」と表現していきたいと思います。
 このような捉え方は、文先生に関する摂理を理解する上でも重要だと考えています。
 イエス様は、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭、洗礼ヨハネの家庭という御自身の血縁を中心とした基台の上で氏族のメシヤとして立つことができませんでした。しかしながら、ゴルゴダの十字架の上でカイン・アベルを勝利し、霊的にアダム家庭復帰を成し遂げられました。 
 それにより聖霊を復帰し霊的真の父母となられたイエス様は、十二弟子を再度訪ねられ、2000年かけてキリスト教を中心として、再臨主を迎えるための世界的な基盤を造ってこられたのでした。
 この第二イスラエルとして立てられたキリスト教の原理的立場は、イエス様の福音を中心として新しく氏族編成された再臨主に対するヨセフ氏族の立場となります。
 イエス様は、このキリスト教を中心として、世界的な基盤を拡げてこられました。このような視点に立つと、文先生にとってのザカリヤは、霊的真の父母の位置を復帰されたイエス様ということになり、文先生にとってのヨセフ氏族はキリスト教の世界的基盤であったと見ることができます。言い換えれば、再臨主として誕生された文先生にとって、天使長圏として存在するキリスト教(ヨセフの氏族)は、イエス様が聖霊(霊的真の母)を復帰し、霊的真の家庭を中心として十二支派編成されたものだったと言えるでしょう。
 文先生は、イエス様は27歳までに公生涯を出発されるべきであったと言っておられますが、文先生も27歳の時までに、神霊集団を訪ね、ヨセフ氏族復帰のために歩まれていたことがわかります。
 まず文先生は、男性を中心とする神霊集団であるイスラエル修道院を訪ねています。その後文先生は、金百文の失敗により、北朝鮮に向かい1946年6月6日に平壌に到着し、許孝彬の腹中教を訪ね、女性を中心とする神霊集団をヨセフ氏族の位置に立て摂理を成そうとされました。しかし許孝彬の失敗により、女性を中心とする神霊集団の摂理も失われてしまいました。
 この時の文先生は、キリスト教基盤の上での20歳までの子羊の婚宴が実現せず、さらに27歳の時に、洗礼ヨハネ集団を蕩減復帰する立場にあった神霊集団をも失いました。そのため、イエス様が自ら洗礼ヨハネの使命を兼ねて出発されたように、キリスト教徒以外の人たちを集めて新しい氏族編成のために出発されなければなりませんでした。このことに対して
「文先生の公生涯は、1954年の統一教会創設以降のことではないのか」
 と思う人もいるかもしれません。しかしながら、「創立以前の内的教会史」という御言があり、その中で文先生は
「1947年に先生の公的伝道期間が始まる以前にこれまで述べた内的摂理の経緯があったのです」(み旨と世界 「創立以前の内的教会史」P591)
と語っておられます。
 文先生が、公的伝道を始められたのは、1947年、文先生28歳のときだったと言っておられるわけです。イエス様が洗礼ヨハネを訪ねたのはこれまで述べてきた通り、公的な伝道の始まりではありません。公的伝道の始まりは、洗礼ヨハネの不信以降の内容になります。この時期と、文先生の27歳以降とが重なることになります。
 統一教会は、失敗したキリスト教の蕩減復帰の使命を持っていました。言い換えれば、統一教会は、天使長の位置に立つ文先生を中心として、新しく編成された氏族により、ヨセフ氏族の蕩減復帰の使命をもっていたということになります。。 
 この時の文先生は、天使長の位置で、家庭を復帰するために、ペテロ・ヤコブ・ヨハネのような三弟子を基台にして、新しい教会(氏族)を復帰し、イスカリオテのユダのような人物を探し出し、自らの血統から次の世代にメシヤを送るための準備をされていた期間になります。
 ここで大事なのは、何度も言いますが、天使長が自身のための基盤をつくり、自らその上に立ち、これからは自分が真のアダムだ、と言えるような原理があるのかということです。天使長がつくる基盤は、あくまでもやがて現れるメシアのための基盤です。イエス様のための基盤となるはずであったのは、ヨセフ、ザカリヤ、洗礼ヨハネであり、その家庭・氏族でした。彼らが自らメシアになろうとしたわけではありません。それが可能なら、天地創造時、神様は天使と人間の両方をつくる必要はなかったと言っていいでしょうし、天使長がそのまま、アダムなしに、何らかの条件のもとで完成すればよいことになります。それはサタンが作りあげようとしている仕組みの中心なのかもしれませんが。

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