大量の数でどうにかしとうとする方法論:個人個人のNEEDSを明確にして丁寧に当事者と取り組む方法
大量の数でどうにかしとうとする方法論:個人個人のNEEDSを明確にして丁寧に当事者と取り組む方法
社会制度の構築過程は
その対象を大勢にするのが通常だからこそ
社会制度として成立することが多いでしょうね
しかし
NEEDS
は一人
一人
まるで
違うのだから
その方の必要自体を
その方と共に検討して
何を必要としているのか
欲しいもの
と区別する作業も必要です
操作しないで
私的な好みをデザインすることではない
支援とは
個人が自己のNEEDSがなにかと
鮮明に
覚える事の支援の提供でもある
既にある社会制度が誰かに不利益を贈る
DEMERITであるとき
侵害している
放置しているとか
支援が必要なのに
支援制度が成立していないとか
いきることにあたって
一人
一人のその人が
です
かなり
きめ細かな支援の必要もあるのは事実です
事例としては
全体と個人
基盤は
個人の個別化をその当事者と共に実践して
相互作用を媒体として
地道に生きる事を共に実務する事
と云う事だからです
共に在る事は
正に
コワーキングであるので
これは
どの人にも該当する方法論の一つではある
当然に
自分を侵害する事
他者を侵害する事は除外する事だし
信頼を構築するための方法を両者は親身に
思案する作業も必要になる
誰かを信じ込む事が格好いいんだとか
そのような見栄の問題では無い事だし
スタイルでもない
MODELでもないのですから
実直に
地道に
いくること
いきる
という
その個人の
課題があること
問題が生きる事の過程に複数あるとすると
その問題を共に解決するために
課題をいろいろ整理して
共に思考する事だ
ワーキング
そうした態度を
コワーキングでは
その関係を構築する時にどうしても必要な事だ
いきること
衣食住は必要だ
食べる物
衣類
住まい
ココロの傷の
その傷を保持している事の
それについて
どう対応し
対処していくのか
共に考える事
何をしたら
その心の傷というものは
消えるのか
消えないとしたら
その苦痛の体験について
どう自分で受け止める事が出来るか
検討をつけることだけども
おなじよな経験でも
個人によって
その受け止める中身の結果が
まるで違いますので
そのNEEDSということは
非常に複雑であるからこそ
ARTである事です
芸術作品を正に
そのクライアントの人生を媒体として
意図して構築することを
共に
それぞれの
役割
機能
働きがあることを
自覚して
御互にある
それぞれの才能や情報や資源を
投資する事で
創造していく過程ですので
善い品物を
これは
善い品物は
どの人にとっても
善い品物としての普遍の価値を形成する事でもあるし
提供する事でもあるからです
meritのほんとの意味
私利私欲をもって
私的好ましい事のその人のナルシシスト的な思考を嗜好性を願望成就する支援では無いのです
共有して
善徳である事
のそれ
いのちと共にあってうれしいと
感じる事の出きる
出来事
媒体
品物
善い品物
良好と云う事では無いのです
至便にし
安樂でも
IMAGEがそれぞれ違いますので
苦痛を共に担う事でもあるからです
直ぐに意図のまま
樂に成る事が無い
苦痛体験の記憶そのものを
消してしまえばいいんだ
とか
そのような
操作する仕方では無いということ
精神医学では
その様な事もしてきた過程がある
トラウマと
精神分析の中での
精神医療の方法では
投薬で
とか
物理的施術で
その苦痛を消す事など
電子のはたらきを利用してそういう装置もあるけども
どうでしょうかね
その方便を利用する事は
効果はあるでしょうけども
同時に
実際に存在している自分と云う事を
思い巡らす時に
何を最も重要とするか
苦痛の記憶といまともにある自分と云う事を
どう
受け止めるか
である
その視座とか
方法も
開発は必要であること
その激しい苦痛とその苦痛体験を過ぎ越した自己のありのままを
自分自身で受け止める事に支障があるときに
も
当然
適切な支援は必要ではある
その支援とは
どんな状態に側面していても
共にある
と云う事
共にあるとは
物理的では無い事
でもそうだ
同一化する事でもない
また
育てなおしなどの操作する事でもない
一人の人と
一人の人との
信頼を構築する過程であること
それは
おわることは無いだろうし
途中で
途切れているとしても
また
再開する事は
可能であるための
柔軟である
やわらき
和する事の必要も必要だ
人には
目に見えない
能力というものがあるのだから
それを
精神とか
霊とかともいっている
スピリット
意図する心の形成だ
ココロとは
とりとめのないものではなくて
明確に
構成して意図する事のできるものだということ
なぜ
その行為
発言
思い
コトバ
行いを
その時に
顕示
事
吐く事をしたのか
と云う事の
行為の狙い
と
人その者
その人は
他には存在しないんだという
貴重の無限の事の事実と
対比してみること
それぞれの
ネーションとか
ステーツとか
communeとか
自治組織とか
いろいろな
groupがあること
ソシオ
というのは
仲間たちのつどい
なんていう意味もあるけども
SYSTEMとして
人々が生きるための
媒体でもあるし
生命のそのscienceからみた
エコロジカルなバイオシステムとして
判断したり
機械工学的なMECHANISMの人工作としての究明理があるとか
知的作業の産物は
いろいろ世にあらわれてはある
caseに詰め込まれている
生命そのもの
いのちそのものは
本来
完全に自由そのものであるし
完全に善いものだと
そのエネルギーもそうだ
いきることの実体として
何か
それを
侵害する意図はどこにも無い品物であること
これを大前提とする時には
どうでしょうか
いのちと共にあるその肉体を
激しく侵害しようとする意図は
一体
なぜ
形成されているのか?
また
成長過程で
の
いろいろな肉体の機能に支障を抱えている人の場合
がんばれ
と云う事だけで
あとは
放置している事例のあることもある
自分の責任だ
いきることは
自助なんだから
とする
放置する意図とは
中には
神の天罰なんだ
それは
何か悪霊の仕業なんだそれは
呪いがあるからだ
ゆえに
悪霊の障りを取り除く必要があるんだぞ
といって
その為に
多額の金銭を請求する者もあるけども
そもそも
物理的な現象なのに
霊と云う存在を登場させて
人々の心を惑わせてしまうのは
ハームフルではある
といって支障はない
そのような行為として
人心を迷わす事をしてしまっている者への
対応はどうしたらいいか
NEEDSとして
はあるのだから
いわゆる
汚れを除去するとか
霊の行為があってそれが悪さをしているんだぞ
と
不明な事を
断定して進言する事のその者がある時
何を贈りますと
最善なのか
その者には
操作してしまいたいと
いう
その私的意向があるのは
明確な事だ
しかも
肉体の身体の機能に支障があることが
悪霊の仕業であるというのは
どうか
?
聖書にも
そういう事を主張している
存在は
Nazarethのイエシュアがあることだけども
いま
人々のそのscienceでは
物理としての現象を理解できる事だから
人の意図をどう受け止めるのかということを知る事こそ
重要だろうとそう判断しますね
その当時の人々
2000年前に
その当時の人々に
りくつ
神の國の理屈を説明するときに
彼のコトバは
暗喩で満ちている事だった
大勢には
悪霊たちがあることを
立証し
悪霊にも
命令する事で
その通りに出来る事を
確実に証明していたのですし
死滅を迎えた人々にも
起きなさいと
命令した
一言で
また起きたそのことを
立証したのですし
それは
当時のユダヤの人々に
自己を顕示して
しらせることだった
父の命令で
派遣されて
人々の間に降りて来たのだとして
しかも
生命そのものだ
と
光そのものですと
人々の善意の欠如の事を明確に反射して
見せる事でもあった
その当事者たちに
それぞれに
個別に
支援が必要な人の處には
彼は
自分から
出向きます
赴くのですから
何の支援でしょうか
と云う事
苦痛を抱えている人々が
大勢いた時です
当時も
また
ローマ帝国の強権があって
自国の存亡がかかっている時
事実として
ほんとに
救い出す事とは
何から
救い出す事だったかを
顕示したことで
これは
敵味方の区別なしと云う事だったのです
サタンと云う存在は
人の目には見えない
天使は
霊だから
物質では無いのです
から
人の中で
物理の現象としてあるのは
今在る世界の事であること
Nazarethのイエシュアの事は
人が神になったのではありませんから
霊そのものである神自身が
人
物質を得て
人になった
といいますので
神の霊は受肉したとかいっている
その肉とは
マリアそのものの
肉だから
それも
そもそも
地上にある物質の成分の合成である
統一化した個人であること
それは
みな
共通の事案であって
それの理からもれる人はどこにもいない
自称で
わたしこそ
神だとかいっている人も
複数人
未だに
地上にはあるけども
人がどうして
神になることがあるか
全知
全能
全善であるAlmightyに
と云う事です
どんなに強い力のあるサタンだとかいっても
全知
全能
全善だとするその存在自身には
勝など出来る事は無いのは
理知で理解できるのです
ゆえに
もしも
いま
誰かに向かい
あなたが
悪魔に取りつかれているんだぞ
なんて
脅す者があって
相手の心を操作して
思い通りにしてしまいたいという欲望を
かなえようとする者があるときは
そうですか
で終わりにしたら
賢明で
御徳なのです
あの方に
マリアさま
仁慈そのものを贈り物にしてくださいと
一念で
聖母マリアに委託したら
マリア様はそうしてくれるので
その方法は
簡単で
安易で
優しい事
当然
賢明な行為の一つです
そもそも
悪霊を退治するんだとして
悪魔に注目して
わざと人々を
こわがらせる事をこのましく思っている方も複数人いてますね
そして
怖がった人々を
自分の手中に
おさめようとして
躍起になっている方もあるし
それは
ナルシシスト的な言動で
自分こそ
エクソシズムが出来るだぞ
と
自己主張するのですから
祭司なら
そもそも
常に
全能
全善全智である
神自身に
つねに
顔を向けている事
つねに
どの人の為にも
身代わりとなって
意をのること
神自身に
仲介なのですから
そもそも
MEDIAなのですし
それは
マリアに倣う事でもある
それで
イエシュアの道をあとからついていく人なのですから
イエシュア自身に成る事では無い
そもそも
共に協働することではある
招きがあるからこそ
でも
英雄的な
ヒーローになって人気者になる
メシアのような振る舞いをする事ではないのですし
現実の社会での
どうしても
苦痛を受け止める事が出来ない時には
cult
何かを信じ込む行為を選択してしまう
傾向があるかもしれない
人というのは
万能なのでは無いからね
不完全で
かよわい
そこで
立派にしている事とか
そこの組織に加入することで
社会的な地位を得ている事で
あんしんを得る事とか
そのような
狙いもあるし
社会組織とは
そこで
この組織に入ると
いいことが
いつもあるんだぞ
と云う事もある
地上で幸福を得るためには
このグループが一番なのよ
と
そういう人々もある
けれども
それもまた
物理現象の一つの事例でしかない事だから
どこで
自分にとっての
小さなmeritを
得るかと云う事の
行為の事を
自らの
おもい
ことば
おこない
の
いままでの
一つ
一つの
みかえすこと
自分自身の認知形成のパターンを知る事
自己覚知の作業は
賢明な御徳な方法ではあるとは言える
平和とは何らかの犠牲を支払う事で身代わりとなる者があってこそ・後に平和が成立すると云う事の証左か
東条英機、石原莞爾、そして昭和天皇…戦時中の指導者たちは本当に戦争を止められなかったのか?(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
平和とは何らかの犠牲を支払う事で身代わりとなる者があってこそ・後に平和が成立すると云う事の証左か
人々のいのちを保持するための
いくさの人々
その作戦は
戦争という禍の過ぎ越した者たちがこそ
その疲弊した人々が
共に生きる事を形成するための
理想制度の構築に勤しむ事を
希望している者があってだろうか
それはComintern
コミンテルン
お金を沢山保持している人々
社会的地位が高い人々
資産を沢山保持している人々
を
昏迷するように導くように働くという
彼ら自身の正義を断行する
正義
とは
全くの
質量の格差の無い事を
徹底し
人々が
常に
対等である事を
強制する仕組みを構築する事
であっただろうか
しかして
貨幣も
資源も
生きる手段の何もないそのPROLETARIAT
人の属性で
幸福が
決定されているのは
おかしいと
いう事であろうか
目の前にある
飢えや
困窮
肉体の苦痛
これを
少しでも
安樂にしてあげたいのだと
いう
意気地もあっただろうが
困窮している者の気持ちを
汲み取る事をしようとするのか
しないのか
で
その行為は
変化してくる様
人心を情報で
操作する事で
統一化を図る事
もしも
命令に従わずに
反抗するのだとすると
逮捕して
拷問を加えてそして
言いなりにしてしまえ
という
強権発動もあった
それは
自由主義でも
共産主義でも
社会主義でも
民主主義でも
人と人の接点の間で
構築されている
行為の結果があること
操縦し
操作し
私的IDEA
の通りに
相手を変えてやるんだとしているその意図
主観と所有の範囲を
超えた
対話をしようとしない事だ
懸命と
賢明
自分にある能力全部を
それぞれの
何に
投資し
何をmeritにしているのか
固有にあるその個人の嗜みの問題もあるからで
公といっても
すなわち
絶対普遍価値とは言えない事ですから
言っている事
行っている事の
解離は
常に
一人
一人にはあるものだ
いつでも
正解を希望し
それらに
反しているなら
審判して
排除するとなるときに
何をほんとうは
私的に希望するのか
と云う事
國を背負うとかいうのは
本来は
一体
どういう事なのか
また
同時に
今の状態を
常に変化してあることを
維持する事だから
それは
その時に
自己の外部の人々や
資源や
環境にある全ての要素との
相互作用があることだから
予見するためには
観察することが
重要ではあるが
行動している時の
本来ある行為の狙いは
実際は
何だということだ
戦争に必ず勝はずんだと
そうして
どこまでもその狙いに突き進むときに
何がまっていたか
戦争で
決して
負けてはならないというのは
奴隷
捕虜にされてしまうからであるので
価値として
人を侵害しないようにすることを
取り決めていたのだが
戦争を人々実践してあって
その時
一体
何があったのか
内省して
構築した
ruleがあるのであるが
どうだろうか
それを遵守することに拒否することもあるのだから
個人の存在自体を限りなく尊重しようとする行為は
見えないが
meritを
確実に
積み重ねる事ではないかと
言える事だ
普遍
価値
としては
その価値を
廃棄して
自国の利益としての
侵害行為があるとか
大きな質量での計算式で
全ての価値をはかるとか
生命を侵害しようとして意図した事の
侵害の結果
は
一つの小さな行為と
大きな出来事の
何が
一体
違うのでしょうか
というテーマもある
戦争という行為の小さな種子は
何十年をいう間に
育成されてきてしまっていたのだということだから
個人
個人
の
内部に
形成されている意図は
何であったか
を
本来は
詳しく検査し
審査する事が
必要だろうけども
そして
仁慈というそのものからしたら
全てをゆるしたのだとする時に
その侵害行為をしていたその者は
何を
償いますか
と
いう
行為を
自分で
探す事になるだろうが
つぐない
というのは
生命そのもの
の
破壊には
人自身の力能では絶対に無理だ
死んだ人を
復生かすなんて
到底無理な事なのであるから
ほんとに
死者を
また生かす事が
出来る
実力を保持している者は
一体誰かと
云う事だ
自力で死後に
また
生きている者とは
だれでしょう
と
云う事
平和
人の王が
構築する平和と
まるで
違う事があると云う事
イスラエルの神である者は
この私が
あなたがたの
王ではないか
と
つねに
その言を
届けていたのですけども
それを拒否してしまうレビの多くもいて
人の王を求めたのですけども
人の王によって國は亡ぶとしていた
その言は
未だに
響き渡る事だ
社会とは
人々の意図によって
構築されてある
品物の一つではある
完全な平安の意図があってそれを
一人
一人
維持する事に
力投するならば
正に
平和とは
構築できるでしょうけども
GAMESYSTEMで
その平和を
構築しようとするときには
必ず
戦争という
GAMESYSTEMに
みな
参加する事を強制されてしまうのですから
そこは
人の性質の一つであろうと
そう云う事だと
自分たちで
納得する以外は
問題自体を
解決する方法は無いかもしれない
いつかまた
戦争が生まれる事を
イネーブリングしてしまうからですし
世界の大勢を巻き込んで
呑み込んだ
大戦争が
終結して
80年は経過したけども
その後も
各地で
戦争行為は
事実あるのだし
今
世界
地球で
暮らしてある事は
戦争に巻き込まれてしまうリスク
危険は常にあることだし
そのために
正当防衛の意図は必要だ
電撃的な進撃もあることは予測できるだろうから
兵士は
任命されて
正当防衛の為に仕事
自分を奉仕している事だ
その私的行為では
何か罪と云う事は無いというのは
Catholicの倫理
自分にあてがわれた使命を忠実に果たすことであるから
ということ
それは
自分たちの財産生命を
不当な侵害行為から守護保護防衛するための労務であるからです
と云う事
当然
戦争など無いほうが善であるが
求めている事は
仁慈を
みなに
提供する事によって
その個人
個人が
その存在自体を喜悦であると
認知形成出来る事なのであるからこそ
内的
平安は
宿る事だ
いのちと
共に在る事を
最善の事だと
私的に受け止めて
たしなむこと
小さな行為の一つ一つの積み重ね
は
賢明であり
merit
グラチア
Garatia
自分を世間的に見栄としてよくみせる必要は皆無だと云う事だからこそ
内的な認知形成の行為実践の
過程で
その人自身の
存在と共にあるいのちを
あじわうこと
いまあることのそれ
自体
無限に貴重でよろこびそのものだと
そう
認知形成が意図してあることを可能とする能力を貰う事
南山堂安居子
いきるということ その人の行為した意図とは何か?
日本経済史「影の主役」、稀代の“ヤマ師” 山下太郎とは何者か?この男を歴史の中に埋もれさせてはならない! | 「ヤマ師」に学べ―怪物経営者・山下太郎の決断力と思考法 | ダイヤモンド・オンライン
そのはじめ
は
精子と卵子の結合と一つの玉としての融合
FUSION
いろいろな要素が一つになる過程と
その結果
一人に成る
種子
種っコ
田根っこ(ピート 泥炭)
人生の根源
その人がどう生きて行こうかと
悩む行為
そして
何をしようか
と発意するとき
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
一人
一人には
使命とか
役割とか
役目とか
その人にある
その素養
性質
それを
自分で発見し
援用すること
何を人生の目的にするのか
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
正に千差万別
個人
個人
完全にUNIQUEである
誰かの
マネをしたとしても
その人はその人
他にはいない
その存在自体こそ
貴重であること
無限に
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世の中の仕組み
物質
物体
制度の構築
設計
DESIGN
人々の生きる事への
媒体
MEDIAを
構築する事
地球そのものを資源化する意図
地上で息を吐いて空気を吸う事は
生きている一つの実証だ
人為戦争
自然災害
格闘行為
戦闘行為
品物の破壊行為
意義意図
強権を振るいそして人々自身を侵害する事
仁慈を提供し
慈愛の世話を提供する事
肉体を駆使して生きる事
精神活動を駆使して生きる事
何を
その人は
木の実として
奉献するだろうか
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@