20.「過去の王様、現代の王様、そして未来の王様」 | 御言 missing link

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 先回は「四大心情圏」について確認しました。今回は「三大王権」について言及したいと思います。ただし、先回同様、ここで「三大王権」の全貌に迫ろうというわけではありません。私自身、そのすべてがわかっているわけではありませんので、物足りない部分が残るかと思います。そ点はご容赦ください。
 次は三大王権に関する御言の一つです。

「神様はお祖父さんの位置です。神様は孫を見ることができませんでした。アダム・エバを中心として孫まで見ることができたとすれば、神様は天の国を代表した王様の位置であり、アダム・エバは世の中の国を代表した王であり、アダム・エバの息子・娘は未来の世界を代表した王です。そのようにして三大王権が一つの家庭において成されるのです。祖父母、父母、息子・娘です。
 神様の恨みは何かというと、孫を見ることができなかったことです。」
 (祝福76号 140p 四大心情圏と三大王権(前篇) 1992年 8月27日 国際研修院)

 文先生は、ここで、
「神様は天の国を代表した王様」
「アダムとエバは世の中の国を代表した王様
「アダム・エバの息子・娘は未来の世界を代表した王」
 と言われ、そして、
「三大王権は一つの家庭において成される」
 と言っておられます。
 神様、アダム・エバ、そしてその子供を、それぞれ「天の国の王」、「世の中を代表した王」「未来の世界を代表した王」と言われ、いずれも「王」と表現しておられます。先回、

「そのための完成したアダム家庭の公式的な教育指針は何かというと、四大心情圏と三大王権、皇族圏を探し立てなければならないということです。」 (ファミリー93年7月 P32 成約時代と私 1993年2月14日 ベルベディア)

 という御言を提示しましたが、「完成したアダム家庭」における父母とその子女を、「王」と表現しておられるようです。
 また、同時に「三大王権」「三大」「三代」でもあることがわかります。
「祖父母、父母、息子・娘です」
「神様の恨みは何かというと、孫を見ることができなかったことです」
 と言っておられるのは、その「三代」ということを強調しておられるのではないでしょうか。
 次は、三代が継続することの重要性について語られた御言です。

「その次は何ですか。(三大王権です。) 三大王権とは何ですか。霊界と肉界、未来がありません。一代が神様であり、二代がアダム・エバですが、三代をもてませんでした。四位基台を築けなかったのです。それゆえ、中心がありません。軸がなくなりました。中心がなく四方へと回っていくのです。未来(子孫)が自分勝手に、ばらばらになるのです。垂直線がないのです。それが堕落です。三代を継続させられなかったことが堕落です。あなたたちはそれを知らなければなりません。三代の継続です。」 (祝福家庭 7 P20 家庭盟誓について 第33、55の記事でも提示)

 ここでは
「三代をもてませんでした。」
「垂直線がないのです。それが堕落です。」
「三代を継続させられなかったことが堕落です。」
 と言っておられます。
 最初に、
「三大王権とは何ですか」
 と言っておられますから、「三大王権」という観点から、堕落とは何かということを説明されたと言っていいでしょう。それがすなわち、
「三代を継続させられなかったこと」
 だと言っておられるわけです。
 さらに、次の御言をお読み下さい。

「統一教会の家庭は、四大心情圏と三大王権を復帰するのです。
 自分の祖父は天の特権大使です。もしも、アダム家庭が堕落しなかった場合には、おじいさんには神様と同じように侍ればよいのです。歴史を経て霊界に行って先祖達の一番最後の者として残された主人がおじいさんなのです。ですから神様の代わりです。そして、お父さんは、この世界の地上の家庭の王様です。君達の父母はみんな50億の人類家庭の現代の王様です。過去の王様がおじいさん、現代の王様がお父さん、そして未来の王様となるのが、霊界の天国と地上の天国の両国を合わせた二つの国を相続し得る王子王女であり、アダムの子供であるべきだったのです。これが三大王権です。」
 (ファミリー93/9 32p~33p 日本人特別修練会における御言 1993年 4月16日 ベルベディア)

 冒頭に、
「統一教会の家庭は、四大心情圏と三大王権を復帰するのです」
 とあり、さらに
「自分の祖父は天の特権大使です」
「君達の父母はみんな50億の人類家庭の現代の王様です」

 とありますから、「四大心情圏と三大王権」は、やはり私達がなさなければならないことだと理解されるのですが、
もしも、アダム家庭が堕落しなかった場合には、おじいさんには神様と同じように侍ればよいのです」
「過去の王様がおじいさん、現代の王様がお父さん、そして未来の王様となるのが、霊界の天国と地上の天国の両国を合わせた二つの国を相続し得る王子王女であり、アダムの子供であるべきだったのです。これが三大王権です。」 
 という部分の
「もしも、アダム家庭が堕落しなかった場合には」
「アダムの子供であるべきだった」
 というところに注意すると、先回も申し上げましたが、私達のこととして語っておられるようでありながら、実際は、本来のアダム家庭について語っておられると理解すべきだと思います。したがって
「自分の祖父は天の特権大使です」
「君達の父母はみんな50億の人類家庭の現代の王様です」 
の部分は「本来なら」という言葉を付け加えて
「(本来なら)自分の祖父は天の特権大使です」
「(本来なら)君達の父母はみんな50億の人類家庭の現代の王様です」 

 と読むべきだと考えられます。
 さて、『原理講論』第1章 第2節の中に「正分合作用により三対象目的を完成した四位基台」という内容があります。

「正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用するようになれば、ここでその主体を対象として、おのおの三対象目的を完成するようになる」(『原理講論』P50)
「四大心情圏」はこれを、愛を中心として表現したものだと言っていいでしょう。
 また、文先生は神様を「王」としても侍ってこられ、2001年1月13日には「神様王権即位式」を挙行されました。その神様と一体となった人間のことも「王」と表現されているようです。その意味で、「三大王権」は、四大心情圏を、「人間の完成」ということに着目して縦的に表現したものであり、そこには「三代」の重要性が強調されている言うことができるでしょう。
「天宙父母、天地父母、天地人父母」という御言も、このことと関係した概念なのだと考えられます。
 そして、「四大心情圏」「三大王権」は、NO.9 の記事で確認した次の御言が、愛を中心として表現されたものと言っていいでしょう。

「三段階です。全部が三段階で連結されているのです。その次に、横的には四数です。すべて四方性を備えていなければならないというのです。四数平面基盤の上に、三数縦帯を立てて七数になるのです。」 (ファミリー93年4月 P24 第二十六回「神の日」 1993年1月1日 ソウル本部教会)

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