051 長崎県波佐見町 5.金谷神社
平成30年2月16日宮原秀範
今回も橘氏に関係の有る神社を紹介します。
まだ私は訪問していませんので、ネットの中の写真を掲載しています。機会が有れば一度訪問したいと思っています。
金屋神社(金谷神社)
天平14年(742)に金谷大権現として建立、戦後再建されました。
境内には、杉の大木がそびえており、最も大きいのは周り2.45メートル、高さ25メートルにおよぶ名木です。また、楓の古木(樹齢300年)は根周り2.5メートルもあり風情を添えています。
1.金屋神社御祭神
金山彦命(伊弉諾の御子)=金の神
伊弉諾神・伊邪那美神 (天照大神の御父母)
八百万神を始め吾が国、土、山、川、草木を生成された神で
建国神、結婚出産家庭円満、夫婦和合その他諸々の守護神
(イザナミノカミの漢字は脾の字と違います。)
天忍穂耳命(天照大神の御子)
建国、政治の神、国土経営の神
副祭 橘諸兄公
本社創建の折の勅使、正一位左大臣
2.金屋神社の由緒
◎ 皇室との関係
創建
皇第四十五代聖武天皇の天平四年(西暦七三二)
勅に依って大和国金峯山の神を此地に還して祀り
給う。橘諸兄勅使として下向す。(今より千二百六十年前)
3.橘氏の関係
橘諸兄公は天平3年(731)、既に参議正四位下左大辨の顕職にあったが、天平4年(732)6月、聖武天皇の命を受け、勅使として肥前国彼杵郡公谷村(現在長崎県東彼杵郡波佐見町金谷郷)に下向し、西海鎮護の神として、金谷大権現の尊称を賜り金谷神社(金屋神社)を創建したとの記録がある。更に天平14年(742)には従二位右大臣として再度勅命により金谷神社に下向された。特に、この時は公の庶子折江舎人公行を伴って来られ、この地に止め、代々中山姓を名乗り金谷神社の宮司を勤仕されている。
(註)諸兄公は当時、右大臣として聖武天皇に奉侍し、藤原広嗣の乱を処理し、山城国恭仁京の造営の指図等で多忙を極めており、果たしてこの地まで下向したか否かは疑問のあるところれあるが、金谷神社の祭神としてこのことが記録にある。
諸兄公は、天平15年(742)5月には従一位左大臣(今日の総理大臣に当たる)となり、太宰帥(長官)を兼ねる。太宰帥は九州地方の総督であり、朝鮮(新羅・任那・百済等)、唐に対する窓口であり、当時の地方官の中では最高の役目であった。
このようなことから杵島・藤津地方には橘氏との関係も出来たかも知れない。
更に、橘奈良麿公の楢崎滞在説については、このような父諸兄公の関係から或いは金谷神社の宮司をつとめる異母弟を頼って、この地に来て楢崎の地があまりにも奈良京の姿に似て居り、人情風俗等もよかったので、この地に居を定められたのではあるまいか。
※金谷神社創建に関して諸兄公の動きと奈良麿公の伝説について
『橘町の歴史』中島信夫 記載より
場所:長崎県東彼杵郡波佐見町金屋郷2493




