49.「真の母の伝統を絶対に相続するのではありません」 | 御言 missing link

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49.「真の母の伝統を絶対に相続するのではありません」
 
 御言の改編‥‥‥。
 文先生は、ご自分が霊界に行かれた後、「必ず、御言は改編される」ということをわかっておられたのではないでしょうか。
「そのままにしておきなさい」
 と言われた理由は、それをやめさせるためというだけではなかったのでは、と考えています。

 次は、第3の記事で提示した御言の一部です。

「ですから君たちは将来、先生の語った内容、先生の書いた内容を、自分勝手に加減して訂正しようというような思いを持ってはなりません。そのようなことをした場合には、先生の200巻以上の説教集が皆飛んでしまうのです。分かりましたか?(はい)。天と霊界の先生の話のとおりにしておかなければなりません。いくらノーベル賞をもらったアメリカの大統領であっても、有名大学の出身者であっても、その人の意見で先生の話を変えることはできません。(ファミリー 93年 9月 「日本人特別修練会における御言」1993年4月16日アメリカ・ベルベディアにて)

 このように明言されたことにより、かえって「オリジナルはどうだったのか?」という関心が高まるようになるでしょうし、仮に加減・訂正されたとなれば、そこに関心や批判が強まったりすることもあるでしょう。それは、改めて文先生の真意をたずねるきっかけになるかもしれません。 
 また、このような御言があるにも関わらず、「加減して訂正」した場合、御言の理解に対して一定の基準以上にある食口は、少なくとも、本心から、喜んで教会に帰属することはむずかしくなるでしょう。

 次の御言をご確認下さい。

「今日、統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られず、それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ています。私たちの語っていることは、事実か、そうでなければ謎のような言葉です。事実だというならば、皆さんは、アダムとエバが堕落する前に見ることができ、推し量り得る自分自身となっていますか。」(2009年1月2日 第25回「愛勝日」&神様王権即位式第7周年記念及びイエス様生誕記念)
  
「教会に帰属して、そこから恩恵や救いを受けようとする信仰」から成長しなさいと言っておられるように受け取れます。
 つまり、
「先生の御言は真実だ、と言いながら、実際はその通りなっていない。堕落する以前のアダム・エバのようにはなっていない。その原因は
『統一協会の信徒たちが、宗教圏の垣根を抜け出られ』
 ないからである。そして、
『それに覆われながら生きてきた習慣的なすべてのことを、どのように清算するのかという、重要な起点に今、来ている』
 と言っておられるのでは、ということです。

 また、以前、次の御言も提示させて頂きました。

「『家庭連合』時代が、どれほど重要な時代であるかを知らなければなりません。世界が一度に地から持ち上げられて、上がっていく時がきたのです。宗教なしに上がることができるのです。 (ファミリー 1997/7 P13)

 すでに、「宗教なしに上がることができる」時代がきているとのことです。

「堕落故に生まれたのが宗教。堕落した人間を教育する学校、訓練する訓練所が宗教だというのです。学校や訓練所は卒業しなければなりません。しかし、どの宗教も、入教を勧めるけれど卒業を勧めません。(2007年4月16日 FAX-NEWS アジア太平洋平和サミットが開幕 4月15日 ソウル ---第19の記事でも提示)  

 統一教会も、いつの日か、すべての食口が卒業する時が来るのではないでしょうか。それは、上の御言にあるように、
「宗教圏の垣根を抜け出られない」ことが、堕落する前のアダムとエバのようになれていない原因だということであれば、統一教会からの卒業とは、決して、全人類が救済されたあとに起こることではないように受け取れます。

 そして、御言の改編は、この「卒業」という方向性を進めることに、むしろ役立つことのように思えます。
 文先生は、そこに、想定内の一つの道筋とあらかじめの許しの道を残しておかれたのでは、と考えることができます。
 ですから、再編、改編、改ざん、加減・訂正、大歓迎です。もっと、おおっぴらに、大々的に、どんどんやって、教会組織への執着を断って頂けると有り難いです。

 我が家にも天聖経は新旧2冊あります。新しい方は、読みやすくなっていると思います。教会幹部にとって都合の悪い部分が削除されていると言われていますが、そのあたりを気にかけなければ、大変ありがたいものだと思います。上で申し上げたような考えに至った私は、これは、これでいいのではと思っています。

 今の時代、不都合な部分を削除したとしても、それは、表向きのことであって、完全に抹消することはできません。むしろ、本当に作為的な編集が行われたとしたら、その事実の方がいつまでも残ることになるでしょう。
 そのような事実が残ることの方が、今後の教会本体の発展にとって大切なのではないか、とさえ考えています。

 文先生は、教会そのものの拡大・発展を願っておられたわけではないはずです。その御言、思想、理念、理想、伝統の拡大・浸透を願っておられたのではないでしょうか。御言を引用するまでもなく、そこに異論のある方はいないと思います。

 さて、次の御言は、第3の記事でも提示した御言の一部です。

「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。
 今、先生を中心として、お母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として、行かなければならないのです。他の御言を述べるのを許しません。
 今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません!」
 (祝福85号 P68 「祝福二世の行くべき道」より)

「先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」
 という御言を、そのまま受けとめてきました。
 そして、お母様は
「お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として」
 行かれる。
「他の御言を述べる」
 ことは決してない、と思ってきました。
 しかしながら少々困難を感じています。参考までに次の御言も提示させて頂きます。

「訓読会を一生懸命にする、一番のチャンピオンはだれですか? いちばん一生懸命に訓読する人はだれですか? 神様ですか、真の父ですか?(『お父様です』)。真のお母様も好みません。(笑い)ですから、私しかいません。
 ですから、真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか? 真の母は管理の主人です。育てて教育する主人です。」
 (ファミリー99/11 51p~52p 「九・九節」の御言 1999年 9月9日 中央修練院)

 最後の
「真の母は管理の主人です。育てて教育する主人です。」 
 の部分は、先回の記事の
「アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです」 (創立以前の内的教会史 P579)       

 という御言と無関係ではないように思います。
 
 真のご父母様を敬愛する気持ちに変わりはないと自負しているつもりです。ですから、これ以上の詮索は今のところ私の本意ではありません。
 ここでは、改めて

「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。」

「真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか?」

 ということを確認させて頂きます。

 教会が「カトリックのマリア信仰の再現」に似た状況とならないようにと願いながら‥‥‥。
 でも、それは、ひょっとすると、避けることができないのかもしれません。文先生ご聖和後の家庭連合に、まだ残されているかもしれない歴史清算(完全な相似形ではありませんが)の役割や蕩減として。

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