審判・学生・三人家族 -34ページ目
ミニバスの練習。これも
勝ちたいと思うならやれ!みたいな
モードは少し休憩。何より子ども
たちは日毎インフルエンザで欠席が
相次ぐ。今は正しい動きについて
考えてみたい。
技のコース、や、極め、など
空手にとって不可欠なことをやらず
ひたむきに、ひたすらに!という
姿ばかりを目指してきたような
気がする。自分の売りであろう
強さ!とか勢い!とか。
だが、それは棒を持って振り回す
ようなものかもしれない。
棒術だってそれじゃあ点数は
つくまい。
狙って良いコースで正しい姿勢で
呼吸とともに極める。
そんな空手はやってこなかった。
今のままじゃだめだとしたら
おそらくそうした基本中の基本を
大切にすることが何より必要
なのではないだろうか。
…口では何とでも言える!!
動画を撮って貰い、
泣き言を聞いて貰い、相談に
乗って貰い、出来ないことを
出来るように!と助言して貰い。
自分のことでこんなに他人を
巻き込んでいる。そして
感じ良く巻き込まれて
貰ってしまっている仲間や先輩や
先生方。
感謝しかない。
自分のモットーとしては他人を
巻き込んでの落ち込みは必ず
前進する、ということ。
だめだこりゃ、の自分を、いや
こうすればだめじゃないじゃんと
粘ってくれる他人がいる限りは
自分は頑張りたい。
いつかはそんな甘い状況では
なくなるだろう。その日までは
少しずつでも前に進みたい。
それが巻き込まれて頂いた方々への
礼儀だと思うのだ。
まだ、やれる。まだ、やろ う。
自分の虚栄心を空手で示そうと
しているに過ぎない、のかも
しれない。
審判のスタートは全くその通り
だった。だが、上級になって
からは審判そのものが楽しいと
心から思っていた。
コーチも同じだ。今は子どもたちを
仕切りたい!なんてことではなく
正しい基本を教えることが出来て
その中で時折子どもたちや保護者の
方と心が触れ合う機会があれば
嬉しい気持ちになり、それがまた
次の練習に足が向かう理由と
なっている。
それでは空手はどうなのだろう。
勝てなかったこと、そして動画を
観る限りでは正しいかたちとは
言えない自分を見て絶望感、と
までは行かないにしてもこの先
果たしてどうしたらという
迷いにも似た気持ちにしか
ならない。
昇段や試合での勝利を願うのは
明らかに虚栄心だ。明らかに。
一体自分はどうしたいのか。
わかっている。一週間もしない
うちに、空手が楽しいからやる、
みたいなことを書くのだろう。
だがこの虚栄心をどうにか解決
しないことにはこの先が短い
自分にとって進むべき道を
もっと考える方が良いのでは
ないだろうか。
歳をとって始めた審判、空手。
珍しさ、やる気!などを売りに
してここまで来たよ。
それでいいのか。

