22.「希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて」 | 御言 missing link

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22.「希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて」

 今回は、「み言葉選集55」(P235~239)からの引用で、アベルに関する内容です。

「アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません。」

 この中に
「サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません」
 とあります。アベルがなすべき使命として語られていますが、これは文先生がされてこられたことでもあります。

 続きです。

「アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。言い換えれば、失ってしまった横的な3人の息子を探していく責任を背負った人がアベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、サタンがいるはずです。分かりますか。アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。 (み言葉選集55 P235~239)

 最後の部分に
「神様は何を願っているかというと、‥‥‥堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。」
 とあります。神様のこの願いを知った文先生は、
「私は真のアダムだから、私にはそのような心配をする必要はない。」
と思われたでしょうか。
 上述の神様の願いに対して、そんなことがわかってできる人は、この歴史上、誰がいたでしょう。文先生が、後にも先にも、自分以外にいないと気づいたとき、その役割を自ら進んで引き受けられたのではないでしょうか。
「身代わりしてあげること」という部分に、神様に対する文先生の気持ちが現われているように思います。

 続きです。

「では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。」

 上の御言にある、「父母を探すために協助したアベル」とは誰だったのでしょうか? 真の父母である文先生の前に、そのようなアベルがいたのでしょうか? 果たして、わかってできた人がいたのでしょうか。

 続きです。

「その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。」

 この御言の中の
「その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。」
「神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。」
 と言う内容も、文先生がなさってこられた内容です。

 続きです。
「アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。」

 文先生以前に、文先生のために、上の内容を勝利したアベルがいたのでしょうか。

 さらに、続きです。

「また、アダム・エバは堕落することによって、実体を失ってしまいました。その次に、心情を失ってしまいました。この代わりに復帰の中間的な責任を持たなければなりません。言い換えれば、アダム・エバは堕落することによって、神側とサタン側の中間の立場に立つようになりました。それゆえ、こちらにもあちらにも動く立場に立っているのです。彼らが人間を神側へのみ立つようにすることができるでしょうか? これはアダム・エバがやることではありません。アベルがやらなければなりません。そのためにアベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。
 
 最後の、 
「残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。」
 に関しても、文先生以外の誰がなしたと言えるでしょうか。

 続きです。

「血を流す歴史的な祭物路程というのは、カインにあるのでもなく、アダムにあるのでもなく、父母にあるのでもありません。誰にあるかといえば、アベルにあるというのです。アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。 この天地をすべて堕落させた中心的な天使長がサタンになったために、これを復帰するために、アベルを通して蕩減してきたことを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦いなのです。これが今までの歴史であるということを知らなければなりません。主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。アベルという存在がそのような立場であることをはっきりと知らなければなりません。アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。アダム・エバが天使長と愛の因縁を結ぶことによって、神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。このような立場から出たのが、アベルなのです。反対だということです。」

 中ほどに、
「主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。」
 とあります。
 文先生が再臨主として出発される際に、「このような戦い」であるところの
「堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦い」
 をなす中心的人物が失敗してしまっていたとしたらどうでしょう。代わりに、文先生ご自身がその立場に立たなければならなかったはずです。

 続きです。

「天使長がアダム・エバを堕落させることによって、理想的な実体を犯し、理想的な愛の世界を犯したので、これを蕩減するために神様はアベルを立てたのです。それで、アベルが実体的に血を流さなければならなかったのです。歴史時代にアベルの立場に立った人たちには希望もありましたが、その希望を成就した立場で死んでいったのではなく、成就できないままに血を流し、犠牲になったのです。 天使長が責任を完成することができず、アダムが堕落することによって、そのような結果がもたらされたために、神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。」 (ここまでが「み言葉選集55」(P235~239)からの引用)

 この御言の最後にある
「神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。」
 の「中心存在」として、文先生を迎えるために、その使命を勝利した人がいたのでしょうか? 

「天使長」という言葉がどうしても引っ掛かりますが、最初の御言から通して読むと、私には、ところどころで、文先生のご生涯のいくつかの場面が想起されてきます。

 神様の恨が目の前に残されていると知ったとき、それを解く道を決して避けたりせず、どこまでもそこを尋ねていった文先生でした。
 そして、血みどろになりながら、どんなことがあっても、「真の父母」の位置まで、妥協なく勝利を目指して上って行かなければならなかった文先生でした。

 最後に、第10の記事でも提示させて頂いた次の御言の一部をもって、今回は終わりたいと思います。

「苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです。では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。(御旨と世界 P611 「創立以前の内的教会史」)
 
 
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