ちちよ PHUEATOR ファーター アフアー アブア AVA AVE
ちちよ
とは
とうさん
という呼びかけであるけども
とうちゃんという言い方でも同じ
子の父への叫び声
なぜならば
父は子を地上の人々の中に
派遣した
地に落とした
その種子
そのもの
たねっこ
こ
子
根っこを
はやして
おがる
芽
新芽
そして
若枝
地上にある木は
枯れ木と枯枝となってしまっているのであったから
そして
その枯枝に
生木を張り付ける事
釘を打ち込まれて
接ぎ木したのですが
そのハンマーとなるのは
ローマ帝国のハンマーであった
二枚舌の
ユダヤの大祭司
アロンの
末裔の子らは
金儲けに勤しむ事
生命そのものを
保護し守護し大事にし
大切にしようとは
一切していなかった
神殿では
既に
生命は
放棄されてしまっていた
父は一人子に
その財産を贈与する事を
けなして
その財産を
全部
盗もうと
して
はかりごとを企み
そして
実行した
狡猾な者
ローマ帝国の提督は
ローマの法律に於いては
何も処刑する罪は無いと宣言を
三度した
三回
審議する事
審判したのですが
いいや
そうなら
われわれは
あばれまくるぞ
と
脅して
オリエントに派遣されてきた
ピラト提督の首を狙う
彼は
もういい
あなたがたに
任せようと宣言して
しまう
これは
はじめに予告されていた事
ゲッセマネの園で
事前に人々は
何をしでかすのかを
知らされた
父よ
出来るなら
それは
避けてください
と
同時に
私の意向では無い
あなたの意向が
我が身に成りますよに
と
アメンと
はじめからおわりまで
始末
終始
始終
なあむ
とか亜門とか
同じ
阿吽とか
AUME
AOUMU
AMEN
あ→ん
IYOANNE
IYAOPHUEANNE
あなたは
生きているそのもの
ふくいき
いやふあー
ファーター
プシケ
とは
ギリシア語
ふう
ふう
ふう
と三回
かしら頭に向かって
吹きます
土塊から出来た者
Adam
生命を産みだす者
EVA
AVE
いやフアー
全能である方は
他に居ないと云う事を
一つ一つの言で
証明し
思い
行い
で実証する事
人々がオソロシク
相手の生命を侵害し処断する事に
悦びを覚えている事自体
狂気であり
それをみて
大歓声する事は
異常である状態を迎えている事だし
その心の向きとは
一体
何でか
生命を虐げる事を
そんなにして
嬉しいのか
という
問いかけがある
どこまでも
ドーパミンの内分泌が
その者の
頭脳神経細胞システムに
成立しているのだろうか
倫理とか
ethics
その自由を
超えて
orderの
ままに
従順する事を
選択するとは
一体
なぜなのか?
あの人達は
自分が何をしているのか
わからないからです
ちちよ
御免してけれ
と
いう
身代わりに
御免を
いうのでした
長子であるその子は
幼子のような心を
もともと
保持しているから
父の意向を
全て
受け止めているから
不完全な親のいうことに
従う事ではありません
し
不完全な上司の云う事に
盲目でイエスマンでは無いと
云う事だった
なぜか
大祭司は
その当時
最高権威者である
その者に向かい
Nazarethのイエシュアは
面と向かい
釘さしをするのですから
言として
さらに
言は剣のように
骨から肉を
奇麗に
削ぐのです
彼らの内実を
全て暴露して
顕示して
しかも
大神殿から
商売人を
追放する
きよめること
清浄化したのです
それに向かって
大祭司は
おまえは一体
何の権威があってそのよなことをすのか
と
怒る
非常に怒る
石殺しにしてやるぞ
となるから
きわめて
あなたの父は私の父とは違うと宣言した
ルシフェル
である
あなたがたの父は
と
なぜなら
目の前の生命を侵害し
処刑せよ
と
宣言したのだから
多くの人々の前で
生命を殺すな
と
戒律にあるのにもかかわらず
だから
ゆえに
彼らは
取り返しのつかないつみをかさねてきたということだ
その償いの全てを
汚泥を真っ白な衣に
ぬたくるため
羊の真っ白な毛をもって
真っ黒な油で穢れた心という鏡を
ふき取る事
大罪人の中の大罪人としての
審判を
受け止めて
処刑される事
ローマの帝国の法律によって
偉大な皇帝とは
マルスの化身
大祭司
ローマの神々こそ
優位だぞ
と
世界中に顕示して
大軍団を率いたのですから
イスラエルは
その大軍団によって
崩壊する
エルサレムは
神は平安そのものという城塞は
陥落し
正に
燃える火の竈門となった
西暦70年
西暦30年に
かのイエシュアは処刑され
カルワリオ
髑髏の丘
処刑場である
大罪人を晒しモノにする場所
ローマの方法で
処断されたからである
おまえたち
あのよな悲惨な死に方をしたくないならば
ローマ皇帝の命令にいつでも従順であれと
云う事
それを白示す事
そして
大祭司は
ローマ皇帝こそ
我々の王だと
そう大宣言したのです
から
ユダヤ人の王
Nazarethのイエシュアの事は
そのように自称した者と
看板を
書き換えてくれと
依願するが
ポンチオピラトは
それは許可しなかった
裁定は裁定
のまま
たとえ
大祭司といえども
ローマ帝国の皇帝の権威を覆す事は出来ないと
顕示したのでした
そして
死後
三日目に
復生きる事
それを
事実証明した
おおくの人々が
その目撃をした
死人も大勢蘇った
同時に
ユダヤ人の墓から
それは
神殿まで
出向いたと記事されている
みな
驚天動地
そこには
確実に
死人の復活そのものがあったと記しているので
ローマ兵で
百人隊長なども
Nazarethのイエシュアに
傾くのは
然りだった
彼らは非常に優秀な貴族などの出身だった
知識
リベラルアーツの事
学術
実学
土木建築
行政民生
軍事戦術
福利厚生
理知で事を観察する
ゆえに
何を理解したか
である
事実を一つ
一つ
確認する事
今から
2000年前のローマ帝国は広大な領土であるし
属国
属州
イスラエルの人々は
他の民族よりも
もっとも
ローマ人を毛ぎらうし
ローマ人は
もっともユダヤ人を毛ぎらう
なぜならば
まったく
ローマ帝国の皇帝に従順になることはない民族であるからであった
し
北部イスラエル
ガリラヤの人々は
暗殺団を結成していたのは
愛国者の人々の集まりで
ローマ人を
自分の国から追放したいからですし
駐屯しているのですから
ローマ帝国軍が
そして時に横暴な兵士らもいた
し
税金も支払うのです
ローマ皇帝に
高額な税金と
さらに
神殿に納める
お金と
生贄もあることだ
人々は
経済的にも困窮していた
時代だから
こそ
です
メシアそのものを
渇望したいた
誰が
本物か
と
云う事でした
Mariaは
その
父の意向を
そのまま
天主の言が
我が身になりますよに
と
そう
意向を思いまして
常にあった
と云う事だった
最善
最高善
至高善
完善善
善の欠如は微塵もない状態をそのまま保持出来ている者は
Almightyである唯一の方しかいない
それこそ
三位一体
といっている
その方方
南山堂安居子
何に わたしは 従うか?
何に
わたしは
従うか?
従う
order
とは
何か?
MARIAは
何に
従った
か?
Nazareth
新芽
若枝
常に
顔を合わせていたのは
MARIAであった
誰に
預かりました
子羊
父から
受け止めた
言
ロゴス
奉仕
何に
生きるために
必要な
いのち
そのもの
人間にある
根源
roots
種子
小さな小さなタネッコ
彼は
地に落ち
死にました
殻は
二つに
割れて
新しい芽を
出した
大きな大きな
木になりました
果実
fruit
カリイレノトキ
実を沢山沢山
ならした
受け止める方
いのち
そのものを
喜悦そのもの
いのち
こそ
それ
いのちは
永遠にあり
消えない
やわらか
慶祝
ひとは
肉体は
滅ぶ
みたら
理解できる
灰になる
骨
真っ白な骨
幾人も
幾人も
何人も
わたしも
あらゆる人も
肉体自体
地にかえる
素粒子
塵芥
これは
確実それ
そのもの
いのちは
肉体から
過ぎ去り
ますから
自己実現した者も
そうでなかった者も
みな
平等に
ひとり
ひとりに
死滅は
訪問し
いのちそのものは
肉体の
それから
過ぎ去り
サヨナラも言わない
なんの恐怖があるか
何故なら
わたしは
いのち
そのもの
と
ともにあるなら
約束は
ものもうした
かのかた
MARIAは
示した
我が子を
あらゆる人に
その
手を
空にして
全て
いのち
そのものを
差し出した
身代わりに
父は
求めたから
全て
を
捧げなさいと
アブラハムは
イサクを
奉献しました
身代わりに
父は
2本の角の柴に
からまりました
羊を
用意してくれていた
まつりこと
感謝
を
全て
奉献する
最善の御品物は
贈り物
息子
を
与えてくれた
父
子を授かる
父
父は
我が子を
あらゆる人の
身代わりに
一人子を
与え
つみを
重ねた
全てを
身代わり
に
ぬたくられて
晒しものにされて
旗竿に
吊るされ
生きた贄
と
なる
みよ
この人を
償うのは
一体
何か
いのち
を
侵害し
殺すな
と
した
order
に
従わない
から
仁慈
滋養
滋味
世話は
私的意図
信じ込みを
イメージし
工作する為ではない
誰かに
命令し
そうさせて
手柄を
奪う為ではない
勝ち抜き合戦ではない
から
意を
ふくこと
は
あなた
に
向かい
い
を
宣る
為に
あるから
仲介する者に
全て
頼る
一念
一言
それは
まさに
幼い子のように
の
ように
心を
小さな子のように
単純に
委託すること
お願い
と
一念
で
全て
済みます
何故なら
オールマイティ
そのものだから
あなた
一人子
聖霊
オールマイティとは
一体
何か
詳しく
自分から
調べたら
教わる
事は
何でしょうか?
たれか
一体
いのちそのものを
無から
生成できるか?
死人に
また
いのちを
あたえる
力を
保持してある者は
他にあるか?
ブラフマーから
進言された
ゴータマシッタールタ
さんは
復生は
まだ
してないし
灰にされた
まんま
遺骨は
米粒の大きさに
分断されて
みな
に
配布され
スツーパ
卒塔婆
は
各地に
建立された
小さな
箱に
おさめられた
relic
カトリックも
聖人の遺骨を
分配するし
沢山の
relicはある
神の意向は
何でしょうかね
あらゆる人に
宿る
いのち
こそ
オールマイティ
そのものである
神自身
と
光
そのもの
私の体である
これは
と
示したのは
Nazarethのイエシュア
パン
過ぎ越し
死を
過ぎ越した
辛酸を
嘗め尽くす
苦味
うみのしおからい
体験
死を真向かい
いのちを
あたふる
唯一の方
汚れない存在は
NazarethのMARIA
何故なら
はじまりから
用意されていたから
あらゆる人にとり
仲介役として
身代わりに
とりなす方だから
どんな状態にある方にも
平等に
向き合って
共にある
彼は
反抗し
我が道に
従う者でも
彼の祈りを
身代わり
に
Nazarethのイエシュアに
手向ける
贈り物にし
予め
用意してくれている方であるから
故に
何を
自ら
選択するか
あけらかにされている
設えを
詳しく
観る行為
何を
選択したら
賢明か
奉仕とは
一体
何か?
服従とは
一体
なんの事か
マルトリートメントを
つまり
神を道具にした
操作する意図を
タワワに実らせつつ
みな
毒するように
仕向ける者は
何故
そうしたいのか?
わたしに
従え
と
不完全そのものである
その者は
いふが
私的イメージを偶像化した
その自己の陶酔者に
何故
従う必要があるのか?
Messiahに
なりたかった者
わたしこそ
Messiah
と
世に叫ぶ者は
沢山いる
注意⚠️
して
詳しく
観ている必要がある
いのちを
侵害しながら
これは
犠牲だぞ
なんて
仄めかす
かのひと
かの人
みな
差し出せ!
わたしを
生かす為に
と
全て
のみほしたい
その
欲望に
従う者
暗黒の
腹の中の
底に
招く者
いのるなら
そうだ
全て
MARIAに
委託して
任せたら
善い
何故なら
MARIAこそ
Nazarethのイエシュア自身に
直接に
語りかけ
祈願する役目であるから
いのち
そのものである方々に
執りなしを
必要十二分
完遂できる方は
MARIA自身である
何故なら
汚れない心
を
予め
用意されてあるから
あらゆる人々に
安樂を
終わり無く
贈るために
であるから
三位は
三位
オールマイティ
それを
納める
箱は
MARIAそのもの
御神輿や
箱舟
とか
それは
いわゆる
メタファー
それ
大聖堂は
まさに
箱舟のように
船を作る職人達が
作業したりした
南山堂何如安居子
MI KA EL
MI
CHA
ELI
みかえり美人さま
なんとも
不可思議な事
たはいつこか
たあれかあるか
全知者
全能者
全善者である
統合して三方
そのもの
unit
TRIUNI
そのもの
Almighty
私的にあって
言を吐かれましたというのは
永遠に私的なその者への啓示でしかない事ですので
誤解なく
それゆえに
何か
代表者でも無いと云う事は自明理だ
そこでもリーダーとしてあるとうんであるなら
どのよな人々にも
自ら奉仕せ
と
権限として
命令し
任命されているはずだが
ここにこい
そしたら
いいもの
を
やるぞ
と
まるで
呑み込むそれそのものではないかと
いうことだ
ひきつけられるための
餌まきは
いつでもある
人と云う存在の
しかけ
そのものだからです
多くの人々の
気を
ひくため
の
作為は
万全であることの
立証
魔術でも
マジクでも
奇跡事でも
あちらにこれ
そこにあれ
と
いうことで
そこは
はじまりのおわりとでもいいたること
そうです
いつでも
自分こそは
救い主だとか
自称する者
またその救い主に
使命を拝命した者だぞ
とか
いいまくるもの
そして
自己の実現を
願望を
叶える事を
他人を大いに利用し
利便して
実現していこうとすることは
狡猾とはいわないかな
という
倫理の問題もあること
世間に顕示するというのは
何を示す事の
誉れかな
あなたにこそ栄誉とは
自分に欲しい人も
結構いてます
という
証拠品で
それは
自己の事の
卑下と
評価のたかし
うまし
という
両価的な認知形成の結果でもあるので
イクイブメント
equalとして
対等の関係を
自分自身で詳しく自分で学ぶ事をしようとしないのは
なぜなのか
神から
選ばれているのは
この俺様だ
この私こそ
と
優位な存在を示したいだけの事なのだろうけども
それは
確かに
いい気分を醸す素材ではあるだろが
しかし
ながら
あのバビロニアという都の
その塔を想起する時には
どうだろうか
と云う事
南山堂安居子