次に絶対来たかったのはここ!
📍文化駅ソウル284
展示期間:2025年9月30日〜11月30日
時間:11:00〜19:00(18:30最終入場)
場所:文化駅ソウル284
休館日:毎週月曜日
文化駅ソウル284とは?
日本植民地時代の1925年に竣工した旧ソウル駅舎は「京城駅」という名前でオープン。
植民地からの解放後「ソウル駅」と呼ばれるようになり、2004年に現ソウル駅舎の新築で駅としての役割を終えた。
一方、1981年に文化財に指定された旧ソウル駅舎は復元事業を経て2011年に複合文化空間「文化駅ソウル284」に生まれ変わった。
史跡番号284を活用した名前には、旧ソウル駅舎としてのアイデンティティを継続しようとする意志が込められている。
詳しい文化駅ソウル284についての歴史
なぜ284なのか?などは昔のブログに記載してありますので、ご興味ある方はぜひ下記リンクから飛んでみてください〜🔗👀
中央ホール
昔のソウル駅中央ホールは数多くの人々の別れと出会い、出発と帰還が交差した空間で、大衆の記憶と時代的事件が蓄積された歴史的な場所です。
ソウル駅の100年を記念して、過去と現在が交差する感情と風景のレイヤーを披露します。
昔使用されていた駅長室の看板やドアの取手など、なぜか懐かしい!と思わせるようなものばかりが展示されていました🪧
Chapter1 memory 織り成す記憶
チャプター1では昔のソウルの歴史が秘めた100年の記憶を振り返る。
激動の波高を乗り越えてきたソウルの近現代はどうだったのか。
その過程でソウル駅はどのような意味を持ち、どのような変化を経験したのか。
ここでしらなかったことがあったので、記録しておきます✏️
"개망초(開花)" は元々韓国にない植物だった🌷
出典: 국립중앙과학관公式サイトより
https://www.science.go.kr/mps/scienceSubject/flower/view.do?subjectSid=1029
開花は国際的には北アメリカ原産の野草。
元々韓国には無いお花だったそうですが日本から来た鉄道の枕木にくっついて、韓国までやってきたと書かれていました。
また韓国では日本による植民地時代頃にこのお花が見られるようになったことから、「国が滅びるときに生えた草」として망국초(亡国草)や 망초(亡草)と呼ばれるようになったそうです。
今まで植物の歴史には触れたことがなかったので、今回初めてのことを知ることができて嬉しかったと同時に
そのような経緯でお花の名前が決まることもあるんだなあ、、と
ただ調べてみると今韓国では、개망초の花言葉は화해(和解)だそうです🤝
개망초の花言葉のように日韓が様々な面で和解していけることを願いつつ、日本でも何度も見たことはありますが改めて素敵なお花だなあと思えました🌼
近現代という長い時間のトンネルを経て、昔のソウルが経験してきた歴史、紆余曲折の面々はなんだったのだろうか。
この空間はソウル駅とソウルが経験した100年の記憶を網羅して、写真や映像で見せてくれる空間。
こちらの空間は本来、待合室に泊まっていた乗客たちが汽車のプラットホームに向かっていた廊下であった。
1394年、朝鮮が漢陽に遷都
山に囲まれた場所に漢陽京城が建設され、周囲を囲うように4大城門が設置された
1883年、仁川港を開港し朝鮮半島は西欧との交易を推進
1897年、高宗は大韓帝国を発足
1898年、漢城電気会社が設立
1899年、電車が敷設
1910年、日本が朝鮮半島を独占
鉄道は日本の大陸侵略と植民地統治のために骨格が準備され始める
1905年には京釜鉄道、1906年には軍用鉄道京義線、1914年には慶原線など次々と開通させ勢力を拡大
1915年、南大門2大駅が新築され、京城駅に改名
タシロ食堂が作成した時間表
出発場所は東京であったことから、上にソウルである京城の時間表ではなく
釜山から上に来る形で表記されている⏳
1936年、孫基禎はシベリア横断鉄道を利用して京城を出発し、ドイツのベルリンに到着した🇩🇪
この路線は、日本の東京から記者と船名乗って京城に到着した後、欧州へ行くアジアから欧州を繋ぐ最も早い道であった🛣️
この道に沿って行ったことで14日で到着した🚃
東京からベルリンまで14日で行けるって結構ロマンありますよね、、、乗ってみたかった🥹
切手大好きマンなので、ここでも取り上げさせてもらいますね📮
1946年5月1日に発行された解放朝鮮記念切手。 上段に右側から額面価格1ウォン、3銭、10銭、20銭、5銭、50銭の切手が貼られた。
中央には「太極旗と子供を抱いた夫婦」の絵が印刷された。 社会の混乱と印刷施設の不備で日本で印刷されたが、独立した韓国を作ろうとする意志が込められている。 これが韓国固有の切手の始発点となった。
なんとなくこの柄だと北朝鮮を思い浮かべてしまいます🇰🇷
その後の展示はソウル駅の風景の写真が多かったのですが、その中でも1番好き!となった写真はこちら📷
こちらの写真は1990年、シャッターの間から見える始発を待つみんなの脚🦵🦵🦵
なんかこういうニュースは見たことあったのですが、そのまま展示されているのをみるとこういうのも歴史の展示になるんだなと面白く拝見しました😂
Chapter2 meet 繋がる記憶
昔のソウル歴史の100年の記憶は現代に繋がっている。ソウルの変化と共にソウル駅の生活と文化、審美と感性、人物の跡などが今日の感覚で新しく繰り広げられる。
前世紀のソウルにも今のようにお茶とコーヒーとお酒と食べ物を楽しんだ場所が存在した。 昔のソウルの歴史はどうだったのだろうか。 ソウル駅の前身だった南大門駅には食堂兼次店である「喫茶店」があった。 京城駅では一般人を対象にした最初の洋食レストランを運営したのはもちろん、待合室では旅行客のために新式ビールを販売したりもした。 こうした風景をよみがえらせ、かつて待合室だった空間に同時代のブランドたちが現在的飲食の感覚を広げる。 駅舍の記憶が今日と向き合い、一日の経験に自然につながる。
文化駅ソウル284をイメージした柄や
駅の天井に描かれているステンドグラスの柄など
様々な模様からインスピレーションを受けた柄のお洋服や布などが飾ってあってとても素敵でした🇰🇷👗
今回展示を見ていて、独立運動家でもまだ私の知らない方が紹介されていたので
ここに記録しておきます✏️
姜宇奎とはどんな人物か?
姜宇奎(カン・ウギュ)(1855-1920)
本来、僧侶として人生を歩んでいたが
1919年3月1日の3.1独立運動参加後、中国へ亡命し本格的に独立運動家へとなった。
姜宇奎が韓国で義士として讃えられることになった事件が「京城駅爆弾事件」
1919年9月2日、南大門駅(現在のソウル駅)で日本総督府の斎藤実(さいとうまこと)の赴任式典が行われている最中に爆弾を投げた事件。
結果的には斎藤実を爆破することはできず、日本人記者1名が死亡し管理者たちは重傷を負って終わった。
その後、9月17日にサジク洞で逮捕され
11月29日には死刑を宣告された。
裁判では「祖国の独立のために行ったことで、一片の悔いもない」と述べたことで有名だそうです。
この事件の詳細を見て思い出したのですが、
文化駅ソウル284の前に建っている銅像が姜宇奎義士でしたね、、、
昔通り過ぎた時に名前を見ていたはずなのですが、すっかり忘れていました🌀
ただその時に友達にこの人は誰?と聞いても分からない、、と言っていたのでそんなに有名ではないと思っていたのですが
しっかりと旧ソウル駅と関係のある方でした📚
Chapter3 momentum 読み取る想像
ここら辺はさらっと通ってしまいました、、、
書籍がずらっと並ぶ場所を通り過ぎる時に見えた
文化駅ソウルの全体。
昔はここに大勢の人たちが行きかって、どこに行くかワクワクしながら電車を待っていたんだろうなあ。切符を買ったんだろうなあ。なんて想像したらワクワクが止まらなかったです💭
ガラスを通して入る太陽の光がとても綺麗でした🌟
コネクトプレイス ソウル駅店
旧ソウル駅と現ソウル駅を結ぶメディアヘリテージ展示会など多彩な見どころをご提供。
昔のソウル駅を感じられるように
今のソウル駅と協力をしてプラットホームに出ると本当に電車が通っているという体験ができる展示
こういった凝った展示が多いのが、韓国の展示の良いところだなあと感心しながら
昔の人たちはここで乗ってたんだ!!!と昔の方々の気分を味わうことができてよかったです🥹🤝
長くなってしまいましたが、文化駅ソウル284の竣工100周年記念展示でした!!!!
ぜひソウル駅による予定がある方は、覗いてみてください〜👀
では〜🐰




















