mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -59ページ目

日本国という社会の仕組みや成立過程 一人一人の相互作用 人のいとなみの結果  

 

神話というのは何でしょうか?

 

伝承

伝説

口伝

口碑

 

聖伝

 

 

 

 

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ローマカトリックでは、聖伝と言われている情報がある

聖書の記事だけで判断していないと云う事ですが

それは

 

いゆる神が何を思い、コトバにして、行いをしたのかの記事を記録している巻物

 

 

当然

言い伝えがある

それぞれの人にとっての継承してきた内容

 

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日本は

東の方面は大きな海で

西の方面は小さな海で

四海に囲まれている状態で

島々の大小の集まった場所

 

山と川のある處で

 

盆地や

平野は少し

 

山の木々

急峻な水の流れ

 

南の方面にある島もあるし

北の方面にある島もある

 

大陸方面からの伝承は人々が運んできた証拠でもあるし

海を渡し津る島々を経由して

船で島に到達すること

 

 

往来は当然あるでしょうし

 

最も大陸に近い入り口は

朝鮮半島

 

九州の北部地域とその間にある島々

 

 

 

今から2000年前には

ローマ帝国は明確な法律もあるし

土建の技法も確立しているし

水道設備とか

温泉福利厚生の施設とか

 

スタディアムとか

 

いろいろな出し物があって

市民が楽しめる場所も設営されていた

それは強大な権力と軍団があって成立できていた

 

ローマの人々の戦術と周辺諸民族を次第に呑み込んでいく

そして戦争で勝利した者が敗者たちは捕虜ですので

奴隷として使用できた

 

 

GAMESYSTEMは古くから維持されてきている

 

 

剣の柄を持つ者は剣で倒れると云う事は

いかなることか

 

 

 

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土地

 

資源

素材

道具

 

どう利用するのか

何に使うのか

その目的

価値

倫理

 

行動規範

行為実践倫理規定

 

道徳

 

この道を歩む事で御徳を無数に得れるのだよと云う事は

どんな道行きなのか

 

狭い道行き

 

広い道を行く事

 

狭い道とは

獣の足跡のような道行でしょうか

 

峡谷の狭い空間をいつも死を意識して前に向かう一歩一歩の着実な崖淵の道行でしょうか

 

 

いろいろな虐げの環境を柔和な生命と共におそれいりしつまりかしこまることの歩む道行でしょうか

 

 

 

 

 

 

棘や荊の道

 

 

兄弟姉妹からの嫉妬ねたみそねみ恨みつらみ

怨念

憎しみのはけ口

マルトリートメントをいくつも贈られる

支援の必要があってもみなから放置されて

見捨てられて

排除されて

挙句には

破棄されて

身体を侵害されて存在を拒絶される

 

 

 

 

 

ハームフルのハームフル

 

お前のような者は要らないと

激しい拒否

 

 

イナミ

 

知らない

知らない

全く知らない

否認されてしまう事

 

 

 

 

うつつ

 

うつしよの

人の弱い

その惰弱性

 

 

 

秋田の南の地方では

 

「だじゃく」とは乱暴者という意味で使うのですけども

 

ほんとうは

弱さを抱えているからこそ

侵害して暴れるからと

そう云う事なのでしょうかね

 

 

 

おそれとか

不安とか

どうなるのか

余裕が自分自身に無い時に

狭い心の範囲で

意図したことは

いじわるなことを想起して

意図する事とか

 

意気地の悪さとは

何の事でしょうかね

 

善意を欠如してよしなし事を

積み重ねて

汚泥が心に染みている事かもしれないですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人々の心のうつし

現状を

写像する事

 

リフレクション

 

 

神話とは

その意図もありそうだけども

 

 

事実を明確に記事する事もあるでしょうし

 

何か

人の事では無い

 

人にちかい

神の事として

暗喩する事もあるでしょう

 

作為として

ARTとする事で

 

ある土壌を耕作するように

カルチベイト

 

カルチャー

 

CULT

 


cultivate

 

 

 

何かを信じ込むように強制されてしまう事もある

誰かからの指示命令とかね

 

相手の不安を知りながら

それは

先祖の祟りなのですぞ

とかいって

その祟りを消すためには

お祓いが必要だ

 

そのお祓い代金を

寄こしなさい

そうしたら

そうしてあげる

信じる事が重要なのだぞ

この私を信じなさいと

 

 

そんな口調でいいますけどもね

 

お祓いしてもらうと

どうか

 

その祟りというのは

消えたものか

どうか

全く分からない

事だから

 

こそ

祟りと云うのではないかと

 

そうして

その祈禱師の人は

 

金だけ貰う

 

でもまあ

その人が

そのようにして

生きて来たと云う事ではあるのですから

どうするか

 

 

何か不明である事を

さも確実に知っていると云う事で

断定して

決めつけで

指示命令しているのは

 

とても疑問に成る事です

 

そうして

 

そうにちがいない

先祖の誰かの恨みやつらみなのだと

確実だと

思い込む事に

こそ

誘導して

誘う事があるのですし

そこで

金品を手渡す事で

 

困っている人は

希望を抱くでしょう

 

今までのいろんな苦労が

厄災は

回避できる

奇麗に

洗えるのだと

 

いそそく

 

意を灌ぐ

 

洗い清める事ができると

 

毛枯れ

 

汚れ

木の枯れたその状態

 

気の足る事の無い事

 

きたなし

 

気多無し

 

 

 

穢れる

 

 

 

 

人の認知形成がどうだろうか

 

 

 

いつも喜んでいなさい

 

という言は

何を云っているのか

 

 

わたしはあなたたがたと共にあるではないか

 

というのは

一体

誰だろうか

 

 

 

光を先に灯して

こちらですよ

安心

安全な道先案内をする者とは

 

向うに渡るための舟渡をする道先を案内する者とは

 

 

この道は広い道ですが

侵害してくる者たちが大勢いますから

 

廻り道ですが

狭い

安全な道を参りましょう

 

それに

突然に侵害されてもいいように具備

具足を

いまから順番に整えてまいりましょう

 

 

未然にリスクを回避するための

狭い道行き

 

わざわざ危険な處を通過する事は無いと云う事だ

 

急がば

回れ

 

焦るな危険

 

着実に必要十二分条件を満足させて

次の一歩を踏め

 

 

崖の道は深刻だ

 

 

 

 

天上天下東西南北

真中と外側

みな全方位

環球

乾坤

詳しく観察し

予兆を受け止める事

 

予見せんがために観察する事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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以下は

Wikipediaから参照

 

 

 

 

 

大国主 - Wikipedia
大国主は様々な女神との間に多くの子供をもうけており、記紀・『先代旧事本紀』・『出雲国風土記』に記載されている他、各地の神社社伝にも名がある。子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている。

嫡后:須勢理毘売命(すせりびめ の みこと、須勢理姫命、『日本書紀』では須勢理姫神)
須佐之男命の娘。なお、『出雲国風土記』によれば和加須世理比売命(わかすせりひめ の みこと)が神門郡滑狭郷の妻であるという。
妻:多紀理毘売命(たぎりびめ の みこと、『日本書紀』では田心姫命、『播磨国風土記』では奥津嶋比売命)
須佐之男命の娘で宗像三女神の長女。宗像の奥都島(おきつしま)に鎮座。
子:阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね の かみ、『古事記』では他に迦毛大御神、『日本書紀』では味耜高彦根神、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子命)
天若日子と容姿が酷似する。『出雲国風土記』によれば、神門郡高岸郷・仁多郡三沢郷の子だという。葛城の高鴨神社祭神。
娘:下光比売命(したてるひめ の みこと、高比売命、下照比売、稚国玉、『日本書紀』では下照姫命)
天若日子の妻。大倉比売神社祭神。
妻:神屋楯比売命(かむやたてひめ の みこと、多岐都比売命、『日本書紀』では高津姫神)
出自不明。高津姫神は須佐之男命の娘で宗像三女神の次女で、辺都宮(へつみや)に鎮座。
子:事代主神(ことしろぬし の かみ、都味歯八重事代主神)[4]
鴨都波神社・天高市神社・飛鳥坐神社祭神。賀茂氏・大神氏の祖。
娘:高照光姫命(たかでるひめ の みこと)[5]
御歳神社祭神。
妻:八上比売(やがみひめ、『先代旧事本紀』では稲羽八上姫)
因幡の白兎の段に登場。
子:木俣神(きのまた の かみ、御井神)[6]
木俣に刺し挟まれたことからの名。
妻:沼河比売(ぬなかわひめ、こし の ぬながわひめ、『先代旧事本紀』では高志沼河姫、『出雲国風土記』では奴奈宜波比売命)
高志国における妻問いの相手。『出雲国風土記』によれば高志八口の妻で、間に御穂須須美命が生まれたという。奴奈川神社祭神。
子:建御名方神(たけみなかた の かみ)[6]
諏訪氏、守矢氏の祖であるともいう。諏訪大社祭神。
妻:鳥取神(ととり の かみ、鳥耳神、鳥甘神)
八島牟遅能神(やしまむぢ の かみ)の娘。
子:鳥鳴海神(とりなるみ の かみ)
この神を含む系譜は十七世神と称される。
『出雲国風土記』のみ登場の妻子

綾門日女命(あやとひめ の みこと) - 宇賀郷での妻。
真玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ の みこと) - 神門郡朝山郷の妻。
八野若日女命(やののわかひめ の みこと) - 神門郡八野郷の妻。

山代日子命(やましろひこ の みこと) - 意宇郡山代郷
御穂須須美命(みほすすみ の みこと) - 島根郡美保郷
和加布都努志能命(わかふつぬし の みこと) - 秋鹿郡大野郷、出雲郡美談郷
阿陀加夜努志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめ の みこと) - 神門郡多伎郷
『播磨国風土記』のみ登場の妻子

弩都比売(のつひめ)
許乃波奈佐久夜比売命(このはなさくやひめ の みこと)

火明命(ほあかり の みこと) - 弩都比売との子
阿賀比古・阿賀比売(あがひこ・あがひめ) - 飾磨郡英賀郷
伊勢都比古命・伊勢都比売命(いせつひこ の みこと・いせつひめ の みこと) - 揖保郡林田郷
石龍比古命・石龍比売石(いわたつひこ の みこと・いわたつひめ の みこと) - 揖保郡出水郷
建石敷命(たけいわしき の みこと、建石命) - 神前郡
玉足日子・玉足比売命(たまたらしひこ・たまたらしひめ の みこと) - 讃容郡雲濃郷
爾保都比売神(にほつひめ の かみ) - 丹生都比売神社祭神
神社社伝にのみ登場の妻子
白比古神(しらひこ の かみ) - 白比古神社の祭神[7]。大己貴命の御子神。
奈鹿曽彦命・奈鹿曽姫命(なかそひこ の みこと・なかそひめ の みこと) - 奈鹿曽彦神社・奈鹿曽姫神社の祭神[8][9]。大国主神の子である兄妹神。
妻:天止牟移比売(あめのとむいひめ) - 『粟鹿大明神元記』
子:天美佐利命(あめのみさり の みこと) - 粟鹿神社の祭神。
妻:国安珠姫(くにやすたまひめ) - 岩木山神社の書物『岩木山縁起』が出典で、安寿姫と同一か。
子:往来半日(読み不明、洲東王) - 『岩木山縁起』

 

 

 

 

大国主の神話 - Wikipedia

八十神の迫害
大穴牟遅神(オオナムヂ、後の大国主)の兄神たちである八十神(ヤソガミ)は因幡国の八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するが、ヤガミヒメはオオナムヂと結婚するといったため、八十神はオオナムヂを恨み、殺すことにした。オオナムヂを伯岐国の手前の山麓につれて来て、「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令した。オオナムヂが待ち構えていると、八十神は猪に似た大石を火で焼いて転がし落とし、それを捕えようとしたオオナムヂは石の火に焼かれて死んでしまった[1]。

オオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)は息子の死を悲しんで高天原に上り、神産巣日神(カミムスビ)に救いを求めた。カミムスビが遣わしたキサガイヒメ(𧏛貝比売[2])とウムギヒメ(蛤貝比売)の治療によりオオナムヂは生き返った[3]。

オオナムヂの復活を知った八十神は、再度殺害を試みた。大木を切り倒して楔で割れ目を作り、そのなかにオオナムヂを入らせ、楔を引き抜いて打ち殺してしまった。母親は泣きながらオオナムヂを探して大木をみつけ、すぐに木を裂いて取り出して生き返らせた。母親は、「あなたはここにいたら、八十神に滅ぼされてしまうだろう」といい、木国の大屋毘古神(オオヤビコ)の所へ行かせた[4]。

オオヤビコの所へ行くと、追ってきた八十神がオオナムヂの引き渡しを求めた。オオヤビコはオオナムヂを木の股を潜り抜けさせて逃がし、須佐之男命(スサノオ)のいる根の堅州国に向かうようにいった[5]。

根の国訪問
根の国のスサノオの家で、オオナムヂはスサノオの娘の須勢理毘売命(スセリビメ)と出会い、二柱は一目惚れした。スセリビメが「とても立派な神が来られました」というので、スサノオはオオナムヂを呼び入れたが「ただの醜男ではないか。葦原色許男神(アシハラシコヲ)と言った方が良い。蛇の室(むろや)にでも泊めてやれ」と、蛇がいる室に寝させた。スセリビメは「蛇の比礼(ひれ:女性が、結ばずに首の左右から前に垂らすスカーフの様なもの)」を葦原色許男神(大国主)にさずけ、蛇が食いつこうとしたら比礼を三度振るよういった。その通りにすると蛇は鎮まったので、葦原色許男神は無事に一晩寝て蛇の室を出られた。次の日の夜、スサノオは葦原色許男神を呉公(ムカデ)と蜂がいる室で寝させた。スセリビメは「呉公と蜂の比礼」をさずけたので、葦原色許男神は無事にムカデと蜂の室を出られた[6]。

スサノオは広い野原の中に射込んだ鳴鏑(なりかぶら)を拾うよう葦原色許男神に命じた。葦原色許男神が野原に入ると、スサノオは火を放って野原を焼き囲んだ。葦原色許男神が困っていると鼠が来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)といった。それを理解した葦原色許男神がその場を踏んでみると、地面の中に空いていた穴に落ちて隠れることができ、火をやり過ごせた。また,その鼠はスサノオが射た鳴鏑を咥えて持って来てくれた。スセリビメは葦原色許男神が死んだと思って泣きながら葬式の準備をした。スサノオは葦原色許男神の死を確認しに野原に出てみると、そこに矢を持った葦原色許男神が帰って来た[7]。

スサノオは葦原色許男神を家に入れ、頭の虱を取るように言った。ところが、その頭にいたのはムカデであった。葦原色許男神は,スセリビメからもらった椋(むく)の実を噛み砕き、同じくヒメにもらった赤土を口に含んで吐き出していると、スサノオはムカデを噛み砕いているのだと思い、かわいい奴だと思いながら眠りに落ちた[8]。

葦原色許男神はこの隙に逃げようと思い、スサノオの髪を部屋の柱に結びつけ、大きな石で部屋の入口を塞いだ。スサノオの生大刀と生弓矢、スセリビメの天詔琴を持ち、スセリビメを背負って逃げ出そうとした時、琴が木に触れて鳴り響いた。その音でスサノオは目を覚ましたが、その際に髪が結びつけられていた柱を引き倒してしまった。スサノオが柱から髪を解く間に、葦原色許男神は逃げることができた[9]。

スサノオは、葦原中津国(地上)に通じる黄泉比良坂(よもつひらさか)まで葦原色許男神を追ったが、そこで止まって逃げる葦原色許男神に「お前が持つ大刀と弓矢で従わない八十神を追い払え。そしてお前が大国主、また宇都志国玉神(ウツシクニタマ)になって、スセリビメを妻として立派な宮殿を建てて住め。この野郎め」といった。葦原色許男神は出雲国へ戻って大国主となりスサノオから授かった太刀と弓矢を持って、八十神を山坂の裾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、全て退けた。そしてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとの岩の根に宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住み、国づくりを始めた[10]。

ヤガミヒメは本妻のスセリビメを恐れ、オオナムヂとの間に生んだ子を木の俣に刺し挟んで実家に帰った[11]。

大国主の妻問い
八千矛神(ヤチホコ、大国主の別名)は高志国の沼河比売(ヌナカワヒメ)をめとろうと出かけ、歌をよみかわした。そのため、妻のスセリビメが大変嫉妬した。困惑したヤチホコは出雲国から大和国に逃れる際にスセリビメに歌をよむと、スセリビメは杯を捧げて留める歌を返した。二神は杯を交わし、今に至るまで鎮座している[12]。













 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネオエルサレム というのは、地上のエルサレムの事では無いといいます、イエシュア自身の事

ネオエルサレム というのは、地上のエルサレムの事では無いといいます、イエシュア自身の事

 

聖体拝領では

既に

その聖体を拝領した方は

Mariaと共に

イエシュア自身を

自らの内部に迎えたのです

 

 

それは

一人

一人は

神殿だと言われている次第であって

 

イエシュア自身には

父が共に在る事だし

そして

聖霊は

父と子の相互の仁慈のそのものである霊それ

ゆえに

三つで一つである事の

Almighty

 

 

ユダヤの大祭司のカヤファの息子はヨゼフが

廃棄したのは

そもそも

Nazarethのイエシュア自身

 

 

これは

喩えで

既に予告している通り

 

農夫たちの事

 

主人から派遣されて主人の一人子を

殺害し

その財産を全部

横取りしようとして

しまう

から

と云う事を

明確に

大祭司らに

伝えたその言

 

言は剣であること

それ

 

さあて

 

エル

シャロメ

 

IYAEL

あなたは

完全な能力である云う事であるが

 

Almightyであると云う事

誉める事

そして

平安そのものだと

そう

宣言している

 

平安

なこやか

なこやく

なこや

 

 

 

優しい事であるのは

いつでも

全ての人を

個別に

憂いているから

仁慈とは

その事

 

悲しむ者と共に悲しむ

悦ぶ者と共に悦ぶ

 

それは

喜悦そのものである

その方は仁慈そのものであり

生命

 

すなわち

いのち

 

そのものだから

それこそ

太陽よりも真白に光ひかりそのものだと

そう云う事だ

 

 

言は

 

肉と骨を丁寧に別ける事になる

 

 

 

 

父の右に座すとは

全ての権能を父から

預かっている

大王の中の大王と云う事

 

全宇宙を統治するその完全に善い者であるから

 

 

剣で人々を切り裂くのではないのですよ

 

 

それは

大きな誤解だからです

 

戦闘するイエシュア

イエスの心象を

抱く人々があるが

 

ゆえに

武器で敵対する者たちを処断していいのです

いう事になっている人々もあるが

 

生命を侵害する事は

無い

 

身代わりに自分の生命そのものを

父に奉献したその方なのですから

 

自己矛盾する事は

無い

 

合理である事

 

 

 

平安

 

たいらけくありやすらき

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

南山堂安居子

 

犠牲サクリファイド 自ら沈黙の内に行為する ある人物の身代わりに成る事、、主人へ自己を奉献する事

 

 

犠牲サクリファイド 自ら沈黙の内に行為する ある人物の身代わりに成る事、、主人へ自己を奉献する事

 

本当は死刑になる者の

その者に代わって

自分を差し出す事

天主に

 

 

そうして

自らと共にある生命そのものを

天主に向けて奉納する事ですので

 

誰かにその生命を譲るのではない

生命そのものを与える事が出来る主は

唯一しかいない

 

生命の根源そのものである方自身である

 

 

このLOGIC

 

論理

 

ことわり

 

 

生命は人には創作できないのでね

 

 

そもそも

ゆえに

最善の御品物そのものの一つだから

 

存在自体を存在せしめる力のある者もそうだ

そして

存在自体と

生命を受け止める肉体を

同時に成立させているのは

 

人自身の力量でも力能でも無いのです

 

それは

少しだけでも

思案したら

誰でも理解できる

 

ある人が

どんなに

死を迎えてある

その肉体に

起きよ

命令の言を吐いても

 

それは

霊は無い事は既に証明している

 

医師がいても

無理だし

むしろ

医師の中には

医療の施術に失敗して

そのクライアントに

死を齎す者もあるのだ

複数人

 

 

そして

自分の責任を回避するために投資する事もある実例もあって

 

 

人というのは

なんとも

その生き方の根源の事が

その固有の存在として

リフレクションする時があるので

 

なんとも

厳しいというのは

そういうケースを

caseとして

明確に意図したstudyを実践する時に

明けらかにされる事だ

 

 

 

 

人というのは無力そのものである存在であると云う事

 

 

 

 

 

 

それは

 

なんとも

はあ

かなあしい

 

云う事である

 

 

 

安宿部頎甫

 

 

 

 

少しは

真面目に対面してくれよ

と云う事だ

逃げないでね

 

自分で成してしまった事

 

行為の結果を

詳しく

臨床してごらんくださいませ

 

と云う事

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子