余命 | これって闘病!?

これって闘病!?

子宮頸癌Ⅰb2でした

本日の記事は、過去のこと、最近のことから「余命」というものについて個人的に思う気持ちを書いています。
とても長文です。自分の気持ちを整理するために書きました。
決して、気持ちの良い記事ではないかと思います。
感情的な言葉を含んでいますし、気分を害された方がいらしたら申し訳ありません。
もしかしたら削除するかもしれません。でも、今現在の自分の思いとして書きました。
このような内容が苦手な方は、読まずにスルーしていただけると幸いです。

◆◇


私は、手術前に約1ヶ月半ほど入院して術前化学療法をしました。

その時に、同室になった方で卵巣癌の女性がいました。
年齢は60~70代くらいのHさん。いつも快活に笑う方でした。


「私、余命1ヶ月って言われたの。なのに、それから7年も生きてるのよ~」

7年前の11月末、お腹が張って内科に行き検査したところ、婦人科を紹介された。
診察を終えると、医師から「卵巣癌だろうね。このままだったら死ぬよ」と、サラっと言われて仰天した。
信じられない思いとともに、医師に「あのぉ…、じゃぁ、余命って…」と質問すると「年内だね」と返された。

「びっくりするわよ~。その時点で11月末だったんだもの!」

助からないなら何もしなくてもいいのか。
いやいや、でも、娘の花嫁姿は見たい。
1ヶ月じゃ、身辺整理なんてできない。
そもそも、本当にどうにもならないのか?

そんなことをいっぺんに考えていたところ、医師がカレンダーをめくりながら言った。

「あなた、ラッキーだよ。12月のこの日、ちょうど手術枠が空いてる時間がある」

「先生、私、助かるのでしょうか」

「助けるよ」


そうして、慌ただしく、12月前半に手術したそうです。
それから7年、メンテナンスとして定期的に抗癌剤治療をしていると話していました。

「腸閉塞を繰り返したりしてるけどねぇ」
「娘の結婚式にも去年、出られたしねぇ。孫も今年、産まれるのよ。なんとか立ち会ってあげたいんだけど…」

そんなことを話して、抗癌剤が終わると退院して行きました。


その時の私は、1ヶ月先でさえ想像付かない心境で、だからこそ、そんな経験談を聞き、人の生命力は素晴らしいと感動したものです。



それから、そんなこともすっかり忘れた頃。

手術のための2度目の入院で、手術を終え、術後1週間ほど経った頃だったでしょうか。

私は、便秘予防と筋力低下を防ぐために、朝の病院内を散歩することを日課としていました。
まだ外来患者さんが来ない、朝食前の時間帯。

ぽつりぽつりと、同じようにウォーキングしている患者さん達がいました。
たいていは同じ顔ぶれで、自然と朝は軽く挨拶を交わすようになっていました。

そんな中、点滴棒を押し、肩からストールをかけ、ゆっくりしっかり歩く姿が、廊下の向こうに見えました。
よく見るとHさん。

ああ!と、お互いに手を取り、再会を喜びました。

「まーた、腸閉塞よ!昨日まで絶食でね~!やっと今日から部屋の外に出る気になったのよ~」

明るい笑い声に、なんだか懐かしい気持ちになりました。

私の手術のことを気にかけてくれて、一緒に散歩しながらおしゃべりをしました。
そういえば…と、思いだし、娘さんは無事出産されたのか聞いてみました。


「そうなのよ~。ちゃんとね、立ち会えたの。里帰りだったから、ほんとはもっと手伝ってあげたいのにねぇ。私、またこんな入院になって~」

いつものように笑っているけど、とても淋しそうな表情に、私の眉間のあたりと鼻の奥がキュウっとなりました。

「たぶん、お母さんがそばに居てくれた事実だけで、すごく心強かったんじゃないかと思います」

きっと、娘さんは、お母さんの気持ちを解っている。
お母さんであるHさんの気持ちは、私には理解できないかもしれないけど、娘さんの気持ちなら、なんとなくね、解る気がしました。


「そうかしらねぇ。だと、いいけどね…」
「まぁ、こうして入退院しながらも、普通に暮らせてるから、いいのかしらね」
「念願だった孫を抱っこできたしね。もう思い残すことは無いのかと思いきや、お世話したいとか、大きくなるのを見たいとか、もっともっと頑張って生きたいって、欲張っちゃってるの」


そう言って、点滴を見つめながら、ふふっと、いたずらっこのように笑う姿が印象的でした。


◆◇


余命って何だろう。


きっと、Hさんの7年間が、どんなだったかなんて想像しかできないですし、その想像をはるかに超える出来事や、精神的な葛藤があったのではないかと思います。

たまたま、手術や治療が功を奏したといえばそれまでだけれど、それだけじゃないでしょう。

精神論やオカルトだけで片付けるのはナンセンスだけれど、結局の所、余命って誰にもどうにも決めつけられないのではないかと、考えてしまいます。

よく言う余命とは、生存期間の中央値等のデータや、医師の経験をもとに予測するものであって、絶対ではないでしょう。

単なる確率であり、それは確実ではない。

そもそも、字が印象悪いと思うのです。
余った命、残りの命、なんて。


命の期限を決めつける必要は、無いのではないかと思います。

ただ、誰でも必ず寿命の区切り、即ち「おわり」というものはある。
健康な人だって、いつどうなるか解らない。

生きている限り、いつかは訪れる命のさいご。

それがいつなのかを考えて、先の見えない明日に、恐怖心を抱くことだってあります。
解らないことを考えるのは、ばからしいと思ってみても。


◆◇

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今、余命わずかだと受け入れようとして、受け止めきれず苦しんでいる友がいます。
具体的に医師から告げられたわけではないけれど、周囲の対応から、勘の良い勉強家の友は、自分の残りの時間がとても少ないと気づかずにはいられない状況。

残りの時間を、家族と共に有意義に過ごして欲しい。
そういう医療者の気持ちも理解できるし、多くは無いだろう時間だからこそ、周囲は焦っているのだと思います。

だからといって、受容しなくてはいけないことだと思っても、できない友の気持ちを置き去りにするかのように、次々と持ち込まれる事務的な作業は、いったい何の意味があるのかと感じてしまいます。

それは、周囲の、医療者の、自己満足ではないですか?

彼女が、受け入れることができて、その上で、例えば「自宅にいたい」等の「望み」があれば、そこですぐに対応できるような準備を影ながら整えておけばいいのではないか。
今、この苦しむ彼女に対して、このタイミングで、焦らせるのは、彼女の生に対する気持ちを無視した、タイミングを見誤った対応なのではないか。
彼女の性格と、これまでの数年間の闘病生活を見たら解るはず。
いつも、必ず現実を直視して、自分のペースを大切に、真剣に生きてきた彼女なのだから。


これまで、どんな厳しいと思える状況でも、希望を、望みを見出そうとして、気力を保っていた。

なのに、諦め、気力のなくなっている、今の彼女。



余命いくら、って決めつけているのは、だれ?。
彼女の人生の主役は、彼女なんだよ。



そう問いたい気持ちでいっぱいです。



私は、余命宣告というものを受けたことはありません。
なので、実際に目の前に余命を突きつけられた(知った)ときの気持ちは想像するしかできません。

もしも、余命というものを現実的に考えなくてはいけない状況になったとき、自分はそれを知りたいと思うか。

私の場合、答えは、「今のところ、イエス」です。

ただ、それを自分がどう受け止めることができるかは、わかりません。

もしも、その時の体調が、途方もなく辛く、苦しい状況なら、きっと、自暴自棄になってしまうかもしれません。
思うように動くことのできない自分に悲観的になり、後悔ばかりのまま、瞼を閉じるかもしれない。

反対に、とても体調が良かったら。
きっと、信じられないだろうし、元気な自分と病状との差に対して、混乱しかないかもしれない。



「余命を宣告されたら、残りの時間を有意義に使えるからいい」
「死ぬなら、残りの時間が解るガンがいい」

こんなことを耳にしたことはないでしょうか。

今の私が思うのは、世間話の中で、そんな言葉を言えるのは、命の期限を考えざるを得ない病気をしたことがない人なのではないか、ということです。
または、反対に、実際に自分の余命を知り、様々な思いを持ちながらも、身辺整理や雑多なことを片付けたり、思う存分好きなことをした、と自負している人こそが、最終的に言える言葉なのではないか、ということ。

同じ言葉でも、その意味合いも、重みも、全く異なります。



どんな状況でも、受け入れるためには、それ相応の時間と精神的な葛藤が必要になるのでしょう。




こうして、病気を経験して、命というものを現実的に捉えるようになったから。

毎日、笑顔で眠りについて、命のさいごも同じように笑顔で迎えたいと思うようになりました。


余命は、絶対ではない。


そう思いながら、祈りながら。
できる限り、友に寄り添いたい。
きっと彼女は、これまでのように静かに、しっかりと自分の中で解決できるのだろうと思うけれど。


そして、自分自身も、必ず訪れるその刻を、どこかで意識しながらも、そこに囚われすぎずに、毎日を大切にしたいと思っています。


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確率に振り回されるな。





最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

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いつもまとまりなくて
すいません。(>_<)