雪道ドライブ
東京で雪は降ってないが
関東甲信越地方では
結構な雪らしい。
雪といえば
数年まえの2月、
関東に降った
大雪を思い出す。
結構積もって、
明け方には膝くらいまで
積もっていた。
(50センチくらい?)
車で出かける用事があったので
積もるまえにタイヤチェーンを
巻いておいたのだけれど
さすがにそんな積雪量では
もちろん駐車場を出るのも無理だった。
そんな悔しさから
車を車高のある四駆に
乗り換えることにした。
四駆に乗り換える話も
降って湧いたような
話なのだけれど、
渡りに舟だった。
そんな四駆で
雪道を走ることは
東京に住んでいると
通常ではめったいないが
タイミングを見計らって
ただ雪道を走るためだけに
出かけてみようと思う。
もちろん、スタッドレスだ。
スーツケースいっぱいに夢を
2月になればすぐに
今年最初のKAMOMEでの
ライブが14日にありますが
ドラムに新たなメンバーを迎え
新体制で行います。
(クンゴはBUBUNGOの相棒だからね〜)
それはそうと、
そのまえに友人の買い付けにお供して
アメリカに行くことになりました。
つい、
「いいな、俺も行きたいなぁ」
と、言ったばかりに(笑)
なんのため?
と、訊かれると返答に困るのですが
一言、言うとすれば
刺激を求めに行く感じでしょうか?
旅費は立て替えてもらってしまったし
ESTAの申請も済ませました。
あとは国際免許を取得してきます。
(ダイハードやスピードなんちゃらな、カーチェイスはありませんよ)
あとは英語ですね。
そればかりは
急にどうにもなりませんので
耳を慣らすために
現在、アメリカ映画を見まくっています。
(ピロートークだけは一人前以上!)
お金があったらなぁとか
時間があったらなぁとか
英語ができるようになったらとか
そういうことを言っていると
いつまでたっても
行けないですからね。
滞在中はビンボー生活に
なりそうですけれど、
歌える機会があれば
歌ってこようと思います。
それも日本語で(笑)
うそです、英語で。
Stand By Meと
What's Goin' Onと
SUKIYAKI Song
あとギターがあれば
What you Won't Do For Loveに
We're All Aloneなら
目隠しでも歌えます。
行くまえも、
帰ってきてからも
きっと問題が山積みでしょうけれど
とりあえず、強行です。
スーツケースは
一番でっかいのを
空っぽで持っていきます。
なにせ、運び屋も兼ねているのでね。
夢だけ詰め込んで
行こうと思います!
餞別、よろしく!
香りの使い方
本当に匂いに翻弄された日だった。
バスの中、ランチのレストラン。
僕も愛用している香りがあるし、
香水は好きだけれど
度を超えると本当に辛いものがある。
匂いは、脳の記憶に対して
ダイレクトに刺激するからね。
ずいぶん昔の話だけれど、
まだ僕がメジャーレーベルに居て
簡単に言えば
まだちやほやされていた頃の話し(笑)
青山の閑静な場所にある
一見さんお断り的な寿司屋へ
事務所の社長に連れて行ってもらった
時のことである。
その店は、カウンターに6席ほどと
小上がりがある小さな店で
著名人もよく訪れる店。
その日も、テレビでよくみかける男性が
見知らぬ女性を連れてきていた。
会話の内容からすると
どうやら夜のお店のお仕事の女性で
察するところ、入店前の同伴の様だった。
見るからに派手な外観のその女性は
特別美人だったわけではないが
それでも、雰囲気はとてもセクシーだった。
しかし、残念なことに
香水がとてもきつかったのだ。
寿司屋で香水がきついというのは
本当に辛いものがある。
もしかすると、もともと
寿司屋に来る予定では
なかったのかもしれないが
おそらく付けて間もないと思われる
強烈な香水を匂いを嗅がされながら
上品なヒラメの握りを
楽しむのはとても残念だった。
しかし、香りというのは耐性があるのか
つけている本人あ使用頻度に伴い
どんどん麻痺していく。
だから、耐性ができてきたなと
思ったら、自分ではわからない程度に
とどめておくのがいい。
そもそも、香水、
つまりフレグランスは
つけた人の微かな体臭や
体温と相まって
その人の香りに変わるのだから。
ちなみに僕は
ずっと昔から
イヴサンローランの
KOUROSを愛用している。
時々、浮気して違う香りを使うことも
あるけれどやっぱりこれがしっくり来る。
もう現行ではないので
なかなか手に入らないから
今あるのを大事に使っている。
もちろん、寿司屋に行く時には使わない。
画像のチカラ
SNSやブログで
画像が添付されていると
確かにイメージが伝わりやすい。
自分もそう思って、
画像添付を積極的に
行っていたけれど、
あえてしばらく文章のみに
変えてみようかとおもう。
僕が小説や物語が好きなのは
自分の頭の中で自由に想像を
膨らませることができるからだ。
しかし、画像があると
それしかイメージ出来なくなる。
(挿絵くらいなら許せる)
もし、画像がメインなら
写真集のように
文字が少なめの方がいい。
いろいろなものが便利になって
自分の頭の中で
想像したり考えたりすることが
少なくなってしまってるんじゃ
ないだろうか?
まあ、しかし、
現実をいえば
そう毎日の様に
その日の出来事や
出会った物事を画像にして
アップするような出来事は
そんなにないってことだ(笑)
本当の日常をさらけ出す以外はね。
手書きにしてみたら?
一週間、いや、一日でいい。
テレビのニュースや
SNSからの情報や、
スマフォや、
そんなことから
完全に離脱すると
大事なことが見えてくるかも。
まあ、こうして
自分のブログにこんなことを
書いている自体、
矛盾しているのかもしれないけれど。。。。
年賀状の普及率がだいぶ低くなったと
いうけれど、
結局、送られてくるのは
パソコンプリンターで
印刷しただけのものばかり。
(もちろんそうでないものもある)
僕はもう3年位前に
年賀状を書くのをやめてしまった。
もちろん、いただくと嬉しい。
でも「やらなきゃ」という
概念でやるならいっそやめたらどうなるだろうか?
とおもって実際にやめてしまった。
もちろん、仕事関係とかで
年賀状が起因で仕事をもらったり
発注したりというのは
あるかもしれない
というか、実際にあった。
頂いたから、なにかお返しをという
概念が先行すると
事情に窮屈だ。
もちろん、頂いたからというだけでは無く
感謝や喜びを送り返すというのは
純粋に素敵なことだと思う。
でも「お返ししなければ」といいう
概念が先行すると
本質では無くなるのではなかろうか?
別に頂いのは嬉しいわけでも
感謝しているわけでもないけれど
頂いたから返そう的な。
仮に僕がもし、年賀状を復活させることが
あるとすれば
必ず手書きにするだろう。
こんなご時世だもの
なおさら。
挨拶だけならメールや
SNSのメッセージで十分だもの。