mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -54ページ目

人には限界のある能力しかない、  人にあるのは不完全である能力だけ、

人には限界のある能力しかない、  人にあるのは不完全である能力だけ、

 

 

EL(Almightyそのもの)をそれ以外の存在が呼ぶ言  

ELI

 

IYA

 

あなたは

 

ELI

EL

 

IYA

FUA

ELI

 

 

IYA

EL

 

 

ヤエル

 

イヤフアエル

 

イヤフアエーー

 

 

彌榮

八重

とか

弥高とか

 

 

あなたに

高い誉れ

そのもの

高い方

いやたかし

とてもとても

高い者だ

 

 

崇高で

うず高く

うずまさる方

 

稲などの穀物

 

だそうだから

 

 

 

 

腹いっぱいだべれるあまりある

あふれる食い物

品物

糧を

くれる

くださる

 

 

 

 

 

大宴会に招く方は

HOSTの中のHOST

金を呉れとはいいません

 

必要な衣服も事前に用意してくれている

けているのです

 

あげている

 

あなたに

わたしにも

あゆる人々に

個別に

予め

用意している

 

それは

地上での顕示した事でした

 

品々は

全て

開示されている

 

食べ物も

呑み物も

着る衣服も

 

大王の中の大王

大祭司の中のはじめとおわりの大祭司

 

祭司だからこそ

まむくこと

 

いつも

静かな寂しい

つまり

誰もいない

ものさみし

處で

真向く事

 

父よ

 

アバ

 

AVA

 

あヴぇ

 

 

アラム地方のコトバを使う事

 

 

 

イヤフアーヴェ

 

 

あなたこそ

力そのもの

いきるちからの源泉

 

みなもと

 

その

者の別け足る者は

地上の管理人として

世話人として

派遣されてきたという

事である

 

 

それゆえに

全ての物事について

 

教えてくれる方

おしわりたい者は

ついていきましたけども

 

奇跡

 

死者を一言で起きよと命令し

その死人は

起き上がって

再度

息を吐き

空気を吸う事が出来た

ゆるされて

起き上がった

死人

 

それは

なぜ

そうしたのか

 

顕示し

示したのでした

 

天の父から

一人子は

派遣されて

地上に

降りて来たのですよ

太陽の宮でも無いと云う事だ

 

 

太陽と

月と

あらゆる星々は

創作され

クリエイトしたのは

その大いなる天主である

父と子と聖霊その三方だと云う事だと

いうことを

示しにきた

 

なぜなら

なんども

言を

預かる者はあって

いわゆる

預言者といっている次第だが

 

それらは

まだ

確実な品としては

顕示されていなかった

 

2025年からすると

 

紀元前の4年に

その者は

Maria

Nazarethのマリアの胎内に降りて来て

結実した

 

そのFRUIT

 

フルクトス

ベントリウス

 

 

Mariaの胎内は

受け止める皿

 

全く一つの染も汚点も無い

器として

 

NazarethのMariaは

予めその存在は用意されてあった

事の

証明

 

 

そして

その子は

神からの

仔羊のそのものとして

成長した

 

 

 

父に奉献

完全に

全焼の生贄としてのそれだと云う事

 

既に

アブラハムの時には

正に

イサクをもって

身代わりにした

その角の二本あり

その角を柴に絡めていた後ろの正面の羊だ

 

という事

予兆は既に

いくどもあって

しかして

結実した事

 

何千年もの積み重ねの末のまた末

 

40年と

30年と

 

30年と

3年と

40年

 

最期の三年と半年と

その最後の三年と半年と

 

というのは

何か

 

70年で

エルサレム

神は平安であるその都

城塞は

堅固であった城塞は

 

完全に周囲をぐるりと

ローマ帝国から

派遣されてきた

大軍団の群れにより

包囲

 

城内に居た者たちは

飢餓にあえぐ

 

その後に

陥落したのは

城塞の地下を掘り

通路をつくり

 

火で燃やす事で

大きな石組みを繋ぐ

アスファルトを

溶かして

土台を

崩壊して

後に

城内の深部である

奧の室

至聖所に到る事で

 

完全に

聖所は

踏みにじられる事

 

それは

Nazarethのイエシュアが

顕示した事でしたが

 

 

 

道行の最中

 

エルサレムの婦人たちに

 

わたしの為に

泣くのではない

あなたがたのために

その涙

海の磯の鹽の味のする潮

 

 

その涙を

流しなさいと

 

そうしたのは

40年後

その婦人たちの

こどもたちは

どうなったというのでしょうか

 

正に

大患難を過ぎ越す事になるのです

 

荒廃は更に荒廃を激しく

齎した結果

 

これは

アッシリアのニネベとまったく

同じ事でした

 

予告したことは

正に

そうして

成る事を立証して

いくつも

事例があるのであった

 

それを

神話だ

人の構築した

物語というのでは

 

まったくもって

非道と云うことでもある

 

 

 

 

真面目に

物事を観る時

 

確かに

太陽のような品は

地上を

焼き払うこと

 

これは

広島と

長崎で

実際に

いまから

80年前に遭った

 

現代の

帝国とは

いくつもあるが

 

さあて

 

避難所というのは

どこなるのか

 

 

そこはなぜ

避難所なのか

 

地上には

楽園は無いのですから

 

 

 

 

無理やり

地上に天国を耕作して

構築して

楽園建都するとしたい人々もあるが

そもそも

 

聖体は

あって

 

それを

わが

黒い腹に

迎えた者も

幾人もあるのに

 

なぜか

 

いまだに

迷い惑うというのは

 

不思議なモノ

 

 

それこそ

 

 

 

 

 

主ヨ

主ヨよか

 

神よ

神よ

とか

 

口先では

直ぐに吐き出すものだが

 

しかして

一体

自己イメージのそれらは

何を観ているのか

 

IDOL

IDEA

 

EGO

そのものから吐き出し

IMAGEした

偶像とは

何の事だろうか

 

 

詳しく

鑑みる事は

重要で

御徳な行為実践の事

 

 

judgmentを

下す

裁判官では無いし

あらゆる人々は

 

人々の構築したきた

法令の審判員と

 

全てを完全に知り尽くしているいてあるその裁判官とは

まるで

その権能の働きの具合が

違う事

 

審判員のそれぞれは

その人の

こころの

貧しき事の

立証でもあるからこそ

 

自己覚知の作業は

重要といわれている次第だ

 

すこら

では

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかく完全に善い品を顕示されても、そんなもの欲しくないね、と廃棄したのではね・・

 

人には自由そのものを

贈り物として

あるからこそ

です

何か

対象として

信じ込む必要があるものは

何も無いと云う事だ

 

詳しく見る事

観察する事

 

指標を得ている事

 

最善の事とは

一体何かと

研究する

究明理の事を

 

自分から

学び

習う事

 

 

格物致知というのは

そういう根拠の言の一つだと云う事

 

南山堂安居子

「人ヨ あなたに一体何がわかるというのだ? 人ヨ わたしは共にあるではないか」

「人ヨ あなたに一体何がわかるというのだ? 人ヨ わたしは共にあるではないか」

 

ともにあるではないか

 

ともに

 

WITH YOU

 

結ばれているものとして

 

存在自体のそのひとつ一つとして

 

いのちそのものであるもの

 

 

わたしは過ぎ去ってしまう

ともにあるか

問われるとき

 

いかがするのか

 

その時は

誰にも

知らない

 

知る事は無い

 

3年

30年

4年

40年

 

終末というのは

いつのことか

知らない

 

 

 

今若木でも

翌日には

一瞬で枯木となる事もあるのだ

 

長い間の根の生えているその姿は

何を目に映す事か

 

 

受け止めた

その事の中にある

 

人の生きた様々なその状態を

詳しく知る事はあるのか

 

 

人は今

もしもいま

その事を

知る事を希望するなら

 

いのち

そのものを

しつかにして

知る事

 

存在は

何故

あるのか

 

EGO

 

 

われ

 

 

WO

 

WAE

 

 

 

わひこ

 

 

 

 

我は

日の子

 

 

光の子とかいうのも

使命感とか

オカルトの中で出現するが

 

 

 

巻物には

「光の子」という表現が登場する

 

記事を書いた人は

誰か

 

 

ペトロとか

パウロとか

言われている者

 

 

自分で

もっとも最小の砂粒の一つと

認知した者

 

もっとも小さい

どんな小さな者よりも最小者である

という自己認知を形成した者か

 

大きく強くたくましくなりたいと

どこまでも

希望していた

憧れの

自己イメージを礼拝していた者たちが

 

何を見聞きして

 

そして

 

我をもって

枝折るか

 

 

腰をかがめ

両膝を折って

御前に鎮まる事

 

 

 

鎮魂とは一体何をいいますけ?

 

 

 

quiescere

 

 

requiem

 

 

 

 

もうこれで十分です

満足です

完全に善い事を

理シエテ

 

理解して

 

あなたと共にあるから

永遠に

終わりの無い事

 

終わり無

 

 

 

はじまりも

おわりも

無い

 

そのもの

 

 

ずーーと

 

時は無い

 

 

刻まれる時は

無い

120%の

溢れ出るその

仁慈

いつくしむその配慮の根源

生命そのものを

常に

よろこぶ

いわいふり

終りなく

たのしむこと

 

すなわち

やすらく

やすらか

やすらき

 

保良喜

 

木の国

 

 

悠紀

 

 

 

よろこばしく

私も

アナタと共にあることをうれしく思うその

うれしみ

 

 

 

何もかも

必要十二分に

善徳であること

 

 

私の

いのちを

失う事は

あなたの

いのちを

受け止める事

 

 

完全に知る事の

いのちそのもの

という

 

 

その過程そのもの

 

ある人は

Nazarethのイエシュアと

その父と

二方の愛情の事を

理解し

 

余命の宣告の時に

むしろ

悦ぶ事でした

肉体を過ぎ越して

あの方々に

直接

出会えて

観る

至福直観が

そのまま

永遠にあることを

予告で

知り得たから

という

理由であった

 

 

すなわち

死を過ぎ越す時に

その手のひらには

なにかを所持して

もっていくことは

無い

 

逝くこと

 

自力では立つ

起きることも出来ないのです

 

その自発する意識さえも

もう発動されない

 

その時

 

暗闇の世界に埋没した

その者であるのか

 

正に

その者との出会いがあるのか

 

自分の意向と意志で

判断し

決断する事の

希望と云う事である

 

何かを

善意でした事も

それはそれ

 

戒律を遵守する事とは

何を求めてか

詳しく理解した者は

かの

 

サウロと云う男子

 

彼は

Benjaminの末裔の一人で

非常に優秀で

エリートである者で

ガマリエルという博士の門弟の一人であった

博士で

権力も保持していた

 

金持でもあって

 

 

実際に

神は

唯一だとして

そこに固執するあまりに

 

Nazarethのイエシュアを

侵害する事

 

殺すな

生命を

いう命令に

反対する事を

いくつも

積み重ねていた者であった

 

なぜ

目は開かれないのか

目を開いても

知らない

 

 

理解しようとしなかった

 

ゆえに

雪よりも

太陽よりも

真っ白な光そのものは

到来した

 

馬上の君に

 

 

ダマスコに追跡していた

 

予告があったから

 

エルサレムから

逃げる事を事前に

予告されていた

なぜか

ローマ帝国の軍団と

それに

大祭司の強権

 

 

國の内外からの

憂慮する侵害行為は

 

生命の破壊そのものを嗜好する行為で

満ち溢れた

 

 

廃棄したのは

 

大祭司自身の固い

意固地

 

 

それに恐怖を示して

大勢の者たちを

道連れにして

まさに

迷いする道の

羊たちを

囲って

悲惨なその場所に

まったく

やすらきのない處まで

強制連行する事であった

 

栄華と共にあったそこは

 

火の海となり

灰塵

 

 

そして

人々は

その場を退く

 

各地に

避難

難儀を回避して

災難を回避する事

 

自己にある

生命を大切に

大事にする事を

そもそも

知らされていたから

 

SYRIA方面に向かう者

 

アレキサンドリアに向かうもの

 

地中海を舟で渡る者

 

 

太陽の昇る方面に向かう者

 

 

遠く

インド

中国の方面まで

向かった者

 

北の山脈を超えて

北の大王の領地まで

はせたもの

 

 

 

12人の

聖体を運ぶ者たちは

 

証拠品をしっかり

自己に

携えていたのだったが

 

そこで

 

敵対してくる者たちの事を

行為を

一つ

一つ

受け止める事であった

 

 

 

IYO

PHUEA

ANEE

のみ

 

100才ころまで

生命を地上に保持したのは

はじめから

おわりまでを観る事であったし

後の人々の

その知り得た事を

伝える事だった

 

サクリファイドの事

 

奉献した事

 

その後に何があったのか

 

予告されていた事は

全て

成果として

成就したのである

説明する事

 

 

 

正に

人々は

それらを

無視する事で

自前の私的偏重したImageを

偶像化する事で

似せて構築してきた

その事の

品の

つみかさね

のいまのこと

 

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

 

 

 

散らばる文書

 

とても

生真面目な性格傾向の方には

ふざけているとか

不正義だとかあるでしょう

認知形成結果が

その方の

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

同時に

 

自由発想という

遊びもあるものだから

 

何か

おもしろいこと

とは

私的な情感も加味して

あることだ

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

ほんとに

自由

そのものとは

一体

何かを

 

理解できる

必要十二分の能力というのは

 

一体

どこにあるのか

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

わたしの持論では

 

それこそ

ローマカトリックのエクレジア自体が

継承してきた2000年の間に

 

宝珠だと

判断している次第

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

 

人自身が

なぜ

存在しているのか

という

クエスチオン

 

QUEST

 

 

 

と云う事が

ここにあること

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

何かを盲目に信じ込めなど

誰も申していないが

 

いつしか

人の不安とか

災難を経験して

過ぎ越した者である事で

苦痛を体験を

いくつも

自己の小部屋に

積み重ねてまいった方などは

 

いわゆる

こころにある傷とか

かなり

曖昧な表現で

理屈を説明されてきた次第であるが

 

精神分析の手法もあいまって

 

人の意図をどう理解するか

のテーマですが

 

ACTそのものを

個別化し

しっかりと

何も混在しないように

細心の注意を

配慮して

 

事実を

必要十二分

確認する事の作業が

重要であること

 

 

 

霊の仕業だとか

そのような

曖昧な事は

誰でも思慮できる

IMAGEとしては

そこに

人の

よわさがあること

証左も

いくつもある

 

 

 

人の頭脳神経細胞システムの機能を

より鮮明にして

いろいろな機能が

同時に

運用されてしかも

自働運用ですから

 

人体がどのようにあるのか

その設えの事を

究明する意図も必要であること

 

 

 

 

自己で理解できない現象を

直ぐに

神霊などの動きでそうなっているんだ

などという

人智でも即断した

信じ込みとは

恐怖以外の何ものでもない一つの事で

 

 

cultというのは

人知で創作したImageを

偶像化して

どこまでも

アディクトさせようとする強制行為の結果であるから

 

 

そういう宗教行為の

あやうさを

実地で検分し

検証し

証拠品として

実例を

それぞれ

casestudyは

必要だ

言えます

 

 

 

社会とは人の意図した事で

形成されているので

 

 

 

そこの中で

宗教行為とは

最高位に

重要な部分ではある

 

現代では

人々の中に

習慣化している

宗教行為ではあるが

 

神仏の幻想とか

神仏のIMAGEとか

 

無数の情報がある

 

それは

人々が世界の人々の創作してきた

品物を

それぞれ

知る事が出来る

媒体を

開発して

商品化して

情報をすぐに得る事を

人々に

可能にしたからでもある

 

どんな状態にあっても

 

 

情報を得る事を

自由

より自由にしてきた歴史過程はあるが

 

そこで

 

どんなものが

あるのか

査定する指標を

無数に設えて

研究する事

批判

対象物を批判です

 

自己批判というのは

Catholicの内省の亜流なので

 

ある人物の思想を

経典にして

それに

自己を照らす

鑑みる事で

操作する対象化にされているのですから

 

当然

完全な者としての

人物があって

そこにいきつくように

強制

強要など

当たり前の事だとすると

 

それを

懸命に努力しなさい

なんて

命令されてしまった人の中には

どうにかして

現在の

悪いという認知している自分自身の状況を

よりよくしたいからと

支援を求めるでしょうし

 

そうした

実際は物理的な現象の一つ一つの事であるのですが

何か

霊だとして

人の意向さえも

包括して

しまう

 

そのまとめ上げの

諸雑さが

 

散らばり

観る事が

可能ではあるのですから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか人というのはその人自らの

肉体から

生命そのものは

逝きます

過ぎて行きますので

 

 

どうなのでしょうか

その時は

誰も知っている者など存在しないのです

 

たとえ

自死を選択した者でも

です

 

実際にそうして

実行した方の中には

 

肉体から生命が過ぎていかなかったという方もあるので

 

どうして

そのような物理的な現象として

あるのか

理屈を知る事も

非常に重要な点で

 

曖昧な精神論というのは

cultのイデアとも近くて

一応の理由としての説明と

実際に

物理としての説明の統合化と云う事の作業がどうしても必要ではあるのです

 

そこの乖離

NICHEを

どう一人

一人

受け止めるか

 

そして

いろいろな状態を抱えている者があって

 

わたしは

ともにある

あなたと

 

という

事実

実行しているそのACT

 

行為実践は

どうでしょうか

 

確実な事の一つとは言えるのです

その者の霊と事実ある肉体とそれを知る事とは

どういう事でしょうか

 

 

ともにあること

 

いのち

とともにあること

 

意義

意味

価値

merit

 

などなど

 

自力で得る事が出来ないのが

いのち

そのものです

 

 

人には

能力が限定されているのです

 

全知全能全善があるとして

なぜ

人自身を

同じように形成しなかったのか

それは

 

唯一

全知全善全能があることで

必要十二分であるからです

 

 

全善と云う事を

知る事は

どうしたら

理解できるか

 

不完全な者が

完全な善を理解するのは

 

当然

完全な善である状態を保持してる者が

全部

それを

証明してからこそ

理解すること

一つ一つの品

 

品物を

 

その者自身の構成している

無数のpeaceそのものを

 

理解

解体し

て理屈を

構成を

何を

ほのめかしていたのか

とか

何を顕示したのか

 

見ようとしないと

見えない事は当然だからです

動機の問題

Motif

 

探している物事が

検討違いでは

 

いつまでも迷います

惑いますと

いうのは

論理としては

合理なのですから

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子