慰霊の日で私が考えること | とみさんのブログ 60代現役バリバリ健康おやじ戯言

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梅雨が明けて快晴が続いてます

去った6月23日は慰霊の日 でした


毎年、慰霊の日で思うことは私がこの世に生を受けたことに

関してです


私の父と母は再婚同士

父は沖縄戦が始まるまで大阪に出稼ぎにでてたそうです

あの当時は出稼ぎ出るの普通でサトウキビの収穫時期(12月下旬~3月)

に帰省してまた出稼ぎに大阪に戻る


沖縄戦が始まり10月10日の空襲 で家族を失ったそうです

生き残ったのは長男だけ


父は帰りたくても帰れない

その時の父の心情を思うと・・・・・


また、母は宮崎県に疎開で出たといいます

残した父母姉妹も沖縄戦で亡くしたという


母もまた子どもがいました

その時の夫は召集されて、戦地へ

母は沖縄戦が終わり、疎開先から帰ってきたわけですが

夫は別の女性が出来ていたらしい


その後、今の父(94歳で他界)と母が出会い、私たち兄弟5人が生まれた

わけですが不思議に感じますね



私は母の長男にとても可愛がられた記憶があります

その母の長男は若くして亡くなりました


あの時の母の悲しみを今でも覚えています

兄は名古屋でパン職人として修行中で

もうじき店を持てたそうです

突然の死だったそうです


私はまだ幼いのであまり意味がわからず

母の髪が真っ白になっていた記憶があります


詳しい話は省きますが

私の父と母が出会わなかったら私たちは生まれてなかった

もし父と母が沖縄戦で巻き込まれ亡くなってかもしれない


父は大阪に出稼ぎに出掛け、母は疎開していた

その後、父と母が出会う

私たちが生まれた

父母に感謝の言葉しかでません


父は亡くした家族の話は一切しませんでしたね

義兄から大まかに聞いていました


戦争体験者がなかなか語らない気持ちと

同じかもしれません


悲しくつらい体験は、忘れたい気持ちでしょうか