義理の母が亡くなった話 ーわたし的「死」との向き合い方
こんばんは🌛ももたろうです🍑かなり長くブログを更新していなかったのですが2,3日前からまた書きはじめました📖Letter for you は明日から毎朝6時に更新することに♪いままではゆる〜くやってきましたが、よい意味で負荷をかけたいなと思っています😃さて、タイトルにもありますが・・・去る6月に主人の母が他界し、先日無事に四十九日を迎えました。癌を患ってから長く、かなり前に余命宣告を受けていたようで。けれど、自分の夫である義父にも、息子である私の主人にも一切何も知らせない、お母さんらしい最期でした。(文字通りの「義母」なのですが、私にとっては、本当に、本当に、縁が深い人で、大大大好きな人で「お義母さん」よりも「お母さん」の方がしっくりくるなあ😌💓)いつ、そのときが来るのか。主人も私も、緊張状態の中で日々を過ごしました。その電話がかかってきたのは、夜中の3時。車で4時間かけて実家へ帰りましたが、慌ただしく、道中の記憶はありません。でも、病院から帰って来たお母さんは、とっても穏やかな顔をしていて😊しばらくは「ここにいるよ〜」と、たくさんの合図を送ってくれました。そして、四十九日の前日にはお決まりの偏頭痛⚡️言語障害、吐き気、めまいを伴う、今年の誕生日と張るくらいの痛みでした🤯(精密検査等、きちんと受けています)お母さんの魂が昇る🌈それと同時に私の中の次元も変わっていく✨その合図なんだろうと思いました。実際、お母さんのお葬式〜四十九日の間にはびっくりする出来事がありました。コロナ禍にも関わらず家業の経営が急激に上向く😯立て続けに新聞&雑誌の取材を4本受ける😧😧主人がスピリチュアルに目覚めた・・・っぽい😧😧😧その他にも、いろいろ、いろいろ。もちろん、大好きな人の体が消えてしまうのは悲しいし、寂しい。人間的な感情を存分に味わうためこの世に生まれてきているのだから私も、思う存分泣きました💧けど、すべてはその人が魂のレベルで意図していること。体がなくなってしまったこと、その人との過去、それらを思い出して一通り悲しんだら(人間的 価値観から)今度は、その人の魂を想い、愛と感謝の気持ちを向けられるといいなと思います🤗💓(宇宙的価値観へ)愛と感謝を向けるというのは、亡くなった人の影に執着することではありません🙅むしろ、愛と感謝を捧げることによって「手放す」ということ🕊まずはおおいに悲しんで、悲しんでいる自分を認めてあげる、受け止めてあげる。それから、愛と感謝によって、その人の魂も自分の感情も手放していく。そんな風に、大切な人の死と向き合っていけたらいいなと思うのです😉本だったかテレビだったか忘れましたが、昔聞いたこんな言葉が印象に残っています。「死は、その人との”第二の出逢い”」一度目の出逢いは、もちろん生きているとき。実際にその人自身の声を聞き、会話し、触れることでコミュニケーションを取ります。二度目の出逢いは、亡くなったその瞬間。今度は、自分の中にいるその人と、心の中でコミュニケーションを取ります。うちの旦那ちゃんも、普段は面倒臭がってお母さんに電話なんてしなかったくせにいまはお母さんの写真に向かってよく話しかけています😂ずっと病院にいて話すことができなかったお母さんが、いまは心の中にいる💚だとしたら、死って案外悪くないのかもしれません😙お母さん以外にも、私の周りでは、四国遍路で出会って家族ぐるみの付き合いをしていたおばあちゃんやお世話になっているパワーストーンショップのオーナーさんのお父様家業スタッフの親族など誰かが亡くなったという話を本当によく耳にします👂時代が大きく変わるこの時期🌍愛と感謝によって自分を認めること、手放すことをしていけるといいですよね🤗💝私自身も、そうでありたいと思います✨このメッセージが、必要な方の元へ届きますように・・・ももたろう🍑