間違いとか正しいとか
まだ、パソコンなんて無く
ワープロ時代に
小説家に憧れたことがあった。
現国は好きだったけれど
古文は苦手だった。
国語の時間に
よく問題として取り上げられる
「作者はどんな意図で書いたか?」
なんて、作者亡き後、
本当のことなんて
だれもわからないと
子供ながらに思っていたのを思いだす。
そう意味では歴史的文献もそうだ。
その文献がどこまで忠実に
事実を記してるのだろうかと。
僕の作った歌でいえば、
その歌や歌詞が
どんな思いで作ったかなんて
僕以外わかるわけがないのだよ。
でも、だからこそ、
自由に感じてもいいとおもう。
歌の中の「君」を自分のことだとおもうのも
「僕」を誰かのことだと思うのも
自由なんだよ。
そして、もっと自分にとって
都合の良い、勘違いをしても
いいのだよ。
ただ、本当のことは全部
歌の中にある。
本当のことというのは
物事が起きた事実という意味ではなく
本当は「そう思った」という
ことでの本当だ。
そう、本当の気持ちだ。
それが実現できようとできまいと
本当の気持ちがあるかどうかが
大事なんだ。
こうしたブログだってSNSだって、
みんなどこまで本当の事を書いているか
わからない。
でもね、一瞬でも「そう思った」
というのは後で変わっても
事実なんだよ。
間違いとか正しいとか
そいう事は別にしてね。
もっと自由に
子供の頃、
自分がこんな年齢まで生きていることなんて
想像もできなかった。
(想像できる子供がいるのかは知らないが)
人の平均寿命からしたら
もう半分を過ぎ、
折り返した。
しかも、今後は
体力的にも衰えていくばかり。
好きなように生きてきたつもりだけれど
それでも、もう少し
「こうしていれば。。。」と
考えることもある。
俗世間の中で様々な出来事に
翻弄されて迷い生きているのは
みんなそうなんだろうけれど
真冬の澄んだ夜空を見上げると
キラキラとした星が
人の生きる時間よりもはるかに
長い時空を超えて輝いているのを見ていると
このちっぽけな考えや
苦悩も、砂つぶにも充ないことを知る。
しかし、それでも生きてこそ。
願わくば、もっと自由に生きられる
世の中になればと。。。
バランス
最近、ぶっ飛ぶくらいに
楽しいと思うことがなくなった。
そりゃ人生、
そんな楽しいことばかりでは
ないのだけれど、
それでも、だ。
僕の中に存在する、
ものすごく真面目で
普通という部類に入る自分と
ぶっ飛んで、
頭がおかしいんじゃないかという
くらいの自分。
そのバランスが
いつでも大事なんだけれど
物事、適度というのが
非常に難しい。
そもそも「適度」ってなんだ?
適度の尺度など
それこそ測ることは難しいのに。
何かに夢中になると、
ほかのことが
おろそかになる性分だけに
その「適度」という尺度が
どのような基準で測るものなのか
理解ができないのである。

