短歌についてぐだぐだ考えてみるその1
だって短歌日記だもの。
定期的に短歌ネタ書かないと、短歌日記だということを忘れてしまうw
■オリオンに一番近い場所だから東京タワーのてっぺんで泣く
■百年ののちに大地にかえるとき愛は黄砂の一粒となる
■始まりも終わりもなにもない空で拾ってみたい宇宙のしっぽ
上の三首は「東京タワー」のお題と、「百年」のお題と、「拾う」のお題で作った歌ですが、正直言うと自分でも歌意がいまいち分からないまま作った歌ですw
こういうワケワカメな歌をちょくちょく作るようになったのが、最近の変化のひとつ。
昔はこういうワケワカメ歌を詠んだときでも、意味はあった。正確には「他の人には間違いなく意味不明でも、自分の中ではきちんと意味づけをしている歌」だ。
たとえばこういうの↓
■微笑みの形に咲いた月の花 たやすく摘んだ夜空に哭く
■この手には掴めぬ砂があるという 土曜の海は空に似ている
■永遠の刹那を此処に確かめる 桜、花びら、桃色の闇
上の三首はどれも隠喩を使って、きちんと意味づけしつつ作った。
どんな意味かって?簡単にいうと、上から「励まし」「不倫」「セックス」です。聞いてないし、それじゃ意味分かんないって?他の人には意味分かんないのがいいのさ!w
意味づけあるワケワカメ歌と、意味づけのないワケワカメ歌、何が違うのかな、とか思う。
たいして差はないんじゃないか、とか思う。
一つだけ間違いなく共通するのは「気持ちいい」ことだ。ワケワカメ歌は、作っててカ・イ・カ・ン(薬師丸ひろこ)
つまり、究極に自己満だなと思う。
短歌は自己満足なんだけど、投稿してるのは共感や評価も欲しいからだ。
基本は好きなように作ってるんだけど、何首か連続で選歌の少ない歌が続くと、「ウケそうな歌」を作ろうとしてしまう。分かりやすい感情、分かりやすいシーン、少しコジャレた表現や比喩などで。正直かなりセコイ作り方だ。ああそうさ、私はセコイのさ。
でもこのやり方だと必ずそこそこの選歌がかえる。器用貧乏な私バンザイ、そして、それでなんとなく安心してしまう私にファック。
んで、そんな自分に気づくとき、「短歌は自己満足」と言い切るのは、つくづく体のいい言い訳だなと思わされる。
下手の言い訳。
(続く)
定期的に短歌ネタ書かないと、短歌日記だということを忘れてしまうw
■オリオンに一番近い場所だから東京タワーのてっぺんで泣く
■百年ののちに大地にかえるとき愛は黄砂の一粒となる
■始まりも終わりもなにもない空で拾ってみたい宇宙のしっぽ
上の三首は「東京タワー」のお題と、「百年」のお題と、「拾う」のお題で作った歌ですが、正直言うと自分でも歌意がいまいち分からないまま作った歌ですw
こういうワケワカメな歌をちょくちょく作るようになったのが、最近の変化のひとつ。
昔はこういうワケワカメ歌を詠んだときでも、意味はあった。正確には「他の人には間違いなく意味不明でも、自分の中ではきちんと意味づけをしている歌」だ。
たとえばこういうの↓
■微笑みの形に咲いた月の花 たやすく摘んだ夜空に哭く
■この手には掴めぬ砂があるという 土曜の海は空に似ている
■永遠の刹那を此処に確かめる 桜、花びら、桃色の闇
上の三首はどれも隠喩を使って、きちんと意味づけしつつ作った。
どんな意味かって?簡単にいうと、上から「励まし」「不倫」「セックス」です。聞いてないし、それじゃ意味分かんないって?他の人には意味分かんないのがいいのさ!w
意味づけあるワケワカメ歌と、意味づけのないワケワカメ歌、何が違うのかな、とか思う。
たいして差はないんじゃないか、とか思う。
一つだけ間違いなく共通するのは「気持ちいい」ことだ。ワケワカメ歌は、作っててカ・イ・カ・ン(薬師丸ひろこ)
つまり、究極に自己満だなと思う。
短歌は自己満足なんだけど、投稿してるのは共感や評価も欲しいからだ。
基本は好きなように作ってるんだけど、何首か連続で選歌の少ない歌が続くと、「ウケそうな歌」を作ろうとしてしまう。分かりやすい感情、分かりやすいシーン、少しコジャレた表現や比喩などで。正直かなりセコイ作り方だ。ああそうさ、私はセコイのさ。
でもこのやり方だと必ずそこそこの選歌がかえる。器用貧乏な私バンザイ、そして、それでなんとなく安心してしまう私にファック。
んで、そんな自分に気づくとき、「短歌は自己満足」と言い切るのは、つくづく体のいい言い訳だなと思わされる。
下手の言い訳。
(続く)
お久しぶりひょうたん先生その2
(続き)
けど、特定の宗教に関してはサブイボが出るほどキライで、このひょうたん先生が送るメルマガも、読むたびにサブイボが出ていた。私がキライな、そういう種類の宗教だ。
通わなくなってからはメールフィルターかけて拒否してたんだけど、そうもいかないかなァと思ってる。
なにせこのひょうたん先生は、診察より先に「メルマガ読みました?」と感想を聞いてくるのだ。
こういうときの愛想の良さだけは超一流な私は、「読みましたー♪」と、さらっと読んだだけのメルマガの感想をペラペラ。口からデマカセの誉め言葉を並べたててしまう。
ああ、後悔先に立たず。私の口のバカバカバカ。
でも私の感想を聞く先生は、とても嬉しそうだった。
この医院、先生の腕はいいのに微妙に閑古鳥なのは、あのメルマガと、その感想を聞いてくる先生のせいじゃないかなーと思う。
きっと実直な人なのだろう。
真面目に腕を磨き、真面目に患者を治療し、真面目に自分の信じる宗教を信じ、真面目に広めようとしているんじゃないかなと思う。
でも先生、私は先生の整体の腕の信者だけど、その宗教の信者にはなれねぇだよ。
先生、睦美教に改宗しませんか。
教義は唯一神の睦美様を崇めたてまつること。
ついでに神への治療費はタダにすること。
あとはフリーダムです。
けど、特定の宗教に関してはサブイボが出るほどキライで、このひょうたん先生が送るメルマガも、読むたびにサブイボが出ていた。私がキライな、そういう種類の宗教だ。
通わなくなってからはメールフィルターかけて拒否してたんだけど、そうもいかないかなァと思ってる。
なにせこのひょうたん先生は、診察より先に「メルマガ読みました?」と感想を聞いてくるのだ。
こういうときの愛想の良さだけは超一流な私は、「読みましたー♪」と、さらっと読んだだけのメルマガの感想をペラペラ。口からデマカセの誉め言葉を並べたててしまう。
ああ、後悔先に立たず。私の口のバカバカバカ。
でも私の感想を聞く先生は、とても嬉しそうだった。
この医院、先生の腕はいいのに微妙に閑古鳥なのは、あのメルマガと、その感想を聞いてくる先生のせいじゃないかなーと思う。
きっと実直な人なのだろう。
真面目に腕を磨き、真面目に患者を治療し、真面目に自分の信じる宗教を信じ、真面目に広めようとしているんじゃないかなと思う。
でも先生、私は先生の整体の腕の信者だけど、その宗教の信者にはなれねぇだよ。
先生、睦美教に改宗しませんか。
教義は唯一神の睦美様を崇めたてまつること。
ついでに神への治療費はタダにすること。
あとはフリーダムです。
お久しぶりひょうたん先生その1
昨日の記事の続きですが、カイロプラクティクスに行ってきました。
ひょうたん先生にゴキゴキされて今、尾てい骨周辺がズキズキ痛いんですが、凝り地獄から解放された心は晴れやかな夏空です。
ついでに針もしてもらった。お尻が針山状態だった。まるでソーイングセットの仲間入りした気分。
非常に情けない姿だったんだけど、これで治るんなら全然ok。好きにして。
なんならお尻の針を剣山がわりにして、花でも刺して展覧会に出品しましょう。
製作者:ひょうたん先生
作品タイトル:「花と睦美の桃尻」
整体とかカイロとか針とか、私にはいまいち違いがよく分からないんだけど、ひょうたん先生はこの手のジャンルで色んな種類の資格を持っているみたいです。
名医だ!
そう私、すっかりひょうたん先生の信者なのです。
ただ一つ、困ることがある。
昔通わなくなった原因にもなってるんだけど、この先生は毎日毎日メルマガを配信してくれるのだ。
そのメルマガの中身がめっちゃアヤシイ。
読めば読むほど宗教がかってるのだ。なんの宗教かは分からないけど。
私は無神論者ではない。日本の八百万の神様は信じている。不安なとき、苦しいとき、無意識に胸のなかにいる名もなき神様に祈っている。
つまり、神という概念がないよりもあるほうが安定する、必要悪(必要善?)としての神を信じているというべきか。
強い人間ばかりでは成り立ち得ない世界の在り様をあるがままに受け入れ、精神的に寄りかかる絶対的存在の必要性そのものを信仰しているというべきか。
小難しい話はまあいいや。
(続く)
ひょうたん先生にゴキゴキされて今、尾てい骨周辺がズキズキ痛いんですが、凝り地獄から解放された心は晴れやかな夏空です。
ついでに針もしてもらった。お尻が針山状態だった。まるでソーイングセットの仲間入りした気分。
非常に情けない姿だったんだけど、これで治るんなら全然ok。好きにして。
なんならお尻の針を剣山がわりにして、花でも刺して展覧会に出品しましょう。
製作者:ひょうたん先生
作品タイトル:「花と睦美の桃尻」
整体とかカイロとか針とか、私にはいまいち違いがよく分からないんだけど、ひょうたん先生はこの手のジャンルで色んな種類の資格を持っているみたいです。
名医だ!
そう私、すっかりひょうたん先生の信者なのです。
ただ一つ、困ることがある。
昔通わなくなった原因にもなってるんだけど、この先生は毎日毎日メルマガを配信してくれるのだ。
そのメルマガの中身がめっちゃアヤシイ。
読めば読むほど宗教がかってるのだ。なんの宗教かは分からないけど。
私は無神論者ではない。日本の八百万の神様は信じている。不安なとき、苦しいとき、無意識に胸のなかにいる名もなき神様に祈っている。
つまり、神という概念がないよりもあるほうが安定する、必要悪(必要善?)としての神を信じているというべきか。
強い人間ばかりでは成り立ち得ない世界の在り様をあるがままに受け入れ、精神的に寄りかかる絶対的存在の必要性そのものを信仰しているというべきか。
小難しい話はまあいいや。
(続く)