愛の両義性(三月五日)
繰り返し襲う激痛にもはや鎮痛のために使用する麻薬の増量も限界に達し、そのうえ壊疽に罹った右足の切断を余儀なくされ、死の際まで押し詰められたフリーダは、一度ならず自殺未遂を起こす。この時期の日記には自殺の願望がはっきりと記される。他方、ディエゴは、フリーダが苦しみの果てに寝静まった或るとき、ラケル・チボールの前で「もし、自分に勇気があったら、フリーダを撃ち殺してやれたのに」といって泣きじゃくる[i]
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だが、そのように、病苦の凄まじさはつねに死の誘惑を醸し続けるものであったにせよ、フリーダの自殺未遂の直接の引き金は実は嫉妬による妄想である。その妄想が彼女のなかに激発させた絶望である。
泣きじゃくるディエゴの前にいたラケル・チボールとは、当時フリーダとディエゴの「青い館」に住み込んで夫妻と毎日接し、フリーダの介護にも献身していたフリーダ研究者の女性美術評論家であった。このチボールとディエゴとの仲をフリーダは疑う。否、疑うどころではない。おそらく知ったのだ。その怒りと嫉妬と絶望はたちまち彼女のなかに自殺の衝動を生みだす。彼女は寝たきりの生活を送っていた四柱ベッドの天蓋に首を吊る。看護婦の発見があと少し遅れたなら自殺は完遂されていた[ii]
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あの絵「ちょっとした刺し傷」の描く死の苦痛、ディエゴが他の女を愛していることを知ることでフリーダにもたらされる死の苦痛は、彼女の末期まで続いた。