第2回 巻の四から巻の七 | ちょい悪爺LEONのブログ

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2009/07/03(金)
LEONです。

映画レッドクリフを見て・・・北方謙三の『三国志』を読み始めました。
そのことは第79回に書きました。
その時は巻の1から巻の3まででしたが、今は読み進んで巻の7まで終わりました。

巻の7にしてようやく、映画『レッドクリフ』『赤壁の戦い』の場面が
出てきます。

『徳の将軍』といわれた『劉備元徳』のもとに、食客となっていた流浪の
軍師『徐庶』は母親を曹操に人質に取られたため、やむなく劉備の
もとを離れ、曹操のに仕官するのですが、別れのとき劉備に対し
自分のかわりにある男を軍師にすればいいと示唆していくのです。

その男こそが後の劉備軍の軍師『諸葛亮孔明』なのです。
劉備は孔明の庵を三度も訪ね、『志』を訴え、その志に感銘を受けた
孔明は軍師を引き受けることになります。

孔明の鋭い判断により、劉備は揚州を治めていた『孫権』と同盟を
結び、河北(黄河の北側)四州を平定して強大な力を持つ『曹操』
対峙するのです。

孫権軍には無き兄『孫策』の幼馴染『周瑜(しゅうゆ)』が孫権を支えて
います。長江(揚子江)に強大な水軍を持つ将軍でした。

この同盟は長江を押さえる周瑜と精鋭の騎馬隊を持つ劉備軍の
シナジー効果を狙ったもので、曹操軍と戦うためには他に選択肢が
なかったともいえるのです。

長江に漢水が合流する少し上流に烏林という地があります。
長江が西から東へ流れる北岸にあり、決戦のころには絶えず北風が
吹く所なのですが、孔明と周瑜はあえて風下にあたる石頭関の側
(長江の南岸)に陣を張ることにしたのです。
地元の農民などからこの季節に2~3日だけ南風が吹くことを
確認していたのでした。

そしてその日がやってきます。
この風に乗って水軍が火責めを仕掛けるのです。
あっというまに俄か仕立ての曹操水軍は火の海と仮し、曹操の
本営まで燃え拡がっていきます。
曹操は駆けに駆けて敗走していくのです。
連合軍の圧勝でした。

周瑜はこの日がくるまで毎日毎日石頭関に登り、この風を待って
いたのです。
旗艦から振り返ると燃え盛る火を映し出して、石頭関が真っ赤に
染まっています。


以下巻の7のP153から引用します。

炎が、大きくなった。
小さな炎が集まり、ひとつになり、空高くにまで舞い上がり、
踊り狂う。生命のあるもののようだった。
周瑜は、旗艦の楼台にいた。
長江が、赤かった。ふり返ると、自分がじっと立っていた、
石頭関の崖も赤く照らし出されていた。まるで、この世の
すべてが赤く染まったように見える。
その中でも、石頭関の赤い崖は鮮やかだった。
『赤い壁か』
『は?』
そばにいた淩統が言った。
『石頭関を、今後は赤壁(せきへき)と呼ぶぞ、淩統』
『赤い壁ですか』
『この赤だけは、いつまでも忘れられまい』

引用終り

『レッドクリフ』の誕生の場面です。

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