
寒いけど、洗濯は2回だね

ゼミの卒業旅行とやらに出かけてる息子も本日帰宅予定。
あくまでも予定。
伊豆のお土産は何でしょう


ブログネタ:小学校のとき何クラスだった?
参加中転校ばかりしていた私の小学生時代。
東京は品川の小学校に入学したときは何クラスだったんだっけ…


多分3クラスくらいだったと思うんだけど…
そのあと下落合へ転校…その時も2~3クラスだった…と思う…
で、一番長く小学校時代を過ごしたのが、今の実家がある所沢で、この時も3クラスでした。
学年が上がるごとに人数が少しづつ増えて、5年生の時は4クラスになっていました。
そのあと、学校が2つにわかれて、家の近所に新品の小学校ができ、うつったときは2クラス。
ほどなく福岡へ転校

その時は6クラスありましたねぇ

私は6年6組でした。
いやはや何とも忙しい小学生時代でした。
福岡は小学校もそうですが、中学もマンモスでしたので、1学年8クラスくらいありました。
そうなってくると、もうクラスメイト以外は殆ど顔と名前が一致しない状態で、クラスの仲良し具合が大事だったりしましたね。
何をやるにも他のクラスとの対抗意識が出て、「負けないぞ
」的な感情が一番大きかったかもしれません。子供の数がどんどん減って、クラス数が減って…
学校も空き教室がいっぱいあって…
寒々しい感じになっているんでしょうか

小学校時代の思い出って実はあまり鮮明じゃなくて(年とったから忘れてるんじゃないかっていう突っ込みはこのさい耳を貸さないわよ
)、あちこち引っ越してましたという感覚の方が大きいんですよ。転校生は大変です。
色んなクラスから「転校生がきたぞ
」とのぞきにくるし、知らないところへほうり込まれるわけですから、精神的にも結構きつい。まずはクラスメイトの顔と名前を恐ろしいほどの速さで覚えるところから始まります。
授業の進み具合もまちまちで、もう習ったところもあれば、習わずにスルーしちゃったところがあったり…
私はこんな性格(どんな性格だ
)なので、順応するのは早かったですけど、妹は相当きつそうでした。我が家の子供たちにも幾度か転校をさせてしまいましたが、自分のことを思い出すと、気の毒な事をしたな~
と思います。最近は好奇心いっぱいに転校生をのぞきに来るようなことってあまりないのかもしれないですね。
自分達のことで忙しすぎて、新しい友達を受け入れる容量がもう残ってなかったり。
我が家の子供たちは何とか自分の友人を作ってきましたが、結局のところ、今住んでる地元の友人を作れたのは娘の方だけかもしれないですね。
それでも、娘の中学時代はひどかった。
2クラスしかなかったのに、生徒の状況を全く把握できない教師たちのおかげで、私は娘にとてもつらい思いをさせてしまいました。
そのことが彼女の心に大きな傷を残したのは、本当に残念でならないです。
そんな状況でも、彼女のそばにいてくれる友人がいたのは救いではありました。
息子は中3で転校してきたから、すぐに受験勉強に突入したせいか、この地元に親しい友人は作りませんでした。
成人式もこちらの式典には出ず、大阪時代の友人たちと大阪でお祝いしてました。
まぁ、どっちにせよ、転校は親にとっても子供にとっても面倒で、きついことなんです

またまた話しが別の方向へ向いてしまいましたね~~


ここ最近、長い休みの間でも(夏休みとか冬休みとか)近所で子供の声があまりしないのは、単に子供の数が少なくなったから…ってことだけでもないのでしょうけど、なんだか淋しいですね。
学校でも運動会なんかを見に行くと、やってる生徒より見てる保護者集団の方が人数多いんじゃないの
って思うことも…教師の目が行き届く少人数クラスにしたいっていう署名運動をやっていた先生もいましたが、少人数になったからと言って目が行き届くかっていうと、そうでもない。
色んな制約があって、うまく子供と向き合えない教育現場では、人数が多いか少ないかは全く問題じゃない気がします。
今の先生は大変でしょう。
気の毒になることもありますし、「なぜ先生をやってるの
」と問いたくなる先生も、悲しいかな結構います。ざっくりまとめるのは難しいですけど、私らが小学生だった時代。
いじめっ子もいじめられっ子もいましたが、陰湿ではなかったし、いじめっ子には先生のげんこつが待ってましたしね。
だめだ~。
何のネタだったっけ

そうだそうだ。小学校のとき何クラスだった


一番多かった小学校で 6クラス ありました

これが答えですね
ネタ書くのも結構大変だな~~~


早く昇進させてくださいっ

本日のおまけ………
変な部活~~~
カジノのアメアイテム帽子で並ぶの図いったい全体何がやりたかったのか・・・・・
それは不明です…