22.「“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです」 | 御言 missing link

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 文先生は、2001年ごろから「母子協助時代から父子協助時代に変わった」という御言を語っておられます。それについてすべてを掌握できているわけではありませんが、可能な範囲で、御言を通して確認しておきたいと思います。

長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上世界が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。
 子供を天使長より以上に、未来の旦那さんを天使長より以上に、未来のお父さんを天使長より以上に愛するのです。ですから、母子協助です。分かりましたか?(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」)
 お父様が来られた場合には、『お母さんは、苦労したのですから、お母さんは家にとどまって、もう休んでもよろしい、よろしい。』と言って、お父さんも、そのようなことを願うのです。母の苦労を皆、知った場合には、それは、かわいそうでしょう。
 女性たちが、いかに人知れず苦労をしたか? 東西南北、三百六十度、何回もこのように回り、このように回って、立体的に回り、回りながら、さまよった女の道を知る旦那さんとしては、過去の苦労の道を、もっと貴く思って、『休みなさい。』と言うのです。
 『休め。』と言っているのですが、子供にまで『休め。』と言ったら大変です。お母さんは休むのだけれど、子供に対しては、お母さんより以上の立場になることを願ってきた、お母さんの立場があるのです。
 その子供は、自分を神様の息子として立てようとしたことも、それから母自身も、お母様として立つべく、そのような基準を願ってきたということも知っているのです。
 ですから、母親が、そのようなことをなそうとしなくても、すでにお父さんがいるので、子供は、世界全体を主管しえて余りあるような立場に立つのです。それで、“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです。それが、父子……何ですか?(『協助です。』)はっきりしましたか。(『はい。』)
 母子協助時代と父子協助時代。どちらを願いますか? 父子協助を願う皆さんは、神様の堕落しなかった本当の娘になり、約婚の娘の立場で結婚の予約をして結婚し、そうして、妻と、母の立場の基準を完成した立場ということになります。
 女性の欲望は、神様の体になり、神様の相対者になり、神様とともに子供を生むというのが、女性の最高の理想です。男も、同様です。神様の主管される、その国の王子、王様となることが、男性の最高の理想です。そのような実体圏に含まれたいというのが、人間の最高の欲望になっているのです。」
(ファミリー2001年11月 P22~24 「日本食口特別集会」での御言 2001年9月2日 済州国際研修院)

 最初のところに、
「長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上世界が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。」
 とあります。これは、
「地上天国、天上世界が実現できていない状態においては、天使長の血統が残っている。その時代は母子協助時代であり、長子は天使長、母子協助圏は天使長世界である。」
 と理解できると思います。

「ですから、世界を救う者は、女であって、男でありません。堕落した世界を蕩減復帰させる責任は、神様がいらっしゃったとしても、神様は教えてくださるだけであって、その先頭に立って、代わりになしてあげるという道は、永遠にないのです。分かりますか?
 ですから、そのかわいそうな立場に行って、急変の道を逆さまにたどっていこうというのが、今までの歴史における女性たちの使命でした。
 それでは、そのような中で女性は、何を願ってきたのでしょうか? 真の愛です。いつも、真の愛を持つ、親孝行する子供を願ってきたのです。その立場は、ただの女でもなく、ただの娘でもありません。“子供を待つ親”の立場です。神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。分かりましたか?
 娘の立場に立ったとするならば、次は、自分を奥さんのように愛してくれる男性がいなければなりません。そうして、その男性を絶対的に愛し、子供を大きく育てて、その子供が、蕩減復帰を完成させたお母さんと一つになるようにしなければなりません。そのような時代が、母子協助時代です。分かりましたか? これを、はっきりしないといけません。
 つまり、自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。はっきりしましたか?(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」)
 しかし、そのために、女性が歩むべき道、自分が母として歩むべき苦労の道を見た場合には、独りぼっちです。女やもめと同じです。その母は、子供とお父さんの心情を抱え、お父さん以上の立場で、子供に対して、すべてを防備して守っているのです。
 神様は、今まで、そのような環境をつくってこられました。そうして神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。神様から見た場合に、そのイスラエル民族の子供は、ずっと、女たちによって、最も愛国者になるように育てられました。」
(ファミリー01/11 P11~12 「日本食口特別集会」での御言 2001年9月2日 済州国際研修院)

 赤文字にした部分を、改めて並べてみます。

「神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。」
「自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。」
「神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。」

 
 特に、「神様が愛される、そのような子供」「真の男性」「真の旦那さん」「世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤ」という言葉に注意しながら読むと、「母子協助」とは、真のアダムを誕生させるためのものだったと理解できます。

「第一次、第二次大戦を終え、第三次時代に越えてきながら、すべてを埋め、初めて整備されたカイン、アベル圏と聖霊を中心として、霊的な基準を連結させ、実体的基準を中心として、再臨主と一つとなり、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。
 そのようにしようとすれば、母がいなければなりません。ですから、蕩減時代の母ではなく、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が、相続を受けることができる時代が来るのです。
 生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。女性が、愛する夫の子供に乳を飲ませて育て、その子を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、お母様であろうと、だれであろうと同じです。これが総括論です。
 母子協助時代と父子協助時代では異なるのです。父子協助時代において、生命の種を抱き、育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。今まで、女性たちが本然の夫を捜してくるのに、数千年、数万年、犠牲になってきた、その受難の歴史を超え、本然の夫を迎えることができる位置に立てば、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たさなければなりません。
 それは、だれがしなければならないのでしょうか? アダムとエバを中心として、神様が、まずされましたが、その次に、蕩減時代では、女性が、まず、しなければなりません。そのようにしなければならないのではありませんか? すべてのものを破壊した女性が、夫に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければならないのです。
 そのようにすれば、女性は、その夫を通じて恨の峠を越え、無限な祝福をすべて受けることができる立場に立つのです。
 絶対愛のために、神様が女性を抱いてきましたが、そこに相対的立場に立とうとすれば、絶対服従しなければなりません。その言葉は、お母様に対する言葉です。
 今日、終わりに来て、このようにすべて教えてあげるのです。それは確かですか? 母子協助時代、その次は、父子協助時代。これが最後なのです。
 母子協助時代を蹴飛ばして、父子協助時代に越えていくので、お母様は、ここに協助をしなくても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していくことによって、蕩減するために苦労したすべての時代の祝福を、天から受けることができるのです。
 祝福を受けてからは、夢にでも、ほかの女性、ほかの男性を思うことはできません。街頭に立っている女性たちを、だれがそれを育ててあげなければなりませんか? そこから、すべて橋を架けてこなければなりません。
 ですから、今まで復帰時代において、母は知りません。娼婦の父母の悲しみを、神様がお独りで、真のご父母様が独りで抱いてきたのです。サタン世界で蹂躙されたものを取り除いてしまうことができず、それを愛さなければならない神様なので、どれほど唖然とすることでしょうか? それを知らなければなりません。
 今の時は、母子協助時代から、父子協助時代に転換したということを、はっきりと知らなければなりません。お父様が、蕩減をすべて成したのです。
 キリスト教が、果たすことができなかった女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をすべて立てたのです。原理のみ言とともにです。そうすれば、結論がきれいに出ます。
 父子協助時代に立っている嫁たちが、子供の種を持って育てるのは、天国の歴史時代において、神様を解放することができる一時の祝福を受けたことであるということを知り、感謝して越えていかなければなりません。」
(ファミリー2001年10月 P46~49 「父子協助時代宣言」 2000年11月11日 ハワイ)

 最初のところに、
「再臨主と一つとなり、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです」
 とあります。ここで「おやっ?」と思うところはないでしょうか?
 文先生は再臨主であり、真のアダムです。ですから、文先生が誕生された時点で、母子協助時代は終了してもよさそうなのですが、実際に、母子協助時代から父子協助時代に変わったと言われたのは2001年です。つまり、文先生が誕生され、真のアダムとして完成され、メシアとして勝利されても、なお母子協助時代が終了したわけではなかったと言えます。そこで、次の段落をみると、
「蕩減時代の母ではなく、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が、相続を受けることができる時代が来るのです。」
 とあります。
 つまり、文先生の次の世代の方が、相続を受けることができる時代が来てはじめて父子協助時代の到来が宣言できたようです。私達は、この「相続を受けた方」が誰なのか、いるのかいないのか、よくわかっていません。ただ、表面的な見方から、2000年中ごろまでは、顯進様、後半からは亨進様に変わったと思うかもしれません。
 ここでの明言は避けたいと思いますが、
「直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が、相続を受ける」
 という表現から、「二代にわたって真のアダムが現れた」ということを推察することができそうです。さらには「直接的時代の父」という言葉にこだわると「三代」の可能性も見えてきます。文先生は、そのご生涯の大半から、「蕩減の時代の父」であって、「直接的時代の父」とは言い難いと思えるからです。
 また、相続はいつなされるのかと言うと、結婚によってなされるという御言があります。

「結婚する前は、神様が主人の振る舞いをします。所有の主人です。宇宙の主人であり、その主人の相続者がアダムとエバでした。ですから結婚する前は、その所有権が神様のものですが、真の愛の関係によって神様と一体理想を成せば、神様の所有が私の所有になるのです。結婚する前日までは、宇宙の所有権は神様にあるのですが、その所有権が私のものにならなければならないのです。私が二番目の所有の主人にならなければならないということです。(環太平洋摂理と巨文道 P96、御言選集284 P103 1997.4.16)

「本来、神様は、エデンの園にアダムとエバを創造されたのち、彼らをご自身の祝福のもとで結婚させ、天の所有権までも完全に伝授してあげようとされたのです。宇宙の万象の所有権を、アダムとエバに相続してあげようとされたという意味です。」 (平和訓経 P17 平和メッセージ1 神様の理想家庭と平和理想世界王国Ⅰ)

 ということは、
「直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が、相続を受ける」
 というのは、
「文先生の次の世代、あるいはさらにその次の真のアダムが結婚する(結婚した)」
 ということなのかもしれません。
 そのぐらい大きなことであればこそ、
「母子協助時代と父子協助時代では異なるのです。」
「今の時は、母子協助時代から、父子協助時代に転換したということを、はっきりと知らなければなりません。」

 と言われたのだと思います。
 ただし、このことを2001年前後の真の御家庭に当てはめようとすると、どうしても、私達に見える視野の範囲の中に一致点を見出すことができません。
 単に御言を読み違えているのかもしれませんが、私達が知らない勝利的事実を背景として文先生が「父子協助時代」を宣言された可能性も否定できないと思います。

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