93.「それが実現すれば、キリスト教(統一教会)が信じようが信じまいが問題になりません」 | 御言 missing link

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 今回から3回ほど連続した内容になります。その内容は少々難しいです。ですが、文先生が統一教会を創設され、特にその初期において何を成そうとされたのかということを理解する上で、さらには、それが現在の摂理にも関係しているかもしれないという意味で重要だと考えられます。今まで「主の路程」と題して学んできた内容では語られてこなかった意味合いが見え隠れするからです。その真意にたどりつくのは難しいことだと思いますが、心ある方にも取り組んで頂けるとありがたいです。

 さて、「主の路程」の序盤に出てくる中心人物たちの中に、はずすことのできない女性3人、男性3人がいます。
 以下、いつものように、太字「」は文先生の御言です。それ以外は私の説明です。

「すなわち女性を中心とした摂理は、金聖道、許孝彬、主なる神の夫人だと主張する朴老婆につながり、男性を中心とした摂理は、白南柱、李龍道、金百文につながりました。」(真の御父母様の生涯路程② 男女相対的な役事)

 摂理上、常に2番目は難しい立場で重要と言われますが、女性を中心とする摂理の許孝彬、男性を中心とする摂理の李龍道はどちらも2番目です。

神様がユダヤ教を中心として役事された内容と、ヨセフ家庭を中心として役事された内容とは、大いに異なります。それと同じく、キリスト教を中心として今まで役事してこられたことと、韓国で成された新しい神霊役事も違うのです。神様は、み旨を立てるべき様々な神霊団体をして、ヨセフ家庭と同じ使命を果たすことができるようにさせました。
 言い換えれば、歴史的なすべての蕩減条件を引き受けて出ることができる家庭的基盤を準備するために、このようなものを100パーセント準備したのです。しかしその当事者たちは現れる結果は分かりましたが、その内容を理解して責任を負って出る人はいませんでした。
 数多くの歴史路程を通じてこの時代圏内に現れたその集団の歴史は十余年にすぎませんが、その歴史の背後には六千年の長い摂理の内容が連結していたのです。それゆえ彼らが新しく来られる主と完全に連結され、すべての社会と環境をここに一致させ、一つの盾となり、完全な軸となって、その周囲を完全に守ることができる基盤になっていれば、そのような基盤の上で新しい歴史を出発させることは難しくなかったでしょう。それが実現さえすれば、キリスト教が信じようが信じまいがそれは問題になりません。
(真の御父母様の生涯路程② 神霊教団と既成教団)

 最初の部分には、
「神様がユダヤ教を中心として役事された内容と、ヨセフ家庭を中心として役事された内容とは、大いに異なります。」
 とあります。詳しいことは分かりませんが、私達はこの違い、つまり、神様が
「ユダヤ教を中心として役事された内容」「ヨセフ家庭を中心として役事された内容」
 の違いについて考えたり、論じたりしたことはなかったのではないでしょうか。そこに違いがあるということさえ認識になかったと思います。
 そして、
「それと同じく、キリスト教を中心として今まで役事してこられたことと、韓国で成された新しい神霊役事も違うのです。」
 と言っておられます。
 つまり、神様が
「キリスト教を中心として役事してこられたこと」「韓国で成された新しい神霊役事」
 が異なると言っておられます。
 ここで、もう一度、対応関係を確認すると
「ユダヤ教を中心として役事された内容」「キリスト教を中心とした役事」に対応し、また、
「ヨセフ家庭を中心として役事された内容」「韓国で成された新しい神霊役事」に対応していると理解できます。
 ということは、それらの使命を継承しているはずの統一教会においても、上の2系統の内容、
「ユダヤ教を中心として役事された内容」「キリスト教を中心とした役事」
 および
「ヨセフ家庭を中心として役事された内容」「韓国で成された新しい神霊役事」
 の2つの役事に相当する内容があったのではないかと思われます。この違いを私達は知らずに過ごしてきたと思います。
 最初の段落の最後のところに
「神様は、み旨を立てるべき様々な神霊団体をして、ヨセフ家庭と同じ使命を果たすことができるようにさせました。」
 とあります。この時代の「神霊団体」
「ヨセフ家庭と同じ使命」をもっていたようです。
 そして、上の御言の最後のところには、
「それが実現さえすれば、キリスト教が信じようが信じまいがそれは問題になりません」
 とありますから、これは、かなり重要な摂理だったということになります。
 しかしながら、文先生のために準備されたはずの、それらの「神霊団体」がその使命、つまり「ヨセフ家庭と同じ使命」を果たすことができなかったということであれば、文先生の苦難の路程が確定していく原因は、私たちが理解しているよりももっと早かった可能性が見えてきます。
 また、その使命は、そのまま統一教会に受け継がれていたはずですから、それがどう展開され、どういう結果になったのかということも重要なことだったと思われます。
 統一教会の正式名称は「世界基督教統一神霊協会」ですが、これは、この名称の正式な説明とは別に、上の「ヨセフ家庭と同じ使命をもつ神霊団体」の役割を継承しているところにもその由来があるのかもしれません。
 さて、もし、上の「ヨセフ家庭と同じ使命」が統一教会内で果たされていなかったとしたら、それは次の世代に延長されているかもしれません。そうであれば、そこには
「それが実現さえすれば、統一教会が信じようが信じまいがそれは問題になりません」
 と言える摂理・み旨が、今、私たちの前に存在しいるのかもしれません。

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