149.「『そんな人はメシヤになれない』と否定せざるを得なかったのです」 | 御言 missing link

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 洗礼ヨハネは、エリヤの使命を持ち、メシヤが来る前に道を整える役目を持つ人物でした。原理講論は次のように説明しています。

「しかし、エリヤの全体的な使命は、全部が全部は成就できなかったので、この使命を完遂するために、彼は再臨しなければならなかったのである(マラキ四・5)。このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシアの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとしてきた預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ十一・14、マタイ十七・13)。」 (原理講論 P405)

 次は、エリヤと洗礼ヨハネに関する文先生の御言です。

「ヤコブの家庭で、12人の兄弟が一つになりませんでした。またレアとラケルが闘いました。レアが欲張ったために自分の召使にも4人の子供を生ませ、それを合わせた 12人兄弟が北朝イスラエルになり、ラケルの子ヨセフとベニヤミンの部族を中心として南朝ユダになりました。家庭的に一つにならなかったので、民族的に分かれていくのです。
 
それでイエス様の時代に至って、エリヤを送り、これを一つにしなくてはいけないのです。本来はエリヤを中心として、氏族時代の時に一つにしようとしました。それで850人のアシラの神をあがめる預言者を焼き殺し、生きた神様を中心としてすべてを糾合しようとしたのですが、自分たちの預言者と神々が殺されたので、エリヤを捕まえて殺そうとしたのです。ですからエリヤが逃げて、『私を連れていってください』と願うと、神様が『バアルにひざをかがめなかった7,000人を、私のために残しておいた』(ローマ11・四)とおっしゃったのです。
 神様の立場からすれば、カインとアベルが一つにならなければなりません。長子権復帰ができなければ、大変なことになるのです。これが氏族的に成し遂げられなかったので、イエス様の時代、国家時代において、エリヤの代わりの者として召したのが洗礼ヨハネです。
 イエス様の時代において洗礼ヨハネが失敗したのです。エリヤが洗礼ヨハネとして来たということを誰も考えられなかったのです。エリヤは900年前に火の戦車に乗って霊界に上がっていったので、火の戦車に乗って来ると思ったのですが、火の戦車も来なかったのです。
 その時代において旧約聖書を信じるユダヤの民はマラキ書によって、エリヤが火の戦車に乗って来て、メシヤが来る前にすべて準備して、行くべき道、捷径(近道)をならして、すべてを教えてくれるものと思っていました。ところがエリヤも天から降りてきていないのに、イエス様が『洗礼ヨハネである』と語ったのです。
 旧約聖書には、エリヤが来るなら火の戦車に乗って来るとあるのに、火の戦車に乗ってこなかったではないかというのです。それを信じるわけがありません。それで洗礼ヨハネはヨルダン川で洗礼を与えるとき、イエス様のことを『神の子羊』と言い、聖霊が鳩のように臨んだので、間違いなくメシヤであることを知って証したのですが、よく考えるとイエス様はそのような人ではないと思えたのです。イエス様の族譜(家系)を洗礼ヨハネはすべて知っていたのです。彼の父は、誰かということを知っていたのです。『そんな人はメシヤになれない』と否定せざるを得なかったのです。
 洗礼ヨハネは、妾をもったヘロデを非難して首を切られて死にました。彼はそのように死ぬべき人ではありません。イエス様と一つになっていれば、どうして彼が死ぬでしょうか。それは蕩減法によって、そうならざるを得なかったのです。」
 (イエス様の生涯と愛 P130~132 1993年11月14日)

 文先生は、ヤコブの家庭でレア・ラケルが一体化できず、そのため後に北朝イスラエルと南朝ユダに分裂してしまった十二支派を一つにすることがエリヤの使命であったと語られています。さらに、エリヤはその使命半ばで死んでしまったので、イエス様が誕生する国家的時代にその使命を引き継いで現れたのが洗礼ヨハネであったと語られています。
 神様は、レア・ラケルの失敗によって分裂した十二支派を統一するために預言者エリヤをイスラエルにつかわしたのでした。しかし、エリヤはそれを成し遂げることができず、分裂した状態のままでイエス様の誕生を迎えなければなりませんでした。イエス様誕生時のユダヤの環境は、国として決して理想的な状態ではありませんでした。摂理的な中心人物たちによる度重なる失敗の結果が、2000年前のイエス様誕生当時の状況でした。
 このイエス様誕生時までの摂理歴史は、メシヤを迎えるため、天使長によって綴られた歴史です。イエス様が誕生する前に、過去の中心人物達が失敗したことを、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が完全に一つになって蕩減復帰を果たしていれば、復帰された善の天使長の氏族の基台となっていたはずでした。それにより、分裂したイスラエルの十二支派を、ヨセフ氏族・ザカリヤ氏族の中に集約して再現することになるはずだったと考えられます。そしてその基台の上にイエス様は氏族的メシヤとして出発することができたはずでした。
 そして、このような情況は、文先生のときも同様だったと考えられます。

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