偶然でも奇跡でも
断捨離だーっ!
レコードから録音したものはもちろん、
自分がラジオDJやってた頃の同録やら、デモテープや
曲つくりのモチーフとか。
そんなこんなでずっと捨てられなかったんだ。
いま、聞いたら懐かしく思うこともあるだろうし、
忘れてたメロディーとかも思い出したりもするだろうけれど
さずがにもう良いかなって。
こんなことを言うと不謹慎かとは思うけれど
一度、災害とかで全部失うくらいまでになったら
何かもっと大事なものが見えてくるんじゃないかなって
ずっと思ってたくらいだからね。
お願い「あー、幸せ」って声にして!(赤裸々長文注意)
駐車場に入れて、トリップメーターを見たら
なんかいい数字。
些細なことだけど、こういうこと
素直に嬉しいって思えるのが
いいことなんです。
さて、お久しぶりです(笑)
実は最近、
僕の心の中で大きな変動がありました。
これまで、僕はある意味すごく恵まれて
来ていたと思います。
自分で作った歌が
テレビやアニメの主題歌に使われたり
海外レコーディングをしたり
ライブツアーにまわったり
音楽学校で講師をさせてもらったり…。
(学校はやめちまったけどな(笑))
(でも個人レッスンは受け付けてるので!)
しかし、ある時から、なんていうか
人生の歯車がずれてしまった様な感覚がありました。
その理由が何か?
もちろん僕自身の弱さ(考えの甘さ)からなのは
わかっていますよ。(ほんとはわかってない(笑))
世間で言う、良いこと悪いことの基準も
おそらく、かなり緩いですし
ましてや正義なんてかざして
立ち回るなんて絶対にありえません。
『ならば、幸せになりそうなものじゃない?』
ですよね?
そう思いますよね?
でも、そんな僕の深層心理の中には
「自分は幸せになってはいけないんだ」
と言う根深い負の感覚があったんです。
(というかまだ少しある(笑))
じゃあ、その原因はなんなのか?
ずーっとずーっと考えました。
いろんな本も読んだし、
そんな、いろいろ悩んでいると
不思議と導きの様な人とも出会ったりします。
たとえば、心屋仁之助さんとか。
(仁さんの歌のレッスンをさせていただきました)
他にもいろいろいらっしゃいます。
(機会があったら話しますね)
占い的なことも参考にしました。
まあ、この世には自然バイオリズムみたいなものが
確実に存在してると思っているので
簡単に言えば大安や友引のような
六曜みたいなことだったり…。
(実際には六曜ではありませんが)
そんなこんなんで、苦悩の昨今ですが
今まで生きてきた半世紀のなか
と言っても前半の10年いや、
30歳中ばくらいまでは
何も考えてなかったと思います。
(ああ、だから楽しく幸せにやってこれたのかも(笑))
いや、これは真理かもしれませんよ。
何も考えず楽しいことだけを探してたことって意味です。
でも、40代になって
途中からなんだか
いろいろ楽しくなくなって来たんですよ。
まあ、要所要所ではパカーン!って
楽しい時を過ごしていましたよ。
(基本、ツイてる人間なので)
でも、なんか、あれ〜?って。
どうしてだろう?って。
良くない方に行くんですよ。
で、また考えるわけですよ。
悩むわけですよ(笑)
『自分なんか、必要ない人間なのかな』とかね(笑)
(この『自分なんか』という思考が一番良くありませんのでもう書きません)
で、かるーい鬱(笑)
ま、かるーいですけどね(笑)
なぜなら、
それでも助けてくれる人が
沢山いたからなんとかやってこれたんです。
(ほんとこれマジっす、アリガタキトモタチヨ)
でね、今日は
その原因って何か?って話しです。
(前置きが長い(笑))
結論から言います。
その原因は
突き詰めると親にあるのだと。
親というか、時に母親です。
なぜなら人は母親から生まれ、大抵の場合
子供の時期のほとんどの時間を母親と過ごすからです。
(すまん母上。以前、僕のブログを見てるというのであまり核心に触れずにいたけどもう黙ってられません)
まあ、それをいうと、
「いい歳して、それは責任転嫁だ」とか
言われるかもしれませんが、
それでもはっきり言います。
それは、事実です。
そして、自分にとって、その親から受けた影響は
またその親の親、つまり祖母にあって、
ってーことはもっともっとたどると。。。。
これを因縁とか言います。
(あ、宗教やスピリチュアルなことではありません)
まあ、DNAに刻まれてると言えばそれまでですが。。。
しかし、これは遺伝子の話ではありません。
思考、考え方の話です。
おそらくですが、
僕が今、自分の母親に
「今、幸せですか?」
と尋ねたら
『この歳になって働いてばかりで…』とか
『お金でもあればねぇ』
そんなことを言うでしょうね。
間違っても、あっけらかんと
『毎日楽しくて幸せよ』
なんて言わないでしょうね。
つまり、これです(笑)
はい、ここから自分の母に向けて
(こう言う親子関係の人がいるかもしれませんのであえて書きます。すまん、母上。)
「あんた達に迷惑かけたく無いから、今でも働いてるのよ」
とか、お願いだから、もうやめてください。
年金そのまま使わずにためてるみたいですけれど、
自分のために、生きているうちに全部使ってしまってください。
脈略もなく旅行とか行ってみてください。
もともと財産なんてないのですから
あんた達のために残してるなんて言われても
生きているうちしか楽しいことも
嬉しことも美味しいこともないんです。
後悔しない様にと、いいますが
そんな我慢したお金、残された方が
よっぽどか苦しいですし、少なくとも僕は後悔します。
自分の信念と生き方の強い母ですので
(まあ、究極母や女性はそうですが)
その思考は苦しすぎます。
話しに戻ります。
あるとき、たまに電話で話すと
(実は、昨年夏くらいからは絶縁ぎみ)
「自分の息子に愚痴の一つも言えない」
「聞いてもらえない」と、よく言っていました。
「そんな寂しい人生なんて悲しすぎる」と。
確かに、その気持ちよくわかります。
僕は、こう見えて素直ですし(笑)
真面目なところがあるのでそうなると
「聞いてあげられない自分がダメなんだ」と
思う様になるわけです。
まあ、そうするのが当たり前だとも思っていましたけどね、その時は。
しかしですよ、
いつも話が済んだあと気分が悪いんですよ。
叱られているわけでもないのに、
めちゃくちゃ叱られた様な気分なんですね。
まあ、それも仕方ないかななぁと(笑)
それが親孝行なのかなぁってね(笑)
でもね、やっぱりですよ。
気分がドヨーンとなるのですよ。
そして自分を責めるんですよ。
「親のそんな愚痴も聞いてあげられない自分がダメなんだ」ってね。
だけどある時、
おっと、あれ?そういえば、前に何度か
母は自分の母親、つまり祖母との関係の中に
幼い頃の寂しさがあったと言ってたなぁと思い出したんですよ。
母の愚痴のくだりを
ちょっと置き換えてみますね。
「自分の母親に愚痴の一つも言えない」
「母親に話を聞いてもらえない」
「そんな寂しい人生なんて悲しすぎる」
ああ、これかぁ。
子供は無条件で親の影響を受けてしまいますからね。
喜びも悲しみも。
こう言う悲しみというかトラウマには
年齢なんて関係ありません。
死ぬまで持ち続ける人もいるくらいですから。
それがわかったら
なんか急にお墓参りに行きたくなって
お正月に行けなかったから
2月に入って、ぷらっと言って来たわけですよ。
墓に眠る祖母と、若くして亡くなった
祖母の姉妹と祖父母にお願いしにね。
もうそういう悲しみの因縁を断ち切りたいからと。
ちなみに、僕が演歌を聞くと
悲しくなるのは幼い頃のトラウマです(笑)
(これもいつか話しますよ(笑))
そうえば、
僕は反抗期みたいなのがあまりありませんでした。
(それって、一般的にはよくないみたいですね)
つまり親にとっての「良い子」は
親にとっての「良い子」をその子は演じてるだけで
その子にとっては自分自身では無いのですね。
だって、そうすることで子供として
自分の居場所を維持するしか無いのですから。
(虐待なんかもそういうことで生まれます)
反抗期って、親の価値観とちゃんとぶつかって
自分自身を形成する大事なことなんですって。
なぜ自分はそうしなかったのか?
そうならなかったのがわかりませんが、
(うるせーなくらいは思ったかもしれません)
たぶん、中学くらいから…
あ、これを書くと赤裸々すぎるので割愛しますが
簡単に言うと、自分と親を分離して
考える方が楽だとおもったんです。
だからこそ、その当時、
自分を維持できた感が今ではあります。
僕は今でも
「あなたが思う様な良い子ではありません」
という気持ちがあります。
なぜその気持ちが生まれたのか?
それはおそらく
「お父さんの様な人間になってはダメ」
「お父さんの様な生き方をしてはダメ」
と、いわれたことではないかと思います。
その言葉を聞いた時は
「まあ、母が悲しくむし、そうなんだろうな」
と思った様な記憶があります。
でもですよ、だいぶ大人になってから思ったんですが
僕の半分の遺伝子は父親なわけで
少なくても態度や仕草が父に似ないわけが無く
声まで似てるんですから、そんなことを言われ続けると
自分を疎ましく思い始めるわけですよ。
(僕の自分嫌いはそれがきっかけだと思います)
僕が、なにか母親の嫌なことをしたりすると
「そいうところ、お父さんと一緒」
と言われるとゾゾゾって
いやーな感じがしたのを今でも覚えています。
うまく言えないんですが
「ああ、僕はダメなお父さんと一緒なんだ」ってね。
僕が小学五年生の時に
様々な事情で両親が離婚してからは
(意外と離婚理由はありきたりかも)
母親としては、そういう状況の矛先を思いを
父を悪として憎むことで頑張って来たのでしょうから
しかたありませんけれど。
もうね、マッキーみたいに
それこそ、逮捕でもされて
親の愛を確かめたいくらいですよ(笑)
それでも愛してくれますかってね。
まあ、話はそれましたが、
母は、何て言うかわかりませんが、
自分の中の、自分を好きになれない
闇の理由がそいうことだとはっきりわかりました。
でもそれも全て、過ぎたこと。
今更、責めることも
悔やむことも、したところで
多少、心が癒えますが
ここから先の現実はどうにもなりません。
じゃあ、どうするかって?
それでも今、
「幸せです」と
言葉に出していうことだと思っています。
ただ、思うことじゃなくて
声にだして言うことです。
これ本当に大事です。
それでも生きてるし、
いろんな好きなことやってこれたし
(これからも、もっとやる!)
母は愚痴を言いながら
あちこち痛ーいとかいいながらも
まだ働いてるみたいだし。
(俺が働かせてるみたいな言い方はやめてくれ!ほんと年金いくら貯めてもってるか知らんけれど、旅行とか使っちゃえばいいのに、つーか、使い道わかんないならむしろくれないかと(笑)旅行でもなんでもプラン立ててあげるしな(笑))
そりゃ、生き方までも
父親に似てしまってきたのはしーない(笑)
もうそれも受け入れる(笑)
(別に会いたいとは思わなが)
歌を作って歌うこともできるし、
趣味とかも好きなものに囲まれすぎてる。
(ただいま断捨離中)
これを幸せだと言えなかったら
何を幸せだというのだろうか?
もう一度言う(声にだして)
あー、幸せだ!
どうか、母よ、
声に出して言ってみてください。
息子は愚痴とか聞いてくんねーけど
元気で歌ってるみたいだし、
あちこち痛いけど、
まだなんとか、
原チャリで動けるし
不安はあるけれど
とりあえず年金貯められてるし
あー幸せって。
声に出してさ。
俺は、もっと言いたいよ。
声に出してね
「この世に産んでくれてありがとう」ってね。
「幸せだよ」ってね。
「自分なんか」とか思わず、嫌いにならずにさ。
でもね、もう「あー、幸せ」って
声にして言うことを覚えたので
多分、大丈夫だとおもうけれどね。
2/27
そんな思いを込めて、
幸せだーって声にして
新宿CIRCLEで久々、一人だけで
歌いますよ。
ここには書けない話もします(笑)
一輪のバラ
――同じ庭に、何千本もバラを育ててるけど、それでも自分が探しているものを見つけることができない……。
「たしかにそうだね……」
――たった一輪のバラを大切にすれば、探しているものが見つかるかもしれないのにね。
水をゆっくり味わって飲んでも、見つかるかもしれない。
「そうだね」
それから、王子さまは、こうつけ加えました。
――目で見ても、大切なものは見えないよ。ハートで見なくちゃ。
そして、公園の緑のイメージを受けながらも













