浪江町・双葉町震災遺構 | お銀ちゃんの大日本漫遊記( v^-゜)♪

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※ブログ記事の内容は私達が訪れた時当時の内容となっています。
※ブログ記事は訪れた都道府県ごとにテーマ分けされています。

福島県の観光スポットのお話🏫

 

本日は3月11日。

 

東日本大震災から13年が経ちました。

 

 
昨年(2023年)の秋に福島県を訪れた際に、震災の被害があった浪江町、そして双葉町へと行ってきました。
 
この辺りは震災による津波の莫大な被害があった場所です。
 
浪江町は、福島県浜通りに位置する町。

浪江町立諸戸小学校🏫は津波の被害に遭われた学校で、現在はその時の様子を残し、震災遺構とし展示がされています。
 
 
かつて校庭だった場所でしょうか!?駐車場となっています。
 
 
校舎そのものはまだしっかりと倒れずに残っています。
 
 
ですが建物の中は津波の被害があったそのままとなっています。
 
あの時、何度も何度もテレビ📺ニュース等で津波の映像が流れました。

そこでものすごい大きな津波であったことは分かってはいるのですが、このように実際にまじまじと目にすると、恐ろしさが実感できます。
 
 
かつて教室だった場所。
 
窓は割れ、床板も壊れ悲惨な状況です。
 
 
ここで以前は子供たちが勉強をしていたんですね。
 
幸いにもこの諸戸小学校🏫に震災当日にいた生徒たちは全員避難ができ無事だったそうです。
 
全員が無事避難することができた奇跡の学校として知られています!
 
 
給食室かな。
冷蔵庫が流され倒れ破壊されています。
 
 
扉も水圧で曲がってしまっています。
 
 
体育館入り口。
 
天井落ちてしまっています。
 
 
かろうじてグシャグシャになっていない部屋は震災当時の写真や生徒たちの想いや経験談が展示されたいました。
 
 
体育館の床は盛り上がってしまっています。
 
 
此方は見晴らし台。
 
 
けっこう高い見晴らし台ですが、青い看板わかりますでしょうか?
 
この部分にまで津波は到達したのです!
 
 
請戸地区15mを超える津波に襲われました。
 
請戸小学校は、2階床上10cm程度まで津波が浸水しています。
 
 
この辺りは震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて帰還困難地域となり、多くの住民が移動・避難しました。
 
2020年2月までは帰還困難地域が町内の大半を占めていました。

現在はその範囲も少なくなって町の人達も戻ってきている方もみえるようですが、まだ帰還困難地域というのは残っていました。

 
バリケードが張られ、道路が封鎖されていました。

 
浪江町を後にし、向かったのは、双葉町です。

双葉町福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地しており、震災に伴い発生した福島第一原子力発電所事故で全町避難を強いられた町です。

此方には東日本大震災・原子力災害伝承館ができていました。

 
この施設は東日本大震災と津波に伴う原子力災害(福島第一原子力発電所事故)を後世に伝えることを目的として作られました。

 
まず最初に吹き抜けのホールに入ります。

此方では福島県郡山市出身の俳優の西田敏行さんのナレーションにより、床への投影を含め7面のスクリーンで震災発生前・震災直後・復興の情景を約4分間映写されます。

その後、災害の始まり➡️原子力発電所事故直後の対応➡️県民の想い➡️長期化する原子力災害の影響➡️復興への挑戦という内容の展示が行われています。

 
建物の窓からの景色。

浪江町でもそうでしたが、空き地というか、草原の広がっている場所がとても多かったです。

元々は震災前は家が立ち並んでいたんだと思いますが、津波で流されてしまい、更には原子力発電所事故により再建が難しくなり、空き地となってしまっているんです。

 
写真展があり、見ていてとても良い心が締め付けられました。

 
災害で壊れてしまった消防車🚒


横には双葉町産業交流センター(F-BICC)があります。

双葉町の復興を牽引する交流センターです。


館内にはコンビニやレストラン🍴も入っており、せんだん亭が気になりました。

ここへ来る前に相馬で海鮮丼を食べてきたのでお腹いっぱいで食べませんでしたが、


なみえ焼きそばというご当地グルメが頂けますニコニコ

極太麺のモヤシと豚肉を具材に使用した焼きそば。

美味しそうですね爆笑

 
双葉町を見学したら、国道6号を南に走っていきました。
 
途中、福島第一原子力発電所の看板がありました。
 
 
もちろんまだまだ近寄れません❗

車窓からうっすら目にすることができました。

東日本大震災の際に福島第一原子力発電所の非常用電源が津波で使用不能になったことで、チェルノブイリ原子力発電所事故に並ぶレベル7となる最悪の原子力災害が発生しました。

怖いな~とニュースを見ながら思っていた場所。

 
 発電所の付近は国道6号は普通に車🚙で通行することは可能でした。

 
しかし道沿いの建物等は軒並み廃墟となってしまっていました。

ラーメン屋さんの幸楽苑も閉店状態。

 
此方はゲームセンター跡。

震災から10年以上の月日が経ちましたが、まだまだ復興には至っていないところも数多く残っています。

東日本大震災の場合は、震災による倒壊や火事だけでなく、津波被害、そして放射能汚染という問題もありなかなか大変だと思います。

今年はまた能登半島地震も起きました。

日本は地震の多い場所ですので、いつまた大きな震災に見舞われるかわかりません!

震災の時に困らないよう防災意識を強めていかないとな~と思いました。


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 🔷なみえ焼きそば