23.ザカリヤの立場をも‥‥‥!? | 御言 missing link

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23.ザカリヤの立場をも‥‥‥!?

 今回は、先回提示した御言について、もう一つ気になる観点が残っていますので、それについて触れておきたいと思います。

「アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。
 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。
 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。
 アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。
 アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。」
 (み言葉選集55 P235~ 「アベルの使命」)

 私たちは「父母を復帰する」というと、自分の一代前の両親のことを考えます。ですから、ここでも、「アベルが父母を復帰する」といえば、その一代前のアダムとエバを復帰することと考えると思います。もちろん、確かにその意味で語られている御言もあると思います。
 ですが、それだと、御言全体がわかったようなわからないような、今一つすっきりしない場合が多々あります。上の御言もそうではないでしょうか。
 特に、3行目からの
「天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。」
 の部分ですが、「父母」を一代前に見ようとすると、何か釈然としないものが残ります。たとえば、
「父母を探す」
 です。自分の父母であれば、果たして探す必要があるのでしょうか? 
 それから、
「アベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということ」
 という部分です。
 天使長から見ると、アダム・エバは時間的には一代前ではなく一代後です。
 そこで、「父母復帰」=「一代前の親復帰」と見るよりも、「父母を復帰する」とは、その後の代に「理想の夫婦・家庭を実現させる」と理解した方がよい場合があるのでは、と思えるのですが、いかがでしょうか?
 神様から見れば、それも、失った理想の父母を復帰することになるはずです。
 そして、重要なのはその先かもしれません。
 文先生が、理想の夫婦を求める神様の願いを知ったとき、当然ご自身が真の家庭の実現を目指してこられました。しかしながら、文先生がご成婚されたのは、40歳の時です(「正式には」と言った方がよいのでしょうか?)。そして、真のご家庭は、「理想」よりも「犠牲」を先行させなければならなかったということは、私が述べるまでもないことだと思います。そして、家庭的な勝利圏の上で、神の日を制定されたのは、1968年、文先生が48歳の時でした。
 そのとき、「神様、これでご満足でしょう」と祈られた文先生ではなかったと思います。「もっと早く、できれば若いときに、神様に、真の愛の刺激、その実体圏での喜びを贈りたかった」と願われた文先生だったのではないでしょうか。
 そして、ご自身だけが勝利すれば、「あとは知らない」と考えられた文先生ではなかったと思うのです。必ず、若い理想カップルを神様に捧げると決意された文先生だったのではないでしょうか。
 そして、若い理想カップルを神様に捧げたいと願われた文先生であれば、
「神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者」
 としての役割さえ、いとわなかったはずです。次のような御言もあります。

「天使長が先に造られて神と一つになったところにおいてアダム、エバが造られたんだよ。その基準を我々は復帰しなければならない。 (御旨と世界 P155 「真の父母と我々」)

 そうすると私の中では、疑問が疑問を呼びます。

 キリスト教基盤を失うことで、文先生が洗礼ヨハネ的立場にまで下りられたということは、第16の記事で確認しました。(下の〈補足〉に、その御言の一部を提示しておきます。)
 疑問とは、実は、もう一つ前まで戻らなければならない事情があったのではないか、ということです。洗礼ヨハネのもう一つ前の立場です。
「神と一つになったところにおいてアダム、エバが造られた」 を実現されるために。

 今回は、根拠のない明言は控えておこうと思います。
 
〈補足〉
「主が来られるときに、世界の宗派がたくさんあるものを連合する運動を中心として、エリヤのような代身として、再臨主が来られる前に洗礼ヨハネのような存在がやってきます。そして全部統合運動をして、一つの世界をつくるのです。それで、全て統合運動、家庭連合、主教連合、世界連合体制になります。そうして、以前の統一教会の名前は何ですか?『世界基督教統一神霊協会』です。これらを一つにしなければなりません。(ファミリー 98年7月 P24)

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