愛知県の観光スポットのお話🐘
名古屋市千種区にある覚王山。
1904年 に創建された覚王山日泰寺を核として行楽地として発展した地区です。
覚王山日泰寺の参道は行楽地として発展し、寺の周辺は山号に因んで覚王山と呼ばれるようになりました。
覚王とは、釈迦の別名を指します。
覚王山日泰寺を含む士地には法王町、参道の沿線には山門町と、それぞれ覚王山日泰寺に因む町名が付けられました。
参詣客の輸送を目的として名古屋電気鉄道は1911年
8月に路面電車🚋覚王山線を開通させ、翌1912年5月に名古屋市內の路線網と接続させました。電停の周辺には商店街が形成されました。
1963年4月に名古屋市営地下鉄東山線が池下駅から東山公園駅まで延伸し、覚王山電停の近くに覚王山駅が設けられ、2年後の1965年3月には経営合理化のため、地下鉄と並行する名古屋市電覚王山線の今池電停から覚王山電停までが廃止されました。
名古屋市営地下鉄🚇️東山線の覚王山駅🚉
日泰寺へ向かうには1番出口から出ます。
名古屋名物鬼まんじゅうの有名店、梅花堂もこの1番出口近くにあります❗
現在は梅花堂ビルになってますが、昔はいちばんトップの写真の場所にありました。
1番出口から出て、参道を通り日泰寺へと向かいます。
日泰寺参道。
覚王山日泰寺
名古屋市千種区法王町にある1904年 (明治37年) に創建された超宗派の寺院。
1989年にできた山門。
左右に円鳄勝三作の阿難迦葉像が納められています。
釈迦の弟子で、釈迦に二十余年仕えその最期をみとりました。
左側が迦葉。
右側が阿難。
日泰寺境内。
境内図。
覚王山日泰寺はどの宗派にも属さない日本で唯一の超宗派寺なんです
なので住職は19宗派の管長が3年交代で勤めています。
超宗派寺である理由は、覚王山日泰寺はタイから贈られた仏舎利を安置するというお寺たからなのです❗
元々は覚王山日運寺 (にっせんじ)と言いましたが、シャム国がタイ国に変わった為に日泰寺となりました。
1898年、ネパールの南境に近い英領インドのビブラーワーというところで、イギリスの駐在官ウィリアム・ペッペが古墳の発掘作業中ひとつの人骨を納めた蠟石の壺を発見しました。その壺には西暦紀元前3世紀頃の古代文字が側面に刻みこまれており、それを解読したところ「この世尊なる佛陀の舎利瓶は釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置したてまつるものである」と記されてありました。
これは原始佛典に、釈尊が死去した後違体を火葬に付し、遺骨を8つに分けてお祀りし、その中釈迦人々もその一部を得てカビラヴァツに安置したとある記載が事実であったことを証明するものです!
その後インド政庁はこの舎利瓶と若干の副葬品の呈出をうけ、舎利瓶その他はカルカッタの博物館に納めたのですが、釈尊の御遺骨についてはこれを佛教国である夕イ国(当時シャム)の王室に寄贈したのです。時のシャム国々王チュラロンコン陛下は大いに喜ばれ佛骨を現在もあるワットサケットに安置しお
祀りしたのですが、その一部を同じく佛教国であるセイロン、ビルマに分与しました。この時日本のタイ国弁理公使稲垣満次郎はバンコクにいてこれを見聞し、羨望にたえず、日本の佛教徒に対してもその一部を頒与せられんことをタイ国々王に懇願し、その結果夕イ国々王より日本国民への贈物として下賜するとの勅証が得られたのです。
奉迎使節団は御真骨を奉持して帰国後、京都妙法院に仮安置し、佛教各宗の代表が集まって新たに御真骨をお祀りする寺院の建立計画を協議したが、候補地をめぐって意見が分れ、これの調整に甚だ難渋した結果、名古屋官民一致の誘致運動が最後に功を奏しようやく名古屋に新寺院を建立するとの結論を得
、ここに於て名古屋市民あげての協力によって現在の地に10万坪の敷地を用意し、明洽37年、釈尊を表す"覚王"を山号とし、日タイの友好を象徴する日泰寺の寺号をもった現在の覚王山日泰寺が誕生したわけなのです。
まさに❗この覚王山日泰寺の奉安塔に釈迦の遺骨が奉納されているんですね~
1918年完成。高さ15m。
愛知県文化財指定され、東大教授伊東忠太民設計による、ガンダーラ様式の花崗岩の佛塔で2階部分に仏舎利が安置されています。
奉安塔前には礼拝殿があり、法要が執り行われる。
一般の人は奉安塔の前までは行くことはできません!
五重塔。
1997年完成した高さ30mの五重塔。
中には写経が納められています。
結構立派な五重塔なんです
毎年、除夜の鐘が鳴らされます。
本堂。
本堂には、真舎利と共にタイ政府より贈られた釈迦金銅仏が本尊として安置されています。
本堂内。
普門閣
葬儀などの多目的会館。
境内にある脇道。
脇道を進んで行くと奉安塔の方にでます。
奉安塔の入口。
奉安塔の石門。
奉安塔のすぐ横は墓地になっています。
墓地には1984年に新しい墓所の形として日本で初めて造られた、いわゆるお墓のマンションである、室内墓地もあります。
日清戦争戦没記念碑。
通常の一般人が参拝する境内。
境内の広さは、創建当時は約10万坪ありましたが、現在は約4万坪になっています。
本日は11月21日ですね
覚王山日泰寺では毎月21日には弘法さんと言われる縁日が開催されます
日泰寺境内や参道に露店が出店され賑わいます✨
参道にもずらりと❗
ここ何年かしばらく日泰寺の弘法さんには行っていませんが、昔に訪れた時には弘法さんって、おばあさんの縁日って感じなんです❗
露店とかもおばあさん用の衣類だったり、お野菜や、お花を売ってるお店が多かった記憶
ですがここ最近の覚王山は路線変更というか若者向けに頑張ってる感じがものすごいあります
今の弘法さんはどんな感じなんだろうな
ちょっと気になってきた~
来月12月の終い弘法、そして1月の初弘法は特に賑わいますよ~
日泰寺を訪れたら合わせて見学して欲しいのは、
揚輝荘
百貨店の松坂屋の前身でもある株式会社いとう呉服店の初代社長の伊藤次郎左衛門祐民の別荘として作られたお屋敷
修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園などが素晴らしい邸宅です
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