こんばんは、mmm(まーママ)です。
9月17日(火)
熊本県八代市、最後の観光も、石工が活躍した樋門の見学です。
八代平野の3分の2は江戸時代から行われてきた干拓によって生まれた土地です。干拓事業でも石工たちが活躍しました。
樋門(ひもん)の役割
雨水や水田の水などを川や水路に流れ込ませ、洪水などの際に川の水位が高くなった場合に逆流を防ぎます。
1ヶ所め
ナビで樋門の近くまで来ると、通行止めの標示板が設置され近づくことが出来ません。仕方なく遠回りして樋門のある道路の反対側に回り込むもやはり通行止。この時やっと樋門がある道路は全線道路工事中であることを理解し、それならば工事中の道路と平行に走る道路から見えないだろうかと悪戦苦闘しながら、遠目で見れる場所にたどり着きました。
旧郡築新地甲号樋門
遠目に見た感じ立派な造り。これ程の規模の大きな石造りの樋門は初めて見たと、まーパパ。
明治時代の郡築新地の干拓事業で造られた石造10連アーチの樋門。高度な石材加工、建築技術が用いられ、現存する石造樋門として国内最大規模だそうです。
2ヶ所め
郡築二番町樋門
熊本県八代市新港町2丁目19
近くにもう1ヶ所樋門があるのでこちらも何とか近づける道を探しながら、最後は行き止まりの道に車を止めて徒歩で近づきますが、これが精いっぱい。
日本遺産の看板を発見しましたが、草木におおわれて上手く撮れません。
真上から眺めても良くわからないよね。
昭和13年に建造された3連アーチの樋門。この時期に建造された樋門の多くがコンクリート造りに対し、こちらは石造。
3ヶ所め
道路脇に2・3台止めれる駐車場があって、樋門付近に近づけそうな通路も整備されていました。
大鞘樋門群は文政2年(1819)に潮留めが完成した四百町新地の干拓に伴い、潮の逆流を防ぎ、干拓地の排水を行うために造られました。
大鞘樋門群「二番樋」
当初、樋門は5ヶ所に設けられましたが、現在は3基が残っています。そのうちのひとつ「二番樋」。
平野地が狭く農業には向かない湿地と干潟が広がる地域だった八代は、干拓事業のおかげで発展していったそうです。
これにて、2泊3日の大分、熊本の旅、おしまい。
帰り道、南関町の「なんかんいきいき村」でお土産買って帰ります。
豆腐の南蛮漬
豆腐を食べないジジョが、これだけは食べます!
栗千里
熊本県産の和栗を使用したしっとり食感の焼きモンブラン。
これ美味しいよ。お土産におすすめ。