震災復興中の熊本城 | 猫にこばん キャンピングカーでごはん

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キャンピングカーで食べるおいしいごはんと
キャンピングカーでのおでかけ(地元を中心に)を
紹介していければいいなあ。と思っています。

 

こんばんは、mmm(まーママ)です。

 

まー家のキャンピングカー、クーラーを取り付けてません。

なので、真夏はシーズンオフ。

標高の高いところを目指すしかないのですが、金曜日仕事が終わってからでは、ちょっと無理かな。

 

7月23日(土)晴れ

早朝4時起床。鳥

 

 

 
日の出を見ながら、出発です。
 
 
 
まねっこしておにぎりを準備。おかずなしバージョンだよ。口笛
 
 
 
朝ごはんに鯛みそおにぎり、いただきまーす。
 
 
9時30分、目的地に到着。車
 
 
 

  元太鼓櫓(もとたいこうたいこうやぐら)

 崩れたところが痛々しい。
 
 

  戌亥櫓(いぬいやぐら)

 
 
 

  西大手櫓門(にしおおてやぐらもん)

 
 
 
 
すれ違いざまに写真をパチリ。カメラ
お侍さんカメラ目線くれました。
 
 

  宇土櫓と続櫓

 
 
こちらは、震災前の写真。続櫓がなくなってしまってるのかなあ。
 
 
 
今回の旅は、こちらを見学に来ました。
 

 熊本城

 熊本県熊本市中央区本丸1-1
2館共通券 大人 850円(わくわく座との共通入場券)
 
平成28年の熊本地震では、瓦の落下や石垣の崩落、建物の一部損傷などの被害を受けた熊本城。
令和3年春に天守閣の復旧が完了しました。
 
 

  小天守地階 穴蔵

「御水屋」と呼ばれる台所で、井戸やかまどがあり、籠城にも耐えられる機能を備えていました。
 
 

  加藤清正

幼少から豊臣秀吉に仕え、多くの武功をあげていた加藤清正。熊本城は加藤清正によって築城されました。
 
 

  天然の要害 茶臼山

清正が築城の地とした茶臼山は、約9万年前の阿蘇火山の火砕流堆積物でできていて、坪井川・井芹川・白川の浸食によって高さ25~45mの崖が形成され、天然の要害となっていました。
 
 

  障壁画

大天守最上階の「御上段」の南北の壁と建具に描かれたのは、「若松」と「秋野花」で、加藤清正が招いたとされる狩野言信によって描かれました。

 

    

狩野派

室町時代の狩野正信に始まる絵師の系譜で、金箔に濃厚な岩絵の具を用いて大胆に描かれた障壁画は、織田信長や豊臣秀吉らにも好まれました。

 

 

清正は熊本城の築城にあたり、狩野言信や11人の絵師を京より呼び寄せたとされます。

 

 

 
 
城下の整備のために、
 
 
 
河川改修も行われたんだって。
 
 

  細川 忠利

加藤家の後に熊本城を管理したのが、細川家です。

 

 

あんたがた どこさ音譜

あんたがたどこさ。肥後さ。

肥後どこさ。熊本さ。

熊本どこさ。船場さ。

 

「船場」は、坪井川が新町の南でカーブする一帯のこと。坪井川は、熊本城の堀の役目と同時に、舟で物資を運ぶのにも利用されました。

 

 

 
天守閣からの眺め。くまもんを探せビックリマーク
 
 
 
 
 
加藤清まーパパ
 
ここから、城内の見学通路を通って行きます。
 

  闇り通路(くらがりつうろ)

この地下通路は昼間でも暗いことから、闇り通路と呼ばれています。

 

 

  天守と本丸御殿

築造年代が異なる石垣が重なる二様の石垣と、復元された本丸御殿が見えます。

 
 

  数寄屋丸

茶会などが催されていたとみられるたてもの。

 

 

熊本城、復興中の建物を見学出来るように、見学通路が整備されていました。1日も早い復興を祈っております。

 
 

 

    
難攻不落の城
日本最後の内戦、西南戦争で政府軍側が立て籠もった際、西郷隆盛率いる薩摩軍の猛攻にも耐えたことから、「難攻不落の堅城」として全国で名を馳せました。

 

 

加藤清正は城作りの名人だったんだね。ニコニコ

 

 

 
おなかが減ったので、繁華街へとくりだします。