学び場美術館 川崎 文雄さん  第1回 ~ 中学校での石膏取りが原点でした  ~ | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

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生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」

みなさま こんにちは。

彫刻工房くさか 日下育子です。


今日は素敵な作家をご紹介いたします。

彫刻家の川崎 文雄さんです。




川崎 文雄さん


前回登場の渡辺 知平さんからのリレーでご登場頂きます。

  彫刻家 渡辺 知平さん  第1回 、  第2回 、   第3回 、   第4回 、  第5回  


第1回の今日は、川崎 文雄さんが彫刻 の制作を始めたきっかけについて
お聴かせいただきました。

故郷がものづくりの環境が豊かでそれをみて育ったことや、
中学校での石膏取りが彫刻を目指す原点となったお話をお聴かせ頂きました。


どうぞお楽しみ頂ければ幸いです。


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遠き星の記憶

遠き星の記憶
H210
1997 


宇宙からの使者

宇宙からの使者 
H205
1998




示現1999

示現 
H160 
1999年




ひと(犠牲そして風化)

ひと(犠牲そして風化)
180×90×45
2002年




廃墟にて
廃墟にて
下の部分200×200×40
2002年 白川郷芸術祭




孤独2008 

孤独なるもの
H190
2008年




日下
制作を始めたきっかけをお聴かせ下さい。



川﨑 文雄さん
ものつくりは小さいときから好きだったんです。
周りの環境にそういう人たちがいっぱいいました。


私の出身地の福岡県八女市というのは、結構南の方で、
山を登って下ると東は大分県との県境で、
そこを南に行くと熊本県なんです。


八女市には昔から和紙を作っている人がいて
楮(こうぞ)が川に晒してあったり、棟方志功が買いにきたりする工房もあったようです。


他にも八女仏壇の職人さんがいたり、八女の石灯籠もあります。
阿蘇の火山灰が固まった黒い凝灰岩が出る所の近くで、
凝灰岩ですから柔らかい石ですから、ちょっと水をかけておくと苔が生えて、
わりに重宝がられてハワイまで輸出されています。


そこの工房で外で彫っているのをずっと見ていたり、
そういう環境の中では育ってきていますね。



日下
素晴らしい環境ですね。



川﨑 文雄さん
だからいつもポケットに肥後守(ひごのもり)という
小刀を入れて歩いているような子供でした。
1950年台位のテレビがようやく家に入ってきたような世代ですから。



日下
肥後守(ひごのもり)をいつも持ち歩くというのは、
どの子供にとっても普通のことだったのでしょうか?
それとも、川﨑さんが特別だったのでしょうか?


川﨑 文雄さん
普通ですね。
当時、まだカッタ―ナイフがなかったですから、
学校に持って行く筆箱の中に鉛筆削りとして普通に入っていましたね。


今は禁止されていると思いますけど。


だから、それは持ち歩いて、いろんなものを作ったりしていました。
毎日持ち歩いて、野焼きの真似ごとをしたり、
危険なこともあったんですけど、多めに見てもらいました。



日下
高校の時は美術室に入り浸っていらしたそうですね。
進学校でも、普通の進学がお嫌で、美大に進学されたそうですね。



川﨑 文雄さん
高校では一応美術部に入りましたが、彫刻っぽいものをやらせてもらったのは、
むしろ中学校の美術の時間でした。


凄く熱心な先生で、先生自身は日展系の団体展で油絵を描いておられたんです。
中学校ではあまりやらないと思うんですが、
首の石膏取りを学校で全員にやらせてくれたんです。


普段の授業で粘土のところまで作っていて
あとはクラスごとで夏休みに一日ずつ、
お弁当を持って学校に行くんです。


粘土に切金を入れて、
雌型を取る作業から、石膏を流し込む作業まで。
スタッフを張り込む技術は面倒なので、流し込みだけの無垢でやって。

他にも石膏の塊を彫らしてくれたり、それが原点なのかなーと。


後に美大進学を反対した父でしたが、この頃は
ロダンやバルビゾン派の絵画とか、ツタンカーメンの展覧会とか、
バスに乗って行くようなものですけどよく連れて行ってくれましたね。
そこでロダンの作品集を買ってもらったりして。


授業で頭像を作るときには、そのロダンの作品集を観て参考にしながら
ロダンに迫ろうという気持ちで作りました。
首ってどうやって作ったのか、という想いもあったと想いますけど。


ロダンの作品には「ラ・パンセ」という、大理石の塊で首から上のところだけ彫った
うつむき加減の作品があるんですけど。
そういう写真をその展覧会の時に買ってきて、好きで部屋に貼っていましたけどね。


その辺が今考えると彫刻が良いなと想ったきっかけかも知れませんね。



日下
そうでしたか~。



川﨑 文雄さん
八女の福島という所は、画家の坂本繁次郎 が最後に住んだ所で、
僕が中学生の時に亡くなられました。
 
それから僕は、高校は久留米の高校に行ったのですが
久留米はその坂本繁次郎と青木繁 の生まれ故郷でもあります。


久留米は凄く絵描きさんの多い所で、
ブリジストンの石橋さんが、石橋文化センターというのを作って
その中に石橋美術館を作りました。
八重洲にあるのはブリジストン美術館で、久留米の田舎にあるのが石橋美術館と言うんですね。
そこで高校の美術展とかやっていたんです。


 
日下
素晴らしい環境ですね。


川﨑 文雄さん
当時僕は油絵を描いていたんですけど、
石橋美術館にはブールデルの作品とか、
山本豊市 っていう愛知県芸で教えていた乾漆の作家の作品が
入った所にいつもポーンと立っていて
そこの漆を磨いたような質感が凄くなんか未だに覚えていますね。


なんか立体には興味を持っていましたね。
ただ学校では、彫刻行こうかなと思ってから石膏デッサンとか描き始めて。
それまでは別の方も考えていたので。


日下
もともと美学・美術史学科志望でいらしたということですが。



川﨑 文雄さん
小さい頃から絵が好きで、まあ小さい頃はよく家で絵を描いていたんですけど。

あとは藤田嗣治 の真っ白い、磨いて作ったみたいな画面を真似て
ベビーパウダーとラッカーを混ぜてバルサ材に塗ったり、
木を磨いて、本物そっくりに刀を作ったり、
いろんなことを、いろんな素材を使ってものを作るということは
大好きで結構やっていました。


  

日下
凄いですね~。



川﨑 文雄さん
そんな訳の分からない事ばかりやっていて、
おばあちゃんに「絵描きになる」って言ったら
「そんな河原乞食みたいなことは止めろ」って言われました。


父の叔父が書家で、結構有名な人だったんですが食えなくて、
それで美術は食えないっていうのもあったんでしょうけど。


だから高校から美大に行きたいって言った時に
滅多に怒らない父が怒りましたからね。



日下
ご家族の反対がありながらも、美大に進学は出来たのですよね。



川﨑 文雄さん
まあ、条件がありまして、予備校には行くな、というか行かせない。
浪人したら諦めろ、と突き付けられた中で、たまたま
公立の金沢美術工芸大学に引っかかったので。



日下
では、次回はその大学でのことを
じっくりお聴かせください。
今日はここまで、ありがとうございました。




MASK-BIRD  H35  2003年  700


MASK-BIRD
H35
2003年


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今回、渡辺 知平さんからのご紹介で、初めて川崎 文雄さんのお話をお聴かせ頂きました。


川﨑 文雄さんは「ひと」をテーマに作品制作をされてきました。


最初の頃は、人間が大空を眺めて宇宙と一体になったかのように感じている世界、
それは原初的な何か、古代的なイメージの表現をめざすものだったということです。


今は「ひと」を通して
黙って立って見ていてくれるような、無言でもじわっと人を慰めてくれるイメージ、
なんか助けたいなという気持ちを感じてもらえるような存在のものが作れたら、
という想いで取り組んでいらっしゃるそうです。


それが作品に表われていて、私は川﨑 文雄さんの作品に
おちついた静けさとずっと寄り添っていてくれるような優しさとを感じました。


今回の記事では、陶の彫刻を紹介していきますが
マスク(顔)のシリーズでは様々な素材を調和させた作品展開もされているそうです。


アートを子供の頃から身近なものとして捉えてこられた川崎 文雄さん。
素材や制作手法をにいつも研究熱心に取り組んでいらっしゃる姿勢が
強く感じられました。


みなさまもぜひ、川崎 文雄さんの彫刻作品をご覧になって見てはいかがでしょうか。


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◆川崎 文雄さんが登場するWEBページ
  
◇  ターレンスクラブ プロの机 リンク
 


◇  自由美術協会公式ウェブサイト  、  

    川崎 文雄さんの紹介ページ
    
        

 ◇  ハマ展:横浜美術協会ホームページ

◆川﨑 文雄さんが出品される展覧会

2014 彫刻8人展  (展覧会DMはこちらからご覧いただけます。)

 2014.3.17(月)~3.23(日)

 11:00~18:30 (初日13:00より、最終日16:00まで)

 銀座アートホール



◆川崎 文雄さんの経歴


 川﨑 文雄  FUMIO KAWASAKI  
1955 福岡県八女市生まれ
1978 金沢美術工芸大学彫刻科卒業
1993 自由美術展 佳作賞
1994 現代具象彫刻展(千葉県美術館)
自由美術展 佳作賞
1995 大分アジア彫刻展(朝倉文夫記念館)
1998 個展「土の詩」展(横浜港北東急SCアートスペース)
1998 現代具象彫刻展(千葉県美術館)
2000 自由美術展 自由美術賞
2001 現代美術選抜展(文化庁)
世界遺産白川郷芸術祭(岐阜県白川郷)
2002 ハマ展 産経新聞社賞
2003 個展 (銀座 画廊響き)
2004 個展 (銀座 画廊響き)
2005 アンデルセンの生涯展 童話をテーマの作品出品(逓信総合博物館)
戦後60年記念企画 今日の反戦美術展(丸木美術館) 
2009 高橋清彫刻展 卒業生作品展(町田市国際版画美術館)   
2013 水の道・海の道 美の交流展(奄美大島田中一村記念美術館)

銀座アートホール・銀座アートサロンアクロス・ギャラリー中島・ギャラリー青羅・
神奈川県民ホール・横浜市民ギャラリー・万国橋ギャラリー・ギャラリーSIMIZU・
画廊楽・ギャラリーミロ等でグループ展

自由美術協会立体部会員・横浜美術協会彫刻部会員

 


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