タイ仏教の説法 | 願望を実現させる占い師 吉本博栄の独り事

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博栄流四柱開運術の創始者吉本博栄が世相をぶった切ります、

今日のお話。

「タイ仏教の説法」です。

とても素晴らしい内容なので、引用させていただきます。

忙しいあなた(私も)にピッタリ。

時間がなくなっていったあるチベット尼の話です。





昔、あるチベットの沙弥尼がいました。

タイではほとんどありませんが、チベット仏教圏では

森や洞窟の中で修行をする沙弥尼が今でも数多くいます。





その沙弥尼も、森で修行をしていました。

所有しているものはほとんどありません。

袈裟くらいのものです。





彼女は、その袈裟を蛇に食われて、

穴が開いてしまうことがよくありました。

穴が開いてしまうと、村人にお願いして

裁縫道具を貸してもらい、穴をふさいでいました。





しかし穴をふさぐとすぐまた、蛇に穴を開けられてしまいます。

袈裟は当時は、あまり手に入らないものでしたから

特に大切にしなければいけません。

彼女はだんだん、それがわずらわしく感じるようになってきました。





布を補強してばかりいたら、時間の無駄だわ!

修行の時間がなくなっちゃう!

と、思い始めるようになりました。





そして、どうしたらいいだろうと、解決策を考えました。

あるアイデアが浮かびます。





そうだ!

猫を飼って、蛇が近づかないようになればいいんだ!





そうして、村人にお願いして、猫を1匹飼うことにしました。

猫を飼い始めたら、次にまた問題が発生しました。

ミルクを与えなければなりません。





村人にお願いして、ミルクをもらいました。

托鉢に行ったときに、村人にミルクを分けてもらい、

猫に毎日あげました。





しかし、毎日ですから、村人に申し訳ないと思うようになりました。

そして次にまたアイデアが浮かびました。





そうだ!

ミルクを出す牛も飼えばいいんだ!





そうして、今度は村人にお願いして、

牛を一頭もらって飼うことになりました。





牛をもらうと、牛が食べる草を用意しなければなりません。

その草を集めていると、また飽きてきました。

そして時間もなくなっていきました。

また何とかしよう、とアイデアを考えました。





そうだ!

自分の代わりに、草を集める人をお願いすればいいんだ!





また村人にお願いして、興味のある人を紹介してもらいました。

沙弥尼が勉強を教えてあげるから、かわりに草を集めてほしい、と。





すると12歳くらいの子が興味をもってくれました。

その子が来たときに、また問題が生じました。





沙弥尼と一緒に暮らすことはできませんから、

その子が住む小屋が必要になります。





その小屋を村人と一緒に作っている時

悩みを抱えたある人が、彼女のもとを訪れました。

そして彼女に、相談事をはじめました。

彼女はイライラしてこう答えました。





「私は忙しいの!時間がないのよ!

それがわからないの?

この子が暮らすために小屋をつくらなくちゃいけないし。

それは、草を集めるためにやっているの。

牛がちゃんと育つように

ちゃんとミルクがでて

猫にあげられるように、やらないといけないの。

そうしたら、蛇がよって来て

私の袈裟に穴をあけることはないんだから!」





彼女は、自分がこう説明していて、

はた、と気づきました。

そうだ、はじめは

単に袈裟に穴が空いて直すのがめんどうで始めたんだった。





なんで私は、こんなに自分を忙しくしているんだろう。

なんで小さな問題を、

自分でこんなに大きくしてしまっているのだろう?





もう、やめよう。

その後、彼女は猫も牛も飼うことをやめて

元のシンプルな修行生活に戻りました。





十分に時間が生まれました。





時に蛇に袈裟をかまれることがあっても、今の彼女は

気づきをもって、笑顔でその穴を繕うことができます。

幸せな時間です。





これが一番、シンプルでいいんだ。

穴が空いたら、また繕えばいい。

そう気づきました。

何も不満な気持ちが起こりませんでした。





穴が空かないように、かまれないようにと、

いろいろと防衛策を考えて頭も行動もグルグルとしてしまっていた。

でも穴が空いたら、その時また直していけばいい。





そうしたら縫う時間も、修行の時間であると気づいていきました。

かつては、縫う時間は修行ではない、時間の無駄だと

思い込んでいたのです。






この話は、私たちの生活を振り返るのに

いろいろ考えさせてもらえる話だと思います。

居心地よくしたい、という思いが強すぎると

居心地よくするための様々な行いが、人生を忙しくしてしまう。

これでは本末転倒。

本質は何か、いつも考える必要があると思いました。