150.「イエス様にまでサタンが再侵犯できる道を開いてしまったのです」 | 御言 missing link

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 文先生の御言によれば、洗礼ヨハネは、イエス様の前に立つ養子型の代表的人物であり、再び探し出されたアダム型の人物でもあったとのことです。真のアダムであるイエス様と、天使長たちを繋ぐ仲保的立場でもありました。もともと家庭的天使長の使命をもっていたヨセフが失敗していなければ、洗礼ヨハネは父母の勝利の基台の上で、イエス様と一つになる道があったはずなのですが、父母たちの失敗により、十二支派編成の責任までも背負わなければならなくなったのでした。
 御言です。 

「私たち人間は、どのような者として生まれたのでしょうか。神様の嫡子として生まれず、サタンの嫡子として生まれました。それが今までの内容です。このような内容を復帰するために、イエス様が来られたのです。このような使命を果たすために生まれたのです。
 ユダヤの国は、どうなっていたのでしょうか。神様は、父母はいないけれど子女の形態を中心とした家庭形態、親戚形態、氏族形態、民族形態、国家形態をすべて築き上げていたのです。これが選民思想です。この選民圏を築き、そこに一つの主権を中心として、そこにメシヤが来て一つの国家主権さえもったならば、天と地が連結するのです。
 国家を代表して、この基準を連結させるためには、復帰歴史なのでカイン的な、言い換えれば養子のような国家型であれば、その国家を収拾するためには養子の代表的な人がいなければなりません。それが誰でしょうか。養子代表国家の預言者として現れた人が洗礼ヨハネです。 この洗礼ヨハネとは、どのような人でしょうか。アダムが堕落してサタン世界に引っ張られていきましたが、洗礼ヨハネは、再び探し出されたアダム型の人物です。
 その探し出されたアダム型の人物とイエス様とを見るとき、どちらがサタンの防御壁をつくらなければならないのかというと、堕落はアダムがしたので、探し出されたアダム型である洗礼ヨハネが完全に防がなければならないのです。これを完全に防いできていたならば、イエス様は堕落しない本然の息子の立場に立ち、長成期完成級を越えた神様の愛を中心として誕生した方なので、サタンの侵犯を受けないのです。
 ところが洗礼ヨハネは外的基準において、堕落したアダムを復帰する使命を完結することができなかったのです。サタンを防ぎ民族を率いて、イエス様の前に屈服させ得る主導的な役割をすべきなのに、洗礼ヨハネが責任を果たせず挫折することによって、長成期完成級まで……。
 長成期完成級、ここで堕落したので、イエス様はどこで生まれたかというと、堕落したアダムの基準以上の位置で誕生したのです。堕落する前、長成期完成級に上がったそれ以上の位置で、イエス様が神様と関係を結んだのです。しかしながら、蘇生、長成、完成級の圏内まで堕落の侵犯圏にあるので、ここにおいてサタンを完全に防いで神様のみが干渉できる、そのような権限を備えることができなくなるようなときは、この圏は再び、サタンの侵犯を受けることは自動的な結論なのです。
 ところでイエス様が神様の愛する息子であるならば、なぜサタンから三大試練を受けなければならないのでしょうか。この完成圏を抜け出していなかったからです。完成圏を抜け出していたとすれば、サタンは神様の息子を試練することはできないのです。長成期完成級圏内から完成圏内に向かって乗り越えなければならないその基準で堕落して、三段階圏内が侵犯を受ける圏内にあるので、洗礼ヨハネが挫折することになれば、サタンはイエス様までも試練できるのです。イエス様までも打ちのめすことができるのです。イエス様までも堕落させることができるのです。
 洗礼ヨハネを中心として、それをなぜ復帰しなければならないのでしょうか。それは縦的歴史を横的に展開させようというのです。今までイエス様とアダムは縦的でしょう? この縦的歴史を横的に連結しようとすれば、昔、堕落したアダムを復帰した型を横的な代表者として立てることによって、縦的歴史を横的に蕩減できる基盤が成立するのです。
 なぜ洗礼ヨハネを選び立てたのでしょうか。縦的な歴史型を横的に蕩減するためです。横的に広がったこの地球星の上で、洗礼ヨハネが防御することによって、サタンが侵犯し得る圏を解放させることが目的です。それで民族を代表した代表者、国家を代表した代表者の権限をもってイエス様を証したのであり、イエス様に従うことができたのですが、洗礼ヨハネが責任を果たせなかったことによって、サタンがイエス様にまで再侵犯できる道を開いてしまったのです。これが、今まで数千年の非運の歴史を延長させた原因になったのです。」
 (イエス様の生涯と愛 P144~147 1969年1月3日)

 イエス様と洗礼ヨハネがそれぞれ結婚した後、洗礼ヨハネ家庭は、イエス様家庭に誕生した子女を預かり、養育し、自分の家庭から誕生する子女と結婚させるまで守らなければならなかったのではないかと考えることができます。エデンの園で、アダムとエバを天使長が養育し、結婚まで導くという本来の内容が、イエス様の家庭と洗礼ヨハネの家庭においてなされることになっていたのではないでしょうか。
 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになることができれていれば、天使長を中心としたカイン・アベルとレア・ラケルの蕩減復帰歴史が完結されるはずでした。長子権復帰と長女権復帰によりエデンの園が復帰されることになるわけです。その復帰されたエデンの園に誕生するアダムの立場がイエス様であり、エバの立場が洗礼ヨハネの妹でした。しかしながら、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭は、復帰摂理歴史の蕩減復帰を成したとはいえ、あくまでも復帰された立場であり、堕落圏の歴史を引き継いだ立場でした。イエス様は僕の位置であるザカリヤとマリヤを通して生まれてきました。イエス様は神様の息子でしたが、その周囲の環境はどこまでも堕落世界から復帰されたものであり、ザカリヤもマリヤも本然の立場ではありませんでした。環境が本然ではなかったということです。
 これに対して、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の父母の基台が勝利した後に子羊の婚宴を通してイエス様と新婦から生まれてくる子女は、堕落とは全く関係ない位置で誕生することになります。そのイエス様から誕生する子女を洗礼ヨハネが養育すれば、本来、天使長がエデンの園でアダムとエバを養育した立場が再現されることになります。 
 さらにイエス様の直系の息子と洗礼ヨハネ家庭の娘が結婚して誕生する三代目の位置に立つイエス様の直系の孫が誕生したとするならば、イエス様の血統を中心とした三代王権が立てられるようになっていました。この位置に立つ三代目の孫の位置が、文先生の言われた「宗族的メシヤ」の本来の意味なのではないでしょうか。二代までが家庭、三代目からは氏族形成が成されるからです。
 以降、同じようなつながりが形成され、イエス様の家庭を中心家庭として、氏族、民族、国家、世界編成へと拡大していくようになっていたのでしょう。このとき、イエス様の子女達の家庭によって、本然の四大心情圏と三代王権が完成されることになります。イエス様の家庭が王の王の立場であり、その子女達の家庭が王の立場となるわけですが、その子女達の家庭が本来文先生が説きたかった「分封王」のことだったのではないかと考えられます。
 私たちは、「宗族的メシヤ」も「分封王」も私たちのためにある言葉だと思っています。そのことは否定しませんが、中心があるはずなのです。
 そして、そのような形が、本来は文先生の家庭、氏族にも展開されるはずでした。その中心的展開があってこそ、私たちの立場や目指すべき方向が確定するはずなのですが‥‥‥。

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