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「ハワイ大学で琉球方言の講師を募集しているよ」と伝えたとき、電話口の向こうで父は笑うだけだった。国語-母国語によって「読む」「聞く」「話す」そして「書く」という、社会生活を営むうえでもっとも基礎的な技術を学ぶ教科-を数十年にわたって中高校生に教えてきた私の父はまた、琉球方言の流暢な話者でもある。

   ハワイの公用語はハワイ語と英語である。というよりむしろ前者は後者に取って代わられ、消滅の危機にさらされているというべきだろう。「死語」という表現が存在するように、ある意味で言葉は生き物なのだ。

   ハワイ語を守り復興しようという活動は近年特にさかんに行われているが、当地では琉球方言もまた驚くほど熱心かつ多くの学生によって学ばれている。ある者は沖縄系移民の子孫として「自分のルーツとなる文化について知りたいから」という理由から、またある者はただ純粋に沖縄文化そのものに魅せられたためである。アジア美術史を専攻する友人のリーもそんなひとりだ。ニューヨーク出身の彼はハワイで「沖縄」に出会い、以来熱心に沖縄文化についての研鑽を積んでいる。「琉球方言」クラスを受講し、三線や琉舞教室に通う。彼は私にさまざまな質問をしてくるが、琉球方言の文法についての質問には恥ずかしながら正直言ってお手上げである。

   仲若直子氏による短編小説「犬盗人」には次のようなくだりがある。

「あの日は、あれの母親の何回忌かだったらしいんだよ。(中略)」
「だから、死んだ母親のマジムンに迷わされたてか」

マジムン-『沖英辞典』を紐解いてみると「モンスター」とある。だが「死んだ母親のモンスター」という表現に強い違和感を覚えずにはいられないのは私だけではないだろう。

   方言をどう訳すかという問題はさておき、私たちは言葉に、特に消え行く言葉にもっと敏感にならなければならない。言葉によってはじめて人は他者と意思を疎通し、感動を分かち合うことができる。いわば世界と自己とをつなぐことができるからだ。それは標準語であれ国際語であれ、あるいは地方の方言であれ変わらない。