こんばんは、
高校では日本史を専攻してたmmm(まーママ)です。
ちゃんと高校時代に勉強しておけば、クイズ番組に出て一攫千金が狙えたのに・・・。
1268年1月
高麗の使者が、蒙古の皇帝
エビフライと飯(ハン)・・・
じゃなかった、
フビライ・ハン
の国書をもって九州の太宰府にやってきました。鎌倉幕府第8代執権 北条時宗は、国書を無視し、蒙古軍の攻撃に備えました。
1274年10月(文永11年)
蒙古軍が博多湾に押し寄せました。
毒矢や「てつはう」という兵器(鉄の玉に火薬をつめ、爆発させるもの)など今までに経験したことのない戦法に、後退をかさねましたが、決定的な勝敗はつかないまま、蒙古軍は日本から撤退しました。
「神風」と呼ばれる暴風雨を受けて船が流されたという説がありますが、真偽は定かではありません。
その後、蒙古軍の再襲来に備えて、博多湾に防塁が築かれました。
現存する史跡を見に行きます!
住宅街の狭い道路脇にありました。
数百メートル進んだコインパーキングに車を停めて、西南学院大学のグランドを横目で見ながら、歩いてやって来ました。
■西陣の元寇防塁
福岡県福岡市早良区西新7丁目4-3
背後に写る建物は、西南学院大学の体育館。復元整備され、防塁の一部が露出展示されています。
百道・西陣の元寇防塁は、約20kmにわたる元寇防塁のちょうど中間地点にあたります。
周辺は埋め立てが進んでいて、現在の海岸線ははるか先となっています。
せっかくなので、もう1ヶ所防塁を見学に行きます。
つづく。