48.「堕落の蕩減をするエバ、アダムを生み出すエバ、アダムから創造されるエバ」 | 御言 missing link

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48.「堕落の蕩減をするエバ、アダムを生み出すエバ、アダムから創造されるエバ」     

 御言を読んでいると、時々「摂理の目的はアダムを完成すること」という内容を目にします。きょうはそのことに関連した記事です。
 では、御言です。 

宗教の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。また神様の救援摂理の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。神様の目的や天使長の目的がアダムを完成することにあるので、その基準を世界において、霊界と肉界において再蕩減しなければなりません。霊肉を中心として、サタン世界と天側の天使圏が戦って勝敗を競うというのが第二次大戦であったと見るのです。聖書から見れば、ハルマゲドン戦争なのです。」(真の御父母様の生涯路程② 第二次大戦の摂理的意義) 

 前半は「神様の目的や天使長の目的がアダムを完成すること」という縦的な内容です。これから何か重要なことを語られるのでは、と構えたくなります。ですが、そのあと第二次世界大戦の話が来ます。そこで、「第二次世界大戦のことか、統一教会や今の私たちとは直接関係なさそうだ」というように無意識のうちに、構えを解いて、自分の立場と分けて考えるようになります。

「聖書から見れば、ハルマゲドン戦争なのです」
 の一言で、はっとして、少し構え直す人がいるかもしれません。これは、私達の縦的アンテナが完全に引っ込んでしまわないようにされたのでしょうか? (少々深読みのし過ぎですね。)
 ですが、文先生は、私たちのそのような思考方法をよくご存知だったのかもしれません。大切な内容を、詳しく教えることができない事情のもとで話される場合、私たちの焦点を、違う時代、違う立場の人々や国に向けさせるということがあったのではないでしょうか。もちろん、すべてに当てはまるわけではないと思いますし、そのために付け加えられた話に意味がないというわけではありません。
 ここでは、最初の部分に、 
「宗教の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。また神様の救援摂理の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。神様の目的や天使長の目的がアダムを完成することにあるので、」
 とあります。
 統一教会も宗教です。統一教会と他の宗教は違うとも言えますが、本来、文先生がキリスト教基盤の上に立たれていたら統一教会は必要なかったとも言われてきました。統一教会はそのキリスト教を代理するものとして創られたはずです。その点から見れば、統一教会も同じ宗教です。少なくとも2001年の真の神の日の文先生の祈祷「たった今、キリスト教歴史2000年を終え、」を聞くまでは。
 では、アダムとして来られた文先生が創られたのが、上の御言にある「アダムを完成させるための宗教」だとしたら、その完成すべきアダムとは、果たして文先生ご本人のことだったのでしょうか? 自分で自分を完成させるための宗教を創ったということだったのでしょうか?
(もちろん、上の御言のすぐ後で申し上げた仮説が間違っているとすれば、ここは家庭連合以外の他の宗教のことを言っておられると主張することも可能だと思います。)
 また、私達がいまだ、天使・天使長の立場を超えることができていないとしたら「神様の目的や天使長の目的がアダムを完成することにある」という、この「天使長の目的」はまだ実現していないことになります。私達の目的が、「文先生をアダムとして完成すること」とはならないと思うからです。

 さらに、このアダムの完成には、エバが不可欠だという御言があります。
 
「神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバを見出されずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物でありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。
 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生れ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破壊させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。」
 (創立以前の内的教会史 P579)       

冒頭に、
「神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバを見出されずしては、アダムは生まれ出てきません」
 とあり、その上で、

「堕落の蕩減をするエバ」
「アダムを生み出すエバ」
「アダムから創造されるエバ」


 というように、3つのエバの役割・立場が語られています。
 では、この3つの役割・立場のエバは、すべて同一人物なのでしょうか?
 そうとらえるのは少し無理があるように感じます。ここは、エバが2人、あるいは3人必要だと考えるのがより自然なように思えます。ことによると、エバにも「三代圏」という内容があるのかもしれません。ただ、今のところ、まだまとまっていませんので、この話はここまでに留めさせて頂きます。

 次の御言です。
 
「神様は、原理原則に従って運行される方であられるのを知らなければなりません。アダムを失ったため、サタン世界からもう一度探してこなければなりません。アダムが誤って、夫の役割を遂行できなかったため、アダムはエバを支配し治めることのできる位置にいたにもかかわらず、エバをサタン世界に奪われました。それで、サタン世界からもう一度探してこなければならないのです。ですから、エバを再び探してくるなら、闘わないですむでしょうか。国の基盤から教会の基盤、氏族の基盤、家庭の基盤を神様は準備されました。そうしてヨセフ家庭を立てられ、ザカリヤ家庭を立てられました。それゆえ、ヨセフ家庭のイエスと、ザカリヤ家庭の洗礼ヨハネが一つになったならば、短い期間に神様のみ旨が成されたはずです。洗礼ヨハネがイエス様を信じたならば、どうなったでしょうか。また、洗礼ヨハネの妹を、イエス様が新婦に迎えていたならば、どうなっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。このようなことを言えば、キリスト教徒たちは、すぐさま反対するでしょうか。大変なことになったと大騒ぎすることでしょう。しかし、いくら反対してみても……。皆さんが、今反対していますが、霊界に行ってみれば、レバレンド・ムーンがうそを言わなかったことが分かるはずです。」(祝福家庭と理想天国Ⅰ 3.家庭を中心とした復帰摂理)

 最初に「原理原則」の話から入り、それからイエス様の時代の話に移ります。
 その話の内容に対し、
「キリスト教徒たちは、すぐさま反対するでしょうか。大変なことになったと大騒ぎすることでしょう。」
 と言っておられます。何に反対するのかと言えば、
「洗礼ヨハネがイエス様を信じたならば、どうなったでしょうか。また、洗礼ヨハネの妹を、イエス様が新婦に迎えていたならば、どうなっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。」
 という内容に対してのようです。
 ところが、そのあと
「皆さんが、今反対していますが、」
 と、私達食口のことになります。
 これはどういうことなのでしょうか?
 ことによると、ここでは、上の御言の冒頭の「原理原則」という観点から、文先生と私達に関することが、イエス様とキリスト教徒に置き換えられて語られているという可能性があるのかもしれません。
 イエス様の時代の話は、その最後が
「洗礼ヨハネの妹を、イエス様が新婦に迎えていたならば、どうなっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。」
 となっています。これは、その「原理原則」を、イエス様の時代について、説明されたのではないでしょうか。
 ここで文先生が言っておられる「原理原則」とは、
「アダムを失ったため、サタン世界からもう一度探してこなければなりません。」
「エバをサタン世界に奪われました。それで、サタン世界からもう一度探してこなければならないのです。」

 ということのようです。
 このことに対して、キリスト教徒が反対するように、私達食口も文先生がなさること、語られることに反対しているということなのではないでしょうか?
 つまり、私達が一体何に対して反対しているのかというと、
「サタン世界からアダムとエバを取り戻すということに対して」
 ということに対してとなります。 
 反対したことの詳細ははっきりとはわかりません。ただ、
「サタン世界からアダムとエバを取り戻す」
 ということに対して、知らずにそれと反対の立場に立っていたとしたら、それはとても大変なことだと思います。

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