mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -53ページ目

ちちよ PHUEATOR ファーター アフアー アブア AVA AVE 

ちちよ

とは

とうさん

 

という呼びかけであるけども

 

とうちゃんという言い方でも同じ

 

子の父への叫び声

 

なぜならば

 

父は子を地上の人々の中に

派遣した

地に落とした

その種子

そのもの

たねっこ

 

 

 

根っこを

はやして

おがる

 

新芽

そして

若枝

 

地上にある木は

枯れ木と枯枝となってしまっているのであったから

 

そして

 

その枯枝に

生木を張り付ける事

釘を打ち込まれて

接ぎ木したのですが

 

そのハンマーとなるのは

ローマ帝国のハンマーであった

 

二枚舌の

ユダヤの大祭司

アロンの

末裔の子らは

 

金儲けに勤しむ事

 

生命そのものを

保護し守護し大事にし

大切にしようとは

一切していなかった

 

神殿では

既に

生命は

放棄されてしまっていた

 

父は一人子に

その財産を贈与する事を

けなして

その財産を

全部

 

盗もうと

して

はかりごとを企み

そして

実行した

狡猾な者

 

 

 

ローマ帝国の提督は

ローマの法律に於いては

何も処刑する罪は無いと宣言を

三度した

 

三回

審議する事

 

審判したのですが

 

いいや

そうなら

われわれは

あばれまくるぞ

脅して

オリエントに派遣されてきた

ピラト提督の首を狙う

 

 

 

彼は

もういい

 

あなたがたに

 

任せようと宣言して

しまう

 

 

 

 

これは

はじめに予告されていた事

 

ゲッセマネの園で

事前に人々は

何をしでかすのかを

知らされた

 

 

父よ

出来るなら

それは

避けてください

同時に

私の意向では無い

あなたの意向が

我が身に成りますよに

アメンと

はじめからおわりまで

始末

終始

始終

 

 

なあむ

とか亜門とか

 

同じ

阿吽とか

 

 

AUME

 

 

 

AOUMU

AMEN

 

 

 

あ→ん

 

 

 

 

 

IYOANNE

 

IYAOPHUEANNE

 

 

あなたは

生きているそのもの

ふくいき

 

いやふあー

 

 

ファーター

 

プシケ

とは

ギリシア語

 

 

ふう

ふう

ふう

と三回

かしら頭に向かって

吹きます

 

土塊から出来た者

 

 

Adam

 

 

 

生命を産みだす者

 

EVA

 

 

 

 

 

AVE

 

 

 


 

いやフアー

 

 

 

 

 

 

 

全能である方は

他に居ないと云う事を

一つ一つの言で

証明し

思い

行い

で実証する事

 

 

人々がオソロシク

相手の生命を侵害し処断する事に

悦びを覚えている事自体

 

狂気であり

それをみて

大歓声する事は

異常である状態を迎えている事だし

 

 

 

その心の向きとは

一体

何でか

 

生命を虐げる事を

そんなにして

嬉しいのか

という

問いかけがある

 

 

どこまでも

ドーパミンの内分泌が

その者の

頭脳神経細胞システムに

成立しているのだろうか

 

 

 

 

倫理とか

ethics

 

 

その自由を

超えて

 

orderの

ままに

従順する事を

選択するとは

 

一体

なぜなのか?

 

 

 

あの人達は

自分が何をしているのか

わからないからです

 

ちちよ

御免してけれ

 

いう

身代わりに

御免を

いうのでした

 

 

 

 

長子であるその子は

 

 

 

幼子のような心を

もともと

保持しているから

 

父の意向を

全て

受け止めているから

 

 

不完全な親のいうことに

従う事ではありません

不完全な上司の云う事に

盲目でイエスマンでは無いと

云う事だった

 

 

なぜか

大祭司は

その当時

最高権威者である

その者に向かい

 

Nazarethのイエシュアは

面と向かい

釘さしをするのですから

言として

さらに

言は剣のように

骨から肉を

奇麗に

削ぐのです

 

 

彼らの内実を

全て暴露して

顕示して

しかも

大神殿から

商売人を

追放する

 

きよめること

清浄化したのです

 

それに向かって

 

大祭司は

おまえは一体

何の権威があってそのよなことをすのか

 

 

怒る

非常に怒る

 

石殺しにしてやるぞ

となるから

 

きわめて

あなたの父は私の父とは違うと宣言した

 

 

ルシフェル

である

あなたがたの父は

なぜなら

目の前の生命を侵害し

処刑せよ

宣言したのだから

多くの人々の前で

 

生命を殺すな

戒律にあるのにもかかわらず

だから

 

 

 

ゆえに

彼らは

取り返しのつかないつみをかさねてきたということだ

 

 

 

 

その償いの全てを

汚泥を真っ白な衣に

ぬたくるため

 

羊の真っ白な毛をもって

真っ黒な油で穢れた心という鏡を

ふき取る事

 

 

 

 

 

大罪人の中の大罪人としての

審判を

受け止めて

処刑される事

 

 

ローマの帝国の法律によって

 

偉大な皇帝とは

マルスの化身

 

 

大祭司

ローマの神々こそ

優位だぞ

世界中に顕示して

大軍団を率いたのですから

 

イスラエルは

その大軍団によって

崩壊する

 

エルサレムは

神は平安そのものという城塞は

陥落し

正に

燃える火の竈門となった

 

 

 

西暦70年

 

 

西暦30年に

かのイエシュアは処刑され

カルワリオ

 

髑髏の丘

 

処刑場である

 

大罪人を晒しモノにする場所

ローマの方法で

 

処断されたからである

 

 

 

おまえたち

あのよな悲惨な死に方をしたくないならば

ローマ皇帝の命令にいつでも従順であれと

云う事

 

 

それを白示す事

 

 

そして

大祭司は

ローマ皇帝こそ

我々の王だと

そう大宣言したのです

から

 

 

ユダヤ人の王

Nazarethのイエシュアの事は

 

そのように自称した者と

看板を

書き換えてくれと

依願するが

 

ポンチオピラトは

それは許可しなかった

裁定は裁定

のまま

 

 

たとえ

大祭司といえども

 

ローマ帝国の皇帝の権威を覆す事は出来ないと

顕示したのでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

死後

三日目に

復生きる事

 

それを

事実証明した

 

おおくの人々が

その目撃をした

 

死人も大勢蘇った

 

同時に

ユダヤ人の墓から

それは

神殿まで

出向いたと記事されている

 

みな

驚天動地

 

そこには

確実に

死人の復活そのものがあったと記しているので

 

ローマ兵で

百人隊長なども

Nazarethのイエシュアに

傾くのは

然りだった

 

彼らは非常に優秀な貴族などの出身だった

知識

リベラルアーツの事

 

学術

実学

 

土木建築

行政民生

 

軍事戦術

 

福利厚生

 

 

 

理知で事を観察する

ゆえに

 

何を理解したか

である

 

 

 

事実を一つ

一つ

確認する事

 

 

今から

2000年前のローマ帝国は広大な領土であるし

属国

属州

 

イスラエルの人々は

他の民族よりも

もっとも

ローマ人を毛ぎらうし

 

ローマ人は

もっともユダヤ人を毛ぎらう

 

なぜならば

 

まったく

ローマ帝国の皇帝に従順になることはない民族であるからであった

 

北部イスラエル

ガリラヤの人々は

暗殺団を結成していたのは

愛国者の人々の集まりで

 

ローマ人を

自分の国から追放したいからですし

 

 

 

駐屯しているのですから

ローマ帝国軍が

そして時に横暴な兵士らもいた

 

税金も支払うのです

ローマ皇帝に

高額な税金と

 

さらに

神殿に納める

お金と

生贄もあることだ

 

 

 

人々は

経済的にも困窮していた

時代だから

こそ

 

です

メシアそのものを

渇望したいた

 

 

 

 

 

誰が

本物か

云う事でした

 

 

Mariaは

その

父の意向を

そのまま

天主の言が

我が身になりますよに

そう

意向を思いまして

常にあった

と云う事だった

 

 

最善

最高善

至高善

完善善

 

善の欠如は微塵もない状態をそのまま保持出来ている者は

Almightyである唯一の方しかいない

 

それこそ

三位一体

といっている

その方方

 

 

 

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何に わたしは 従うか?

何に

わたしは

従うか?


従う


order

とは

何か?


MARIAは

何に

従った

か?


Nazareth


新芽

若枝


常に

顔を合わせていたのは

MARIAであった


誰に


預かりました

子羊


父から

受け止めた




ロゴス


奉仕


何に


生きるために

必要な

いのち

そのもの


人間にある

根源


roots


種子


小さな小さなタネッコ


彼は

地に落ち

死にました



殻は

二つに

割れて



新しい芽を

出した




大きな大きな

木になりました


果実



fruit




カリイレノトキ



実を沢山沢山

ならした



受け止める方



いのち

そのものを



喜悦そのもの


いのち

こそ


それ




いのちは

永遠にあり

消えない



やわらか


慶祝



ひとは

肉体は

滅ぶ


みたら

理解できる


灰になる


真っ白な骨



幾人も

幾人も


何人も


わたしも

あらゆる人も


肉体自体


地にかえる


素粒子



塵芥



これは

確実それ

そのもの


いのちは

肉体から

過ぎ去り

ますから



自己実現した者も

そうでなかった者も

みな

平等に


ひとり

ひとりに


死滅は


訪問し


いのちそのものは

肉体の

それから

過ぎ去り


サヨナラも言わない





なんの恐怖があるか


何故なら


わたしは

いのち

そのもの

ともにあるなら



約束は

ものもうした

かのかた


MARIAは


示した


我が子を

あらゆる人に

その

手を


空にして


全て


いのち

そのものを

差し出した


身代わりに


父は

求めたから


全て



捧げなさいと



アブラハムは

イサクを

奉献しました


身代わりに

父は

2本の角の柴に

からまりました

羊を

用意してくれていた



まつりこと



感謝


全て


奉献する


最善の御品物は

贈り物


息子



与えてくれた


子を授かる



父は

我が子を

あらゆる人の

身代わりに


一人子を

与え


つみを

重ねた

全てを

身代わり

ぬたくられて


晒しものにされて


旗竿に

吊るされ


生きた贄

なる



みよ


この人を




償うのは

一体

何か



いのち

侵害し

殺すな

した


order



従わない

から




仁慈

滋養

滋味


世話は


私的意図

信じ込みを

イメージし

工作する為ではない


誰かに

命令し

そうさせて


手柄を

奪う為ではない



勝ち抜き合戦ではない

から



意を

ふくこと



あなた

向かい

宣る


為に

あるから



仲介する者に

全て

頼る


一念

一言



それは

まさに

幼い子のように


ように


心を


小さな子のように


単純に


委託すること


お願い


一念

全て

済みます


何故なら


オールマイティ

そのものだから


あなた


一人子


聖霊



オールマイティとは

一体

何か



詳しく

自分から

調べたら


教わる

事は


何でしょうか?



たれか

一体


いのちそのものを


無から

生成できるか?




死人に

また

いのちを

あたえる

力を

保持してある者は


他にあるか?





ブラフマーから

進言された


ゴータマシッタールタ


さんは


復生は

まだ

してないし


灰にされた

まんま

遺骨は

米粒の大きさに

分断されて



みな


配布され


スツーパ


卒塔婆



各地に

建立された


小さな

箱に

おさめられた


relic




カトリックも

聖人の遺骨を

分配するし


沢山の

relicはある





神の意向は

何でしょうかね



あらゆる人に

宿る

いのち

こそ


オールマイティ

そのものである

神自身


そのもの



私の体である

これは


示したのは


Nazarethのイエシュア


パン


過ぎ越し

死を

過ぎ越した



辛酸を

嘗め尽くす


苦味


うみのしおからい

体験


死を真向かい

いのちを

あたふる

唯一の方





汚れない存在は


NazarethのMARIA



何故なら

はじまりから

用意されていたから



あらゆる人にとり


仲介役として


身代わりに

とりなす方だから


どんな状態にある方にも


平等に


向き合って

共にある


彼は

反抗し

我が道に

従う者でも


彼の祈りを

身代わり

Nazarethのイエシュアに

手向ける




贈り物にし

予め

用意してくれている方であるから



故に



何を

自ら

選択するか



あけらかにされている

設えを

詳しく

観る行為



何を

選択したら

賢明か




奉仕とは

一体

何か?



服従とは

一体

なんの事か



マルトリートメントを

つまり

神を道具にした

操作する意図を

タワワに実らせつつ

みな


毒するように

仕向ける者は

何故

そうしたいのか?



わたしに

従え

不完全そのものである

その者は

いふが



私的イメージを偶像化した

その自己の陶酔者に


何故

従う必要があるのか?



Messiahに

なりたかった者



わたしこそ

Messiah

世に叫ぶ者は

沢山いる



注意⚠️


して


詳しく

観ている必要がある



いのちを

侵害しながら


これは

犠牲だぞ

なんて


仄めかす





かのひと


かの人


みな

差し出せ!


わたしを

生かす為に



全て

のみほしたい

その

欲望に

従う者



暗黒の

腹の中の

底に


招く者





いのるなら


そうだ



全て


MARIAに

委託して

任せたら

善い


何故なら


MARIAこそ

Nazarethのイエシュア自身に

直接に

語りかけ

祈願する役目であるから


いのち

そのものである方々に

執りなしを

必要十二分

完遂できる方は


MARIA自身である


何故なら

汚れない心

予め

用意されてあるから


あらゆる人々に

安樂を

終わり無く

贈るために


であるから



三位は


三位


オールマイティ


それを

納める

箱は



MARIAそのもの





御神輿や

箱舟

とか


それは

いわゆる

メタファー

それ


大聖堂は

まさに

箱舟のように

船を作る職人達が

作業したりした





南山堂何如安居子



MI KA  EL

MI

CHA

ELI

 

 

みかえり美人さま

 

なんとも

不可思議な事

 

たはいつこか

たあれかあるか

 

 

全知者

全能者

全善者である

統合して三方

 

そのもの

unit

 

TRIUNI

 

そのもの

Almighty

 

私的にあって

言を吐かれましたというのは

永遠に私的なその者への啓示でしかない事ですので

誤解なく

 

 

それゆえに

何か

代表者でも無いと云う事は自明理だ

 

 

そこでもリーダーとしてあるとうんであるなら

 

どのよな人々にも

自ら奉仕せ

権限として

命令し

任命されているはずだが

 

 

ここにこい

そしたら

いいもの

やるぞ

まるで

 

呑み込むそれそのものではないかと

いうことだ

 

ひきつけられるための

餌まきは

いつでもある

人と云う存在の

しかけ

そのものだからです

 

 

多くの人々の

気を

ひくため

作為は

万全であることの

立証

 

魔術でも

マジクでも

奇跡事でも

 

あちらにこれ

そこにあれ

いうことで

 

そこは

はじまりのおわりとでもいいたること

 

そうです

いつでも

自分こそは

救い主だとか

自称する者

またその救い主に

使命を拝命した者だぞ

とか

いいまくるもの

 

そして

自己の実現を

願望を

叶える事を

他人を大いに利用し

利便して

実現していこうとすることは

 

狡猾とはいわないかな

という

倫理の問題もあること

 

 

世間に顕示するというのは

何を示す事の

誉れかな

 

 

あなたにこそ栄誉とは

 

自分に欲しい人も

結構いてます

という

証拠品で

 

それは

自己の事の

卑下と

評価のたかし

うまし

という

両価的な認知形成の結果でもあるので

 

イクイブメント

 

equalとして

対等の関係を

自分自身で詳しく自分で学ぶ事をしようとしないのは

なぜなのか

 

神から

選ばれているのは

この俺様だ

この私こそ

優位な存在を示したいだけの事なのだろうけども

 

それは

確かに

いい気分を醸す素材ではあるだろが

しかし

ながら

 

あのバビロニアという都の

その塔を想起する時には

 

どうだろうか

 

と云う事

 

 

 

 

 

南山堂安居子