フリーダにおける女と母(二月二九日)
■昨日も書いた。男たちの女性器へのオプセッションと明白に対称性をかたちづくる最初の――つまり《女の側》でのという意味だが――決定的な形がフリーダのなかにはある。
もっとも、彼女はそれを男がするように写実的に描いたわけではない。熟れてアケビのように身を裂いた南国の果実、マンゴーやココナッツ、割られて内部の赤い潤いの果肉を剥き出しにしているスイカ、こうしたものに託された女性器のシンボリズムが俺のいう彼女のオプセッションだ。
一九五〇年代の始めフリーダは静物画のシリーズを描いた。果実がテーマであった。その果実は彼女にとって「生命」の象徴であった。この時期彼女は痛みのためベッドをほんの少し離れることすらできなかった。彼女はナイトテーブルに置いた果実をベッドに横たわって描いた。その果実は同時に女性器を象徴するものだった。
そういったことのすべてを俺はここ数日来読んでいる。フリーダについて書かれた 何冊もの本のなかに。俺は立て続けに読み散らしている。
Lが見たのは、「生き生きとした生命」、「生命の果実」「静物(あなたをどれほど愛しているか)」「露になった人生を見て怯えた花嫁」「太陽と生命」「インコと旗のある静物」等々、そして絶筆となった「生命万歳!」のスイカの絵である。「露になった人生を見て怯えた花嫁」にはこんなキャプションがつけられていた。「フリーダが描く果実や植物は…(略)…強烈なエロティシズムの表現である。本作品でフリーダは、ロマンティックな結婚と人生を夢見る花嫁=人形が、生命と人生の実態である露になった性をまえにして怯える様子を揶揄して描いている。一九五一年の《ココナッツ》と同様に、女性性器や生命を表すマンゴーやスイカを描きながら、内気さを付加したココナッツでエロティシズムは控えめに描かれている」[i] と。また「太陽と生命」(一九四七年)には密生して肩を並べる身を裂いたあけびのような果実が描かれ、その幾つかの割れ目の奥には涙の形のめしべが描かれた。その一つは涙を流した胎児を孕んでいた。そして、その果実の群れの中央に同じくまた涙を流す強烈な赤い太陽神が置かれていた。カタログに添えられたラクェル・ティボルの批評にこうある。「女性の外陰部を象ったような花の形態は、幼児期のまだ閉じられた段階から、女性として段々と成熟してゆくに従って、女としての充実感を得るために開かれてゆく女性器の変遷を想起させる。…(略)…隣には充血して広がった外陰部のイメージが並べて描かれている。フリーダは性交時のクライマックスの感覚を具現化したかったのか?…(略)…太陽のすぐ上方にも別の果実がある。これも割れていて、出産の能力を喪失した女性を想って泣き悲しむ胎児の姿がはっきりと見てとれる」[ii] と。